六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「材木」という木のあり方とその美しさについて

2018-03-04 01:14:48 | よしなしごと
            

 凛として立つ木は美しい。
 初々しい幼木、少しばかり分別がついたような若木、それらは壮木の時代を経て、どっしり構え周囲を睥睨するような老木へと至る。
 その寿命はその種によって異なり、縄文杉のように千年の単位を誇るもののあるが、せいぜい、何百年単位とされる。自然界では、その限界に達した木は、枯死したり、倒木して朽ち果てたりする。

                

 しかし、木々に は実際にはもっと生きるものがある。
 それは人間が介在して、材木として用いる場合である。その代表格は世界最古の木造建築といわれる法隆寺であるが、それを筆頭として、何百年単位の木造建築はけっこう残されている。

                

 これは考えてみれば面白くて、最も堅牢といわれる鉄筋コンクリートの建造物が数十年も経てば更新されるのに、木造の社寺仏閣、あるいはある種の民家などは、数百年の単位で生き残っている。

            

 私の住む岐阜市の駅(かつての国鉄、今のJR)は、私がものごころついて以後でも三回、建て替わっている。それに対して、そのすぐ南にある私の実家は、築60年の寿命を経ている。
 もっとも岐阜駅の更新は、一度は戦災で焼かれたもの、あとの2度は利便性の見地からの建て替えだから、必ずしも耐久性のみではない。

              

 しかし、木造が鉄筋などに比べて格段に耐久性に劣るということではないとはいえると思う。
 1964年(昭和39年)6月の新潟地震(M7.5)では、信濃川にかかるコンクリート製の橋は、橋脚から橋桁が外れてドミノ倒しのように水中に没したが、一方、当時まだあった木造の橋の方はほとんど損傷がなく、それが話題になった。
 木材がもつある種のアローアンスの力学がそれを可能にしたものと思われる。

             

 なお、上の情報は私自身がこの目で確認している。
 というのは、当時、私が勤めていた会社の新潟支店が、やはりこれも話題になった新潟駅前のかなり傾いたビルのなかにあって、それを救援するために地震後間もないころに新潟を訪れたからである。
 その新潟支店は、全体が激しく傾斜していて、人の平衡感覚との乖離のせいで、目眩がする程であった。今なら、二次災害を恐れて立入禁止になるところだが、当時はそんななかで入居者たちは業務をこなしていたのであった。

              

 私の話は、いつも大きく逸れるのが特徴である。
 主題は「材木」であった。その材木が樹木の自然的生命を超えて、なおかつそのもてる機能を発揮し、建造物などとしてその生命を永らえ、もって人の文化に寄与する「材木賛歌」を書きたかったのだ。
 しかし、あまりにも前置きが長くなった。だからその本題は次回に譲りたい。
 次回は、なぜほかならぬこの私がしゃかりきに材木賛歌を綴るのかも含めて、ちゃんと書きたいと思っている。
 まずは写真で、材木の美しさを享受していただきたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 世界を飛翔した陶磁器 「ノ... | トップ | 親不孝な材木屋の息子の話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。