愛知県から、妙齢のご婦人からなる女子会の面々が岐阜へと小旅行でいらっしゃるとのことで、現地参加でお仲間に加えていただくこととなった。黒一点である。
女子会の四人の方々は気心の知れた旧知の方ばかりなので、人見知りが多く、初対面の女性の前では畳に「の」の字を描くばかりの私でも、打ち解けた雰囲気でご一緒することが出来た。
快晴の岐阜城と金華山 この楓の前で落ち合った
岐阜の河原町筋で、女子会のみなさんのランチタイムが終わるのを待って合流し、最初の目的地、「Le Cours せきや」という素敵なガーデン付きのカフェへと美濃路を北上した。
おおまかな場所は美濃市から板取川沿いに北西方向にいったところで、集落を離れて、昼なお暗き杉並木をしばらく進んだあたりにある。
蝶が重なり合っているような飛行機草 蜘蛛の巣も風情のうち
ここは一度、今年の六月五日付の拙日記で紹介した場所でもある。
で、そのガーデンだが、春の名残をとどめ、加えて初夏の花々が妍を競い、植物たちがその頂点を極めようとしていた六月に対し、その華やぎにおいては比べるべくもない有様ったが、このロケーションならではの季節に応じた山野草の佇まい、一見無造作ながらそれなりに手入れがされた風情はやはり一見に値するものであった。
六地蔵は六文銭と大いに関連がある 風知草
ここのテラスで飲むお茶は美味しい。眼の前に広がる板取川の河川敷は明るく、前日の雨で濁るほどでもなく水量を増した渓の流れは、滔々として観るものを飽きさせることはない。
それに第一、空気が違う。
時折走る車や散在する人家の放出する不純物は、豊富な水とあたり一面の緑ですっかり純化され、いわばシングル・モルトの空気がここにはある。
美濃市旧市街のうだつのある町並みから
しばし歓談の後、板取川沿いに下り、うだつの街・美濃市の旧市街地へと向かう。
ウィークデイとあり、観光客もまばらで、電柱を撤去した街の通りは実際以上に広く見える。うだつを見上げて歩くうちに、製造販売の提灯屋さんに捉まる。提灯を実際に作りながらの説明は確かに面白いのだがそれにしてもここのお姉さんはよく喋る。
一行の中の、百戦錬磨のおしゃべりのプロもタジタジといった感であった。
その弁舌に免じて、何人かが室内灯兼インテリアになる小型の提灯を求めた。
梱包をする時、「飛行機にお乗りですか?」と訊かれた。中国かインドネシアからの観光客に間違われたのだろうか。
和紙屋さんにて
続いてはこの街でも有数の品揃えを誇る和紙屋さんに立ち寄る。
素朴な和紙から、いくぶんキッチュなものまで、紙そのものからそれを使った加工品まで、実に品数が多い。
好きな人はここで半日を過ごすという話を聞いたことがある。
「句帳」など、なるほどと思うものを買う人もいて、その店をあとにする。
美濃から去るにあたって、長良川沿いの川湊と川灯台を見に行った。
確かこちらへゆくと川灯台という狭い道路に一台の車が居座って動かない。そのへんをふらふらして戻ってきたら通れるようになっていた。
かつて、陸上の道路のインフラが進んでいない頃、大量輸送の主役は水路であった。海のない岐阜県では、それは河川に設けられた航路で、その名残が川湊であり川灯台である。
ここの他では、芭蕉の「奥の細道」終焉の地、大垣の川湊と川灯台もよく知られている。
その折の、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」の句は、旧暦の九月とされているから、新暦なら今頃に相当するのかもしれない。
和紙屋さんの続き おみやげに頂いた麦焼酎40°
秋の日は傾くのが早い。岐阜への帰路は薄暮になったが、ほぼ予定通りに女子会の面々が宿泊するホテルに到着した。
そこで私は別れたので、その後は知る由もないが、黒一点が去り、混じりっけなしの女子会になった面々の歓談がいっそう弾んだであろうことはいうまでもない。
聞くところによると、半年間にわたる鵜飼の長丁場を終えて(十月一五日で終了)、羽を休めてまどろんでいた鵜たちが、響き渡る嬌声によってしばしばそのまどろみから引き戻されたとか・・・。
美濃の天いや高まりて四輪草
四輪の花に美濃路の秋が笑む
女子会の四人の方々は気心の知れた旧知の方ばかりなので、人見知りが多く、初対面の女性の前では畳に「の」の字を描くばかりの私でも、打ち解けた雰囲気でご一緒することが出来た。
快晴の岐阜城と金華山 この楓の前で落ち合った
岐阜の河原町筋で、女子会のみなさんのランチタイムが終わるのを待って合流し、最初の目的地、「Le Cours せきや」という素敵なガーデン付きのカフェへと美濃路を北上した。
おおまかな場所は美濃市から板取川沿いに北西方向にいったところで、集落を離れて、昼なお暗き杉並木をしばらく進んだあたりにある。
蝶が重なり合っているような飛行機草 蜘蛛の巣も風情のうち
ここは一度、今年の六月五日付の拙日記で紹介した場所でもある。
で、そのガーデンだが、春の名残をとどめ、加えて初夏の花々が妍を競い、植物たちがその頂点を極めようとしていた六月に対し、その華やぎにおいては比べるべくもない有様ったが、このロケーションならではの季節に応じた山野草の佇まい、一見無造作ながらそれなりに手入れがされた風情はやはり一見に値するものであった。
六地蔵は六文銭と大いに関連がある 風知草
ここのテラスで飲むお茶は美味しい。眼の前に広がる板取川の河川敷は明るく、前日の雨で濁るほどでもなく水量を増した渓の流れは、滔々として観るものを飽きさせることはない。
それに第一、空気が違う。
時折走る車や散在する人家の放出する不純物は、豊富な水とあたり一面の緑ですっかり純化され、いわばシングル・モルトの空気がここにはある。
美濃市旧市街のうだつのある町並みから
しばし歓談の後、板取川沿いに下り、うだつの街・美濃市の旧市街地へと向かう。
ウィークデイとあり、観光客もまばらで、電柱を撤去した街の通りは実際以上に広く見える。うだつを見上げて歩くうちに、製造販売の提灯屋さんに捉まる。提灯を実際に作りながらの説明は確かに面白いのだがそれにしてもここのお姉さんはよく喋る。
一行の中の、百戦錬磨のおしゃべりのプロもタジタジといった感であった。
その弁舌に免じて、何人かが室内灯兼インテリアになる小型の提灯を求めた。
梱包をする時、「飛行機にお乗りですか?」と訊かれた。中国かインドネシアからの観光客に間違われたのだろうか。
和紙屋さんにて
続いてはこの街でも有数の品揃えを誇る和紙屋さんに立ち寄る。
素朴な和紙から、いくぶんキッチュなものまで、紙そのものからそれを使った加工品まで、実に品数が多い。
好きな人はここで半日を過ごすという話を聞いたことがある。
「句帳」など、なるほどと思うものを買う人もいて、その店をあとにする。
美濃から去るにあたって、長良川沿いの川湊と川灯台を見に行った。
確かこちらへゆくと川灯台という狭い道路に一台の車が居座って動かない。そのへんをふらふらして戻ってきたら通れるようになっていた。
かつて、陸上の道路のインフラが進んでいない頃、大量輸送の主役は水路であった。海のない岐阜県では、それは河川に設けられた航路で、その名残が川湊であり川灯台である。
ここの他では、芭蕉の「奥の細道」終焉の地、大垣の川湊と川灯台もよく知られている。
その折の、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」の句は、旧暦の九月とされているから、新暦なら今頃に相当するのかもしれない。
和紙屋さんの続き おみやげに頂いた麦焼酎40°
秋の日は傾くのが早い。岐阜への帰路は薄暮になったが、ほぼ予定通りに女子会の面々が宿泊するホテルに到着した。
そこで私は別れたので、その後は知る由もないが、黒一点が去り、混じりっけなしの女子会になった面々の歓談がいっそう弾んだであろうことはいうまでもない。
聞くところによると、半年間にわたる鵜飼の長丁場を終えて(十月一五日で終了)、羽を休めてまどろんでいた鵜たちが、響き渡る嬌声によってしばしばそのまどろみから引き戻されたとか・・・。
美濃の天いや高まりて四輪草
四輪の花に美濃路の秋が笑む
忙しかったわが身を、ちょっと残念に思っています。
せきやの、初夏の心地よさを思い出しています。
黒一点の六文銭さん。秋空がまばゆかったでしょうね。
好天に恵まれ、和やかな雰囲気のなか、美濃路の秋を満喫して参りました。
やはり、同じ岐阜でも山や渓流に近いところでは、空気の味も色合いも違いますね。ゆったりとした時間を過ごさせていただきました。
女子会の皆様のお誘いのおかげです。
たまたま、今日丸善で買った便箋には、「美濃和紙 岐阜県武芸川製」と書かれてありました。目上の方にお手紙を書く時のために買ったもので、優しい黄色みを帯びた紙に、上品な薄紫色の縦罫が引いてあります。
こうしてみると、「美濃」というのは麗しい地名ですね。いつか自分一人のためだけに休みをとって、電車に飛び乗ります!
今回参りましたところは、長良川とその支流、板取川が合流する近辺でした。
お求めになった武芸川産の和紙は、板取川より下手でやはり長良川に注ぐ川の辺りで作られているものですね。
美濃の地名、そこに住まいする者にとっては何気ないのですが、いわれてみればいい地名だと思います。
律令時代から今の字が当てられているのですが、それ以前の語源は「水の野」が有力なようです。
木曽、長良、揖斐の三川が今のように整備されていなくて、網の目のように縦横に走っていた水が豊かな平野だったからでしょうか。
美濃の国を愛でる旅、ぜひとも実現させて下さい。