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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

鳥たちと喧嘩をして獲る桑の実 そしてハツシモ

2011-06-10 15:26:49 | よしなしごと
 先日、桑の実が熟し始めたのをお知らせしましたが、今週、もう二回ほど収穫いたしました。今年は豊作です。
 二回とも、娘が勤める学童保育のおやつになりました。
 「まだ食べそうかい?」と尋ねると、「食べるよ」というので、また来週、二回ほど獲るつもりです。

        
 
 去年も書いたかも知れませんが、この実の収穫はムクドリやヒヨドリとの喧嘩になります。
 私がざるを持って出ると、それまで桑をついばんでいた彼らが非難がましく鳴きわめいて飛び立つのです。
 それを聞くと、一体誰がこれを育てたと思うんだ、ある日どこからともなくやって来て庭の隅でひょろっとしていたのをここまで育てたのは誰だ、虫が付きやすい葉なので懸命に防御したのは私ではないか、といまいましく思うのです。

        

 それに、それほど手をかけてきた私の方は、彼らがついばみに来るのを寛大にも追い払うでもなく、むしろ歓迎してやっているのに、その私に対してその非難がましい書き声はなんだ、とつい思ってしまうのです。
 私がとっている間、少し離れていますが、時々様子を見に来て「ギャー」と騒ぎます。「まだ居やがると」いわれているようで心穏やかではありません。

 そんなわけで、私の桑の実摘みは、童謡の「赤とんぼ」のような情緒とはいささか異なってしまうのです。

          
              苗代から運ばれ田植えを待つ

 ちょうどこの時期、このあたりでは田植えがはじまります。
 他ではとっくに終わって、もう、30センチほどにななろうかという時期になってやっとなのです。
 それは、岐阜県産米のハツシモがその名の通り霜が降りだすころ獲れるいわば遅場米だからなのです。

 そして、その味はというと、新米の間はコシヒカリなどに譲ることはあっても収穫後どんどん旨くなり、年を越せばたいていの米には負けないといわれています。

        
                  そのワンブロック
  
 ネットで検索したら以下のような記述がありました。
 決して、岐阜のPRページからとったのではありません。

 「ハツシモは、岐阜県の代表品種で、主に岐阜県でしか栽培されていない珍しいお米です。 収穫量が少ないので幻の米ともいわれていて米粒は、お米の中でも1、2を争うほど大きくてあまり粘らないので中京、関西では古くから寿司米としても重宝されています。」

 「ハツシモは国内産お米の中で1、2を争うほど大粒で中飴色を呈し、光沢も良く、収穫後の夏場を迎えても食味の低下が少なく また、ご飯は冷めてもおいしいので お寿司にもピッタリで<匠の米>とも愛称されています。」

        
          このヒョロちゃんが日本で有数の大粒の米を宿すとは・・・

 どうです、なかなかのものでしょう。
 でも、田植えが終わったばかりの苗ってなんか頼りなげですね。
 これからの風雨に耐えて数ヶ月、しっかりがんばれよと声を掛けたくなるほどです。

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5 コメント

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Unknown (九条護。)
2011-06-11 01:06:47
田植えの季節の水田を見ていると清々しい気持ちになります。水田は美しい。

岐阜も愛知も三重も、お米は美味しいと思います。
宮城、山形、秋田のように、ブランド化して販売戦略を立てれば、きっと、トップブランドになれると思います。

そのためには、まず、民主党の農家の個別補償という愚策をやめさせなければならないですね。この政策のために、補助金目当てで集約的農業に協力しない農家が増えてしまいました。これでは農業が自分で自分の首を絞めるようなものです。
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Unknown (りいら)
2011-06-11 11:46:29
ご無沙汰している間のもう桑の実の季節になりました。3Dじゃなくとも、飛び出してみえるほど美しい実の写真ですね。今年も何回も食べましたが、一番美味しい・・と思っていた木が宅地にするために切られていたりです。
母(94歳)がずいぶんと元気になり2日間試験的に帰宅しているので、今日帰院する途中食べさせてあげようと思っています。いつも子供のころ口を真っ赤にして食べた思い出を話しますので。
何かといそがしく、今年はもっぱら途中にある木からとってそのまま食べるということで、昨年のように籠を持っては行っていません。

モーレンカンプふゆこさんの歌集が友人達にも好評で、感想と県立大学での講演か座談会の依頼の手紙を書いているところです。
止まってしまった時計もネットで聞けますね。

先日カトリック教会で花壇の手入れをしてくださっている女性が、手を休めずフィリピンでのむごたらしい戦争体験を話してくださいました。

先月末よりFacebookをはじめましたが、はじめて2時間後にオランダの友人から声があがり、毎日いろいろな国の人と話し、写真を見、動画、音楽を聴いています。、ケイタイはキライ、ミクシィもツイッターもやらない私ですが、苦手の英語で(辞書をひいても間違える)はまっています。
震災後の現状を正しく伝えたいけど、余りに情けないことばかりで、ふゆこさんが「私は日本という国が恐ろしい」と書いておられるのがよくわかります。
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Unknown (六文錢)
2011-06-11 14:12:05
>九条護。さん
 民主党の農業政策を擁護するつもりはありません。
 しかし、ここまで日本の農業をダメにしたのは、農村を票田としてしか見ようとせず、理念なき紆余曲折を続けたきた自民党の農政支配にこそあると認識しています。敢えて言えば、民主党のそれはその後追いのようなものです。
 自民党農政のその中心になったのが、1961(昭和36)年に制定された農業基本法ですが、それは概略以下のようなものでした。

 <しかしその農基法農政は、産業としての農業の実現すらかなえられず、ただ単に中央集権体制の産物として全国一律に農業の工業化マニュアルを、補助金付きで提供したに過ぎなかった。そして施策を実施していくために、数限りない補助事業や助成事業を金融制度と絡めてセットにして誘導するという、いわば「目の前に補助金というカネをぶらさげて食いつかせて従わせる」という今日に至る農政の施策パターンの原型を誕生させていった。

 そしてそれは、結果的には、農業とはかけ離れた領域での公共土木工事事業が利権がらみで拡大すると共に、関係機関や組織が、ありとあらゆる手段で関係省庁にこびながら予算確保に飛び回り、官僚が頭にのるというシステムだけをつくりあげてしまった。またこの仕組を支える役目を結果として果たしたのが審議会で、委員に省庁の職員や官庁と関係の深い学識経験者、OBが入ることが多いため、審議するというよりもむしろ官僚主導で政策決定する際の便利なサロンとして成立し続けてきた。>
 
 こうした背景の中で最も愚作だったのは70年代の減反政策で、これこそ農業の自立を放棄した政策であったといわざるを得ません。

 にもかかわらず美味しいお米を作り続け、そこに活路を見出そうとしてきた個別の農家や農民の方々には敬意を持っています。
 私は毎日、窓越しにそうした人々の作業を見続けています。
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Unknown (六文錢)
2011-06-11 14:25:41
>りいらさん
 お久しぶりです。
 桑もいろいろあって、従ってその実の味も微妙に違うようですね。
 一番美味しかった木が伐られてしまったのは残念でした。

 モーレンカンプさんの話、実現するといいですね。

 フィリッピンでの戦争の話ですが、私の実父がとなりのビルマ(現ミャンマー)での、かの悪名高いインパール大作戦で戦死しています。
 むろん、あの戦争の加害者であり被害者でもあったわけです。

 Facebook、一応加入しましたが、その有効な使い方がまだよく分かりません。

 
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Unknown (九条護。)
2011-06-12 19:06:12
しかし、ここまで日本の農業をダメにしたのは、農村を票田としてしか見ようとせず、理念なき紆余曲折を続けたきた自民党の農政支配にこそあると認識しています。敢えて言えば、民主党のそれはその後追いのようなものです

?ごもっとも。激しく同意。最後の、「敢えて」以下も含めて。
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