六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

映画『フィラデルフィア』 マリア・カラス、そしてトーマスさん

2019-01-25 01:02:21 | 想い出を掘り起こす
 BSプレミアムシネマで『フィラデルフィア』(1993年/米 /ジョナサン・デミ監督)を観た。
 映画は、エイズに罹った若手の弁護士(トム・ハンクス)に対し、その所属事務所が卑劣な罠を仕掛けて彼をクビにするところから始まる。
 彼はそれに対して法廷闘争を挑むのだが、彼が所属していた大手事務所への忖度や、エイズや同性愛者への偏見から、支援してくれる弁護士はいない。

          
 最後に、かつてはライバルだった黒人弁護士(デンゼル・ワシントン)のところへも行くが、彼も最初は断る。その黒人弁護士も、偏見や差別意識から自由ではなかったからだ。しかし、図書館でのふとしたアクシデントに立ち会った結果、その弁護を引き受けることになる。
 
      
 同性愛者でエイズ患者と、それに対しても偏見や恐れを抱いたままの弁護士、この二人のタッグは、陪審員たちの心情を揺さぶることができるかどうかという法廷闘争、それを通じて二人の間に通い合う友情、そして人間の尊厳への愛が映画の主題。
 こう書いてくるとありきたりのようだが、映画はその過程を丁寧になぞってゆく。

      
 ここからが観ものだから書かないが、私が幾分感動した場面を挿入しておこう。
 
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=121&v=3b0p9mTJOJI
 バックに流れているのは、ジョルダーノのオペラ「アンドレア・シェニエ」から、貴族の令嬢マッダレーナが歌うアリア、「La Mamma Morta(いまは亡き母)」。
歌い手はかのマリア・カラス。

 その歌詞の大意は以下のようだ。

(略)
もう一度生きなさい
私がその命となろう
私の瞳の中に君の姿が見えるだろう
君は一人じゃない
君の涙は私が拭おう
君の先に立ち導こう
笑って、希望を持ちなさい
私は愛です
全てが血と泥ばかりだと言うのか?
私は神聖、
私は忘却、
私は神、
この地上に楽園を作るため
天から降りてきた
私は愛、私が愛なのです

      
 もう一つ、映画とは関係ないが、この映画の題名、『フィラデルフィア』から想起した忘れられない人がいる。
 はるばる、フィラデルフィアから3日に一度ほどの割合で電話をくれたトーマスさん、正式にいうと、トーマス・グレゴリー・ソン(宋)さんのことだ。
 彼は、その名に片鱗がみられるように、朝鮮王朝の末裔として、戦中戦後を波乱のうちに生き、命からがらアメリカへたどり着き、フィラデルフィアを終の棲家とした。そして彼も、この映画の主人公同様の恋愛志向を持っていた。
 だから、私にとっては、この映画は即、トーマスさんの思い出に結びつくのだ。

 彼の不完全な伝記を、私は同人誌『遊民』第11号(2015年春号)に書いたことがある。なぜ、不完全になってしまったのかにつては衝撃的な事情がある。
 2014年12月3日、やはりトーマスさんから電話があった。彼の電話は長かったが、一方的に拝聴するというより、むしろこちらから彼の数奇な人生を聞き出すという事が多かった。彼自身も、同年輩の友人を亡くすなか、戦中戦後の話が多少なりともわかる私にいろいろ話を聞かせたかったのだろうと思う。

       
 その日もかなりのことを聞き出し、それではという段になって急に電話が聞こえなくなった。何かのトラブルかなと思ったが、実質の話は終わっていたこともあってその場は諦め、翌日、メールを出した。
 「・・・・昨日の電話、終わり方が少し変でした。電波のせいかなんかだろうとは思いますが、ひょっとして、途中でトーマスさんが体調を壊されたということはないでしょうね。ところであと、お尋ねしたいのは・・・・」
 
 返事はなかった。心配になってこちらから電話をした。トーマスさんは大連中学の出身で日本語がネイティブランゲージだったが(訳あってその父は朝鮮語を教えなかった)、その折、電話に出た人とは英語での応答となった。彼は一緒に住んでいたチャック氏だった。私のブロークンな英語でなんとか聞き出せた情報は、「とても重い頭の病気で、いま入院している」とのことだった。
 私の一番悪い予感があたってしまったのだ。そしてさらに悪いことには、あの電話から10日の後、そのままトーマスさんは逝ってしまった。享年85歳だった。
 晩年に縁ができた得難い知己であった。もっともっと話を聞いておくべき人だった。その人との、衝撃的な別れを一生忘れることはできないだろう。

      
 上の写真は、大連時代の1937年12月3日、満鉄協和会館で撮られたものだという。前列左から二人目の唯一の子どもがトーマスさんである。この日付にハッとするものがある。この子供時代から、77年後の12月3日、その日に彼は私と電話をしていて倒れたのだった。なおこの集まりは、エスペラントの関係者のそれであり、彼、トーマスさんがどんな環境のなかで育ったかをも示している。
 この写真には、私の推理によるもう一つの隠された事情を背負った人物も写っているが、それを書くと長くなるので止めておく。
 
 映画の舞台でありタイトルでもある「フィラデルフィア」、そして同性愛者の物語、これでトーマスさんを思い出すなという方が無理だ。映画を観ながら、何度も何度もトーマスさんのことを思った。
 観終わったあと、まず最初にその感想を伝えたい相手、それはトーマスさんにほかならなかった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初コンサートはプラハ国立劇... | トップ | NHKさん、ほんとにこれでいい... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。