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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

マサキの花とある種の屁理屈

2016-06-21 18:02:20 | 花便り&花をめぐって
 私の二階の部屋のデスクの真ん前はいま、緑一色に輝いている。
 梅雨の晴れ間のそれは、眩しいくらいに私の視線を占領する。
 周辺の切ないことや自分自身の近未来への不安が鬱積するなか、しばしの慰めを与えてくれる。

       
 
 もっと若くてとんがっていた頃、花鳥風月に慰められるなんてある種の逃避だと思っていた時期がある。
 もちろん、それらの美しさ、造形の稀有さやその魅力に惹かれなかったわけではない。
 しかし、そうした感覚とおのれの直面している問題とを同じレベルで俎上に乗せることは逃避だと思っていたのだ。

 
 
 しかし、最近、年齢のせいかどちらも私なら、それを混ぜあわせたってかまわないではないか、いや、むしろそのほうがリアルではないかと思うようになった。
 花鳥風月はたしかに癒しになる。しかし、それはそれでいいいのではないか。そんなに簡単に現実が消え去るわけではないから、逃避だなどと目に角立てる必要もない。むしろ、切なさや不安な現実をバックにしているがゆえに花鳥風月に接する自分の感受性が増す面もあるのではないか。

 

 もっとも、ほんとうに必死な折には花鳥風月に気を取られることもないかもしれない。
 その意味では、漠然とした不安のなかで、花鳥風月にもそそられるということはそこそこ幸せなことであるかもしれない。
 美しいモノに接すること自体にあれこれ理由を付ける必要はないのだろう。たぶん。

 【今日の教訓】逃避が現実を支え、現実が逃避を彩る。




         

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