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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

六も歩けば春うらら

2013-03-23 04:22:24 | 写真とおしゃべり
 「歩くために歩く」のは苦手ですからとくにウォーキングなどということはいたしません。
 その代わり、時間が許せば多少の距離は歩きます。

    
          大根の斬首刑?           私にゴッホの才能があれば
 
 どんなポンコツであろうが、所定の年数には車検というものを受けねばなりません。
 21日、いつもの工場にそれを入れました。
 代車などというものは借りません。

 
        岐阜駅方面遠望               あぜ道での歓談

 車検は一日で済みますから、その間乗らなければいいのです。
 その日はそこへ車を入れてから、近くのバス停から市立の図書館へ行きました。
 帰りもバスでした。

 翌日、車をとりに行くために歩きました。
 私の家から東へ歩き、突き当たった川沿いに上流方向(北)に向かって歩きます。

 
          孤独               丸々と太った鯉体長は70cmほど

 昭和30年代の高度成長期には、工場排水や家庭排水が垂れ流しでヘドロが溜まり、メタンガスのあぶくが見られたような川でしたが、今は見たところ落ち着き、魚たちも戻って来ました。

 
                   ヒドリガモたち

 それとともに、水鳥たちも姿を見せ始めました。
 カワセミや垂直ダイビングのコアジサシも時折見かけます。
 今はカモの仲間たちです。

 この日はかなり広い範囲にヒドリガモが遊んでいました。
 彼らはとても利口で、私が近づくとツツツツーと対岸の方へと距離をとり、測ったように一定の距離まで離れます。なかなかアップでは撮らせてくれません。

    

 ところで、この道は懐かしいのです。
 最近はめったに来ませんが、かつては、飼っていた「寿限無」という犬をよく散歩に連れてきたことがあるからです。

 あれよあれよと右肩上がりで進んだ高度成長がバブルのはじけでストップし、その後もリーマン・ショックで投資や開発が進まないなか、このあたりはこの2,30年というものあまり変わっていません。

 
                それぞれ、八重の椿と梅

 鳥を見て、鯉を見て、花を見ているうちに工場へ着きました。
 車を受け取り、うちまではほんの数分です。
 たしかに便利なのですが道草ができません。
 あたりをきょろきょろ見回すこともできません。

 

 うちへ帰ったら、昨日まで黄色いものがポツポツ見えていただけのレンギョウがいっせいに花開いていました。

 ほんとうはいろいろ宿題があってそれほどのんびりはできないのです。
 でもやはりノホホンとする時間がないとやりきれません。
 などと自分に言い訳をするのですが、ともすればノホホンばかりが続いて、つまるところ所定の期限が迫って追い詰められてジタバタするというのがいつものパターンなのです。

    
          大木の貫禄        こういう雑然としたのって好きだなぁ

 この分でゆくと、死期が迫ってもやり残したことばかりでとても往生はできませんね。
 もっとも、所詮は悟りや往生とは無縁な衆生と居直っていますから、さほど気にしてはいませんが。

 それでも親鸞さんは、そんな凡夫の私でもお念仏さえ唱えればといってくれていますがそれもしていませんね。心のなかでということでおまけしてはもらえないものでしょうか。
 
 アレ、なんの話だっけ。
 


 

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