今日はあの震災から3ヶ月、これを書いている今から30分ほど前にあの激しい揺れがあり、そしてまさに今頃、各地をあの巨大な波の壁が打ち砕きつつあったのだ。
それを思うと今もいたたまれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d0/9aea1428d87385651a6fe7d0061cbf67.jpg)
その折、TVで津波の来襲をリアルタイムで観ていた。
「おーい、早く逃げろっ」と声にならない声で叫びながら。
そして、その叫びも虚しく、車が一台また一台とさらわれていった。
悪夢、しかし現実に起こりつつあるリアルな悪夢。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/d6/063910bc6177a53d916cf253f6d5ce99.jpg)
梅雨の晴れ間、農協の花売り場には早くも向日葵が並んだ。
その向こうを、近くの小学校の学童たちがさざめきあいながら通って行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c8/e2e3a5602670656e52e78b0b01909628.jpg)
この花をもって鎮魂の献花としよう。
子供たちのさざめきをもって奪われた貴方達の未来の接ぎ穂としよう。
それを思うと今もいたたまれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d0/9aea1428d87385651a6fe7d0061cbf67.jpg)
その折、TVで津波の来襲をリアルタイムで観ていた。
「おーい、早く逃げろっ」と声にならない声で叫びながら。
そして、その叫びも虚しく、車が一台また一台とさらわれていった。
悪夢、しかし現実に起こりつつあるリアルな悪夢。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/d6/063910bc6177a53d916cf253f6d5ce99.jpg)
梅雨の晴れ間、農協の花売り場には早くも向日葵が並んだ。
その向こうを、近くの小学校の学童たちがさざめきあいながら通って行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c8/e2e3a5602670656e52e78b0b01909628.jpg)
この花をもって鎮魂の献花としよう。
子供たちのさざめきをもって奪われた貴方達の未来の接ぎ穂としよう。
②フィリピンのマルコス追放アキノ 政権成立。
私もなぜかと思っていました。
最初は太陽光発電の象徴としてのソレイユかなと思っていました。
しかし、それだけではなく、向日葵にはセシウムをカリウムと間違えて取り込む性質があるため、半減期30年のセシウムをわずか20日で95%吸収することができるのだそうです。
それを利用して今、各地の原発でその周辺に向日葵を植える運動が広がりつつあります。
例えば、「福島ひまわりプロジェクト」のページは以下にあります。
http://himawari-fukushima.info/
ただし、向日葵がセシウムを吸収すると言っても、それでセシウムがなくなるわけではなく、その向日葵を特殊な方法で処理しなければなりません。
つまり向日葵は、掴まえ所のないセシウムを自分の体内に取り込みそれを集めてくれる役割を果たしてくれるのです。
他の生物のためにせっせとセシウムを吸収し、やがて自分が処理されてしまうとは、なんと健気な向日葵なんでしょう。
向日葵のプラカードと黄色のシャツが目立つのですが、
原発と向日葵はどんな関係があるのでしょうか。
第1類
(哲学を主とするもの) 西洋哲学史 I (古代・中世) 4
西洋哲学史 II (近世・現代) 3
科学哲学 4
論理学 2
倫理学 2
現代倫理学の諸問題 4
日本美術史 I 2
社会学史 I 2
社会学史 II 2
都市社会学 2
社会心理学 2
心理学 I 2
心理学 II 2
教育学 3
教育心理学 2
教育史 3
教育思想史 4
教育社会学 2
心理・教育統計学
これでみると、(哲学を主とするもの)に分類されていますから、いわゆる臨床心理学や、実験心理学ではなく、人そのものの観察しそれを思考することになるのでしょうか。
それにしても心理学もずいぶん多岐にわたるようですから、面白い講座に当たるといいですね。
奥方の向学心に敬意を評します。
よろしくお伝え下さい。
> 九条護。さん
只今さんのコメント、関連がなくはないですよ。
拙写真の向日葵からの連想、それに子どもについてのイメージの想起も私の最後の写真が写し込んでいるものです。
むしろ、「九条護。さん」のそれへの拒否反応のなかに、「原発継続」を臨む「株主」さんの願望が、フロイトの理論を借りるまでもなく透けて見えるような気がするのです。
フロイトの「精神分析入門」面白いですよ。
私たちの言説や何気ない日常の行為の中にある「抑圧された主観的願望」「本当は何が言いたいのか」「本当は何をしたいのか」を知る手がかりがありますよ。
それはまた、自分自身を客観的に凝視する機会にもなります。
そうした言語機能の持つ多重性、複数性も含めて、このブログ並びにそれをめぐるディスカッションは、相互の言表を大切にし、言葉の力に信を置いた場として実現出来ればと思っています。
ブログの内容と関係ない書き込みはやめましょう。(先日の貴殿の書き込みを転写)
思わず同行者に「見て見て!」と昂ぶり運転手さんを驚かせましたが、手を引いている親らしき男の背にあるのはリュックだけ。この姿を見て、これまた思わず凹んでしまいました。
その昔、「チビッコ反戦」ヘルメットを、長男ではなく、五歳児の次男坊に被せたことを思い出したからです。
『北沢恒彦とは何者だったか?』の表紙は、「ぼくらは知らない we are innocent」というプラカードを背にした幼児と手をつなぐ背広服の男の写真。
頬づりしたくなるほどの親近感と同時に、この幼児は成人した今、どう思っているだろうかと複雑な思いにかられましたが…。
しかしそれはともかく、ここ北陸の地でも、「脱原発アクション」が、ヒョンな形にせよ見られたことは、嬉しいことには違いありませんでした。