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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

季節の混在の中で・・・春への兆し

2011-01-05 05:51:52 | 花便り&花をめぐって
 日本海側を中心に冬将軍が猛威をふるっているようだ。
 太平洋側は寒いことは寒いが、雪などの害はあまりない。

 わが家の周辺をつらつらおもん観るに、晩秋とまごうかたなき冬、そして春への兆しが共存しているようだ。

     

 これは紛れもなく冬の痕跡で、元旦に降った残雪がわが家の北側に今も残っている。もっとも雪国の人に言わせればそんなものは雪ではないといわれそうだが。

     

 晩秋の面影を留めているものもある。紅葉や黄葉がなお色鮮やかに残っているのである。写真は鉢植えの南天と、雪柳の現状である。

     

 紅葉ではないがこれも秋の置き土産だろう。
 秋に実る龍の髭(蛇の髭)の深い青色の実である。
 夏に小さな花を付けていたのだが、その後見逃していて、秋以来この青いルビーのような実を付けていたに違いない。
 見逃していてごめんよ。

         >

 水仙であるが、いわゆる花芽がでているのを12、3本確認しているにもかかわらず、この寒さで縮こまったままなのかなかなか花には至らない。
 各地で開花したという知らせが届いているというのにである。
 ラッパ水仙もあるがこちらの方はやっと芽が出始めた頃で、開花も日本水仙より一ヶ月ぐらい遅れるだろう。

             

 親父譲りの紅梅のつぼみも丸みがはっきり見えるようになった。
 しばらく前に、先走った一輪だけが花を付けたが、もうしぼんで枯れてしまった。

 季節は円環しながらそこに微妙な差異を孕み進んで行く。そこに春夏秋冬の刻み目を入れるのは人間の恣意的な限定に過ぎない。
 だから季節は不連続な連続として進む。
 芝居の一幕、二幕といった具合に進むのではない。
 それゆえに面白い。







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3 コメント

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Unknown (さんこ)
2011-01-05 08:53:21
うちの、ほんのわずかな土地にも、秋冬春が平気な顔をして、混じり合っていますよ。長いあいだ咲かなかった蝋梅が、葉をつけたまま、黄色い花を咲かせてくれています。和水仙もさきました。まだ秋に植えた桜草が、ピンクの可愛い花をつけて、この寒さに耐えています。花桃の枝に少しつぼみが育ってきました。大好きなクリスマスローズはまだまだ、つぼみのほんの先だけ、土から顔を出しています。チューリップの芽は元気に存在を主張して、日に日に大きくなるようです。自然界って偉大ですね。
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Unknown (Tです。)
2011-01-05 11:35:46
あけましておめでとうございます。
今朝、ウォーキングをしていましたら青山霊園の梅は蕾が一杯です。少し寒さが緩んだら咲きだしそうな雰囲気。春がそこまで来ていますね。

日本の四季も美しいですが、砂漠も別の意味で美しいものです。2006年7月に死海を訪れたときに、ベトウィンで砂漠専門のガイドに死海周辺の砂漠を案内してもらいましたが、「死海周辺の砂漠には1,000種の花がサバイブしている」とのことでした。
道端に落ちていた枯れ木をしばらく水に浸したら一瞬でピンクの花が咲くのです。砂漠には1,000種の花があるのです。雨季に一瞬で花を咲かせ、子孫を増やす。荒涼とした砂漠の中で1,000種の花は水を待ち、静かに生きています(サバイブ)。

日本の四季とは違いますが、感動します。
一番下の写真が一瞬で花が咲いたものです。

http://blogs.yahoo.co.jp/gonta_tako/39994459.html



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Unknown (六文錢)
2011-01-07 02:22:49
>さんこさん
 季節の併存はいつものことですが、昨年の異常気象によってより複雑になったのかも知れません。
 うちのカタバミは、昨年二回花を付け、今なお青々としています。
 ちょっと不気味な感じもします。

>Tさん
 砂漠で水を待つ植物の生態、感動ものですね。
 その生存への意志に、生命のありかを観たようで感動しました。
 1950年代の中頃でしょうか、ディズニーの「砂漠は生きている」を観た頃の感動がよみがえりました。
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