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嘘ではない良い嘘 映画『グッド・ライ いちばん優しい嘘』を観る

2015-04-23 11:22:32 | 映画評論
 年間、70本の映画を劇場スクリーンで観たのは何年前だったろうか。その年は、キネ旬ベストテンのうち、7、8本は観ていた。
 今はそれほどの体力も気力もない。スクリーンで見る映画が好きなことには変わりないが、わざわざ出かける機会がうんと減ったのだ。

 ひとつには、わが街岐阜にあった名画座系が消滅して、それらしい映画というと名古屋まで出なければならないことにもよる。みみっちい話だが、交通費で換算すると、シニアの入館料よりはるかに高額になる。

 したがって、映画を見る機会は名古屋での所用との組み合わせになる。その点では割合こまめに名古屋へ出る都度、予めチェックした映画を観てはいる。
 先般も、名古屋で若い友人と逢うことになったが、その友人は当然まだ仕事をしているので夕方からということになり、その前に映画を観た。

        

 いつものように事前にチェックしたのだが、どうしてもこれというのが見当たらない。次善の策として、友人に逢う時間から逆算してその前に終るものにした。
 で選んだのが、『グッド・ライ いちばん優しい嘘』だった。
 ネットで見た限りでは、1983年、アフリカはスーダンの内戦で両親を殺された幼い6人姉弟が、アフリカ大陸をさまよいながら、難民キャンプに収容され、なんとそこで13年間を過ごした後、アメリカへの移住を許されるのだが、そこでのカルチャー・ギャップを描いたものとなっていて、状況としては重いものの、そのキャッチからしてストーリー展開はいくぶんコミカルなものかなと思ってしまった。

 にもかかわらず、これを選んだのは、今なおアフリカ各地での戦乱を避けるため、多くの人がヨーロッパへの脱出を目指し、悪質ブローカーの甘言に乗せられ、劣悪な条件下で地中海に挑み、何千単位での遭難者を生み出しているという最近のニュースとの類縁性を感じたからである。

        

 結論からいうと観て正解だった。
 前半の脱出劇そのものがアフリカの美しい風景に不釣り合いなほど凄惨で、彼らのアメリカ移住にはホッとさせられるものがあった。
 マクドナルドも電話すらも知らない彼らが体験するカルチャー・ギャップは、しかしながら、まさに彼我の世界と人間のかかわりの違いを示していて、始めに想起したようにコミカルなものではけっしてない。
 むしろ、そこでは、現代人が生産性や効率という名のもとにとっくに捨ててしまった高潔ともいえるモラルとプライドを、彼らが日常的に保持していることが際立つ。

        

 例によって、詳細は語らないが、最後のストーリー展開はいくぶん無理があるものの、それを無理と感じる私たちのほうがようするに俗なのかもしれないとも思う。
 スーダン人の姉弟がそれぞれ個性的でいいなぁと思ったら、彼らは実際のアフリカ難民だという。
 彼らをむかえ、当初はいくぶん投げやりながら、次第に心を開いてゆく職業紹介所の職員キャリー(リース・ウィザースプーン)の役どころもよかった。
 どうでもいい話だが、この人、朝ドラ「マッサン」でキャサリン役をしていた濱田マリさんにちょっと似ている。

 そんなわけで、当初期待をして観に行って外れる映画もあれば、さほどに思わないままにいって当たりのものもある。今回は後者だった。

        

 それにしてもこの映画の冒頭のスーダン内戦は1983年なのだが、それ以後30年以上を経た今も、なおかつアフリカ大陸に戦乱が吹き荒れているのは、人類は進歩どころか愚かな破局への行進を続けているのではないかとさえ思われる。
 彼らの悲惨は、おそらく、私たちが相対的に安穏と暮らしていることとどこかでつながっているはずだと思う。

 その後、若い友人とこの映画も含めて語り合った。
 日照時間が少なかった4月にしては、温かい夜であった。



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