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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

JR岐阜駅でしていいこととしてはいけないこと

2011-06-15 03:05:49 | よしなしごと
 かつて「何が禁止されているかでその社会が見えてくる」というコンセプトのもと、「禁止の考現学」というのをネットに連載したことがあります。要するに、ここではこんなことが禁止されているというのを写真入りで連載したのです。

 ですから、禁止マークには結構敏感です。
 そうした禁止マークが、週に一、二回利用するJR岐阜駅でここんところ急増したのです。それらの表示が数多くはられ、出入り口部分に相当するガラス戸などはこれでもかというぐらいそれでびっしりです。

   
 
 それらを改めて写真で列挙します。
 ひとつひとつを見るとなるほどということですが、そのいくつかの部分に「など」という言葉が入り、拡大解釈が可能になっています。
 この解釈は、もちろん利用者側にではなく当局側にあります。

 これらの禁止事項から免れ、何をしてもいいのかは以下のとおりだと思います。

   

 駅構内に入ったら、迷わず切符売り場へ行き、所定の切符で改札口を通り、行き先のホームで来た列車に乗ってしまえということです。駆け乗ってはいけませんよ。粛々整然と乗らなければなりません。
 到着した列車から降りる時もこの逆で、早く駅構内から立ち去らねばなりません。
 これで秩序は保たれました。

 しかし、なんだかさみしいのです。
 こうしたお触れが強化される前を見てみましょう。
 その前には駅の構築物の中ではないにしても、北や南の出入り口付近でストリート・ミュジシャンたちが様々なジャンルの音楽を聴かせてくれました。それはもはやアウトです。

   

 夜遅く帰ると、半ば閉ざされたガラス戸をミラーがわりにして、端っこの方で若きダンサーたちがエクササイズをしていました。駅の機内ではありましたが、この時間敢えて彼らの群れに突入しない限り、何の危険も感じませんでした。
 私なんかは、ヘルメットをかぶった頭を下にしてくるくる回っている若者をつかまえて、「何回まわったらいいの?」と尋ねたことがあります。
 彼の答えがふるっていました。「出来れば永遠に!」。

 それらは全て追っ払われました。駅は本来の、列車に乗り列車から降りる機能本位の場所として管理されることとなりました。

 でもこれってさみしくはありませんか?
 昔の駅はもっともっと豊かな表情を持っていませんでしたか?
 そこは別離と出会いの場所であり人が集い、感情を発散させる場所でした。

  
 
 かつての新婚旅行はほとんど列車でしたから、披露宴の後、新婚旅行を見送るために、披露宴に出た殆どの人が駅頭に集まり入場券を買い、プラットホームで発車のベルと同時にバンザイを叫んで見送ったものでした。
 同じ職場を離れる人も、それが栄転であれ左遷であれ駅頭でバンザイをして見送ったものです。

 見送りだけではありません。出迎えもまた派手でした。その組織に重要な人が来る場合にはできうる限りの人が駅頭に出迎えるのが習慣でした。
 駅はもともと別離と出会いの場であり、だからこそ多くの映画監督が駅頭の場面をその映画の不可欠なシーンとして描きました。

 しかし、もうそんなセンチメンタリズムは許されないのでしょうね。
 駅はただ列車に乗降する場所に限定されてしまいました。

  

 「あ、そこのあなた、そんなところで立ち止まると販売員か勧誘とみなされますよ。早く改札口の方へ。え?列車に乗りに来たのではない?駅の雰囲気が好きだから来た?怪しいですねえ。ちょっと鉄道公安室まで来てもらえますか。え?その前に捨てたいものがあるからゴミ箱の場所を教えてくれって?ますます怪しいですね。あなた、ゴミ箱に爆弾を仕掛けるつもりでしょう?そういうテロリストのために駅構内からゴミ箱を撤去したのですよ。え?駅の写真を?そ、そ、そのカメラって自爆装置付きのものでは?ま、ま、待ちなさい。直ちに自衛隊を出動させますから」

 これって、国家機能に不規則性を持ち込むとして芸術家をシャットダウンしたプラトンの国家に似ていますね。そしてスターリニズム国家にもナチズムの国家にも、そして何よりも効率化を絶対的価値とする私たちの居住空間に・・・。

 中高生の頃、駅の近くに住み、列車の発着と夜汽車の汽笛に思いを寄せ、駅がどこか他なる場所への接合点だと思っていた私には、今様の駅の佇まいは、もはやどこにも他なる場所などありはしないのだと宣告されたように思えてしまうのです。



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6 コメント

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Unknown (九条護。)
2011-06-16 00:06:32
 もう20年も間になりますが、JR大曽根駅でパンを売っていた障害者団体を追い出した駅長を思い出しました。
 そのため、構外の寒風の中で売らざるを得なくなった「わッパン」の方々はどうされているだろうか。

血も涙もないとはこのことだと、当時思った。
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Unknown (さんこ)
2011-06-16 08:52:55
なんと殺伐たる言葉の数々でしょうか。禁止、警告。
駅とは、もっと旅情をかきたてるものでしたよね。
我が飼い主の、娘は失恋の後、ヨーロッパをバッグパッカーとして、さまよった時、イタリアのどことも知れぬ田舎の終着駅についてしまい、途方にくれていたとき、親切な老駅長さんに泊めてもらったり、スイスでも、田舎の駅で助けられたり、と思い出せば、きりがないほど、人間的な扱いを、、暖かい情けをかけてもらった場所として、駅を上げますよ。
この国はいつからこんな警察国家みたいになったのでしょうか?空恐ろしいですね。
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Unknown (九条護。)
2011-06-16 23:22:02
酔っぱらって駅のホームから転落する奴は自己責任なんだから、ホームに電動壁なんか作らなくていいよ。経費の無駄。いろんな国の鉄道見たけど、そんなもの日本だけだよ。

視覚障害の方などには、皆で注意してあげる必要はもちろんあるけど。
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Unknown (maotouying)
2011-06-17 20:44:52
中国にもありますけど。
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Unknown (六文錢)
2011-06-17 22:32:27
 皆さんコメントありがとう。
 
■九条護。さんが「わっパン」をご存知とは・・・。
 「当時は思った」が今は?

■さんこさん ひとつひとつはともかく、その掲示が実に多いのです。まったく煩わしいばかりにこれでもかこれでもかと多いのです。
 「駅構内の美観を損なう抑圧的な掲示は禁止」というのを貼り付けましょうか。

■九条護。さん
 必要度の比較検討は場所ごとにすべきでしょうが、あっても無駄ではないでしょう。新幹線の通過駅などではずいぶん前から設置されていますが、時速ン百キロで通り抜ける列車から身を護るためには必要なのでは?

■maotouyingさん
 中国の鉄道網、並びに鉄道そのものの発展、著しいようですね。
 かつて、 ジャ・ジャンクーの映画「 PLATFORM/站台」(2000年)を観た折、その映画で描かれた1980年代半ばの旅する劇団の若者たちがはじめて列車を見て感動する場面があり、それを観ていた私も感動したものです。
 映画そのものもいいものでした。
 
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Unknown (maotouying)
2011-06-17 23:22:31
この映画前から観たいと思っていたのですが、レンタルビデオになってますよね?探しても見つからなくて。

ただし、現実の中国の站台には、はっきりいって風情らしきものは何もないです。発車の20分ほど前にしか人を入れないし、改札すればみな怒涛の人波となってなだれ込むし、站台票(入場券)も、切符がないと買えません。

そのかわり、待合室の乗客たちには“風情”がありますよ。こないだも、巨大なドンゴロスを天秤棒にぶら下げた瞳の茶色いおっさんたちが、天津、北京、太原と出稼ぎを続けて、4年ぶりにカシュガルまで帰るんだといっていましたが、どうやらお金が貯まったので、故郷に帰ったら“所帯を持つ”らしく、ほんとうに嬉しそうでした。
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