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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

金木犀が「淫ら」ということではありません。

2009-10-17 15:43:47 | 花便り&花をめぐって
 昨日のことです。
 久々に母の亡くなった病院の方に足を運びました。といっても近くに所用があり、自転車で出かけたのですが。
 帰途、秋の陽はすっかり西に傾き、夕映えの中に風景がくっきりと輝いていました。
 ちゃんとハサ木にかけられた稲の向こうに立派な家が輝いてました。その辺りまで来るとむせかるような金木犀の匂いが立ちこめています。その発信元を探すと、その立派な家のすぐ左にその木はありました。

 

 

 こんもりとまあるく刈り込まれていて、その回りにびっしりと花を付けています。
 もう少し近寄ってみましょう。え?もっとですか?巧く写るかなぁ。

 

 嫌いではないのですが金木犀の匂いはどこか淫らな感じがします。もちろん、金木犀そのものにそうした趣があるのではなく、そう感じてしまう私の淫らさの反映なのでしょうが・・・。
 ちょっと匂いが強すぎるからかも知れません。

        

 花の色や匂いは、いずれにしてもその生殖に関連するものですから、そのアピールが強烈すぎるものに多分、私が圧倒されるのでしょう。
 匂いではなく視覚でいったら桜や百合がそれに相当するでしょうか。
 
 古来より桜は魔性を招くとされていますが、その中には美しさを通り越したある種の淫らさもあるようです。近年では、林あまりさんが作詞をした「夜桜お七」などもそうです。
 百合については時実新子さんの次のような川柳もあります。

    百合みだら五つひらいてみなみだら

 あ、またまた脱線王子(?)の本領発揮で話が逸れました。
 まあ、様々な情感がそうであるように、とりわけ淫らなどという情感はその相手が発するというよりそれを受け止める側のものであってみれば、やはり淫らなのは私の方なんでしょうね。

 

 写真を撮り終えて、自転車でその場を遠ざかるにつれ、その匂いは次第に薄れ、刈ったばかりの稲藁の匂いが辺りを支配するようになりました。
 振り返ると、秋の雲が少し夕日に染まりはじめていました。

<おまけの笑い話>
 お母さんと歩いていた女の子、香水を付けた女性とすれ違いざま、
 「お母さん、この人、トイレの匂いがする」。

 お分かりですね。トイレの防臭剤は金木犀に類似したものが多いのです。


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3 コメント

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Unknown (りいら)
2009-10-17 17:16:20
金木犀の香りには思い出がついてまわりますね。
私は銀木犀・・もっと好きな香りが柊の花です。
谷崎純一郎の旧邸に泊めていただいた時、下賀茂神社の糺の森でふっと床しい香りが・・次の朝が見てみると日本柊でした。

金木犀というと桂林を思います。
中国は、こういう濃厚な香りがお似合いだと思われます。
上海から出かけた時、途中からあの奇岩が立ち現われ、乗り場には雲南などからの少数民族が市を作っています。その時申し訳ないほどの値段で買った黒檀?の少女の面は今でも魅入るほど・・。
金木犀の切手も少し買いました。
船の中では川海老の炒め物とか青菜の炒めなど素朴だけどうまい料理をいただきました。 

近くでまた行ってみたい第一の場所です。
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Unknown (冠山)
2009-10-18 13:49:21
稲藁─にお─の匂いはいいですね。先夜、近所の散歩をしましたが、暗がりのなかであの匂いにつつまれ、一瞬村の子どものころに戻り、いつの間にか、稲架の下でかくれんぼしていて、なつかしく歩きました。金木犀の香りは桂林酒の思い出となります。奇岩に見とれた一日、たっぷりいただきましたが、それで満足しないで、持ち帰ろうしました。ところが新装したばかりの桂林飛行場の入り口で落として割ってしまった。残念。金木犀の甘い美酒は桂林で呑めばいい、ということだったでしようか。金木犀の香は今もあの口惜しさとともにあります。
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Unknown (六文錢)
2009-10-18 17:52:35
>りいらさん
>冠山さん
 お二人とも期せずして桂林の想い出に重なりましたね。
 りいらさんはおいしかった想い出など、冠山さんはちょっと残念だった想い出ですね。

 桂林、一度は行ってみたいですね。
 前に、TVのドキュメンタリーを見ていたら、観光船の傍らでたった一羽の鵜を使って昼から鵜飼いをしている人が出てきて、夜、篝火を焚いて鵜匠が一人で鵜を10~12羽つかう長良川のものを見つけてきただけに、彼我の違いがとても面白く感じられました。
 なんだか時間の流れも違うのではと感じたものでした。
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