■第八日 8.8 実質最終日
昨日休みだったルーブルヘ 8時半前に着いたがもう200人ほどが並んでる 開門は9時
開門待ちの行列の間を、警察犬をつれた警官がパトロール 持ち物検査もものものしい
ルーブルは大英博物館同様、収蔵物が多すぎる マップで予めチェックしておいためぼしいものとその周辺を中心に観ることとする
美術の教科書に載っているようなものに「あ、実物だ」と感心している私ゃ完全にお上りさん やはり人気は「ミロのヴィーナス」と「モナリザ」 ヴィーナスはなんとか正面から撮れたが、モナリザは正面には行くことすらできなかった
まだまだ観るべきものはあるのだが足の疲れが限界 とにかく広くて移動にも大変なのだ
一応まあまあというところで切り上げて、シャンゼリゼから凱旋門へ コンコルド広場からがシャンゼリゼ散策の出発点なのだそうだが、それでは死んでしまう 地下鉄でジョルジュⅤまで行く ここまでくれば凱旋門まで500mほど
凱旋門の上に登ることが出来るとのことだが長蛇の列 戦中戦後の配給世代は並んで待つのは嫌い 諦める 長い地下道を通って向こう側へ ロンドンのシティもそうであったがそちらの方向には新しい高層ビル群がほの見える
エッフェル塔も先端部分だけだが観ることができた
パリの二日間はオルセーとルーブル主体でそこで人類が生み出した多彩な「制作品」、多様な表現とその方法を堪能することができた こういうものを観ると、人間って動物もまんざら捨てたものではないなと思う
ホテルに戻ってから近くのパサージュを見て回る フーリエやベンヤミンイメージしたものとは違い、すっかり商業設備として組み込まれている
百貨店プランタンは外観だけ サンラザールの駅構内を散策し、列車の発着風景を観る
最後のパリの夜 駅近くのオープンカフェで過ぎゆく人々を眺めながらワインとチーズなどを楽しむ
明朝はオペラ座横のロワシーバス乗り場からドゴール空港を目指す フィンエアを利用した関係でヘルシンキ空港経由でセントレアヘ
かくてわが晩年の旅、「二都物語」は終わりを告げようとしている
【12.4キロ 21,311歩】
昨日休みだったルーブルヘ 8時半前に着いたがもう200人ほどが並んでる 開門は9時
開門待ちの行列の間を、警察犬をつれた警官がパトロール 持ち物検査もものものしい
ルーブルは大英博物館同様、収蔵物が多すぎる マップで予めチェックしておいためぼしいものとその周辺を中心に観ることとする
美術の教科書に載っているようなものに「あ、実物だ」と感心している私ゃ完全にお上りさん やはり人気は「ミロのヴィーナス」と「モナリザ」 ヴィーナスはなんとか正面から撮れたが、モナリザは正面には行くことすらできなかった
まだまだ観るべきものはあるのだが足の疲れが限界 とにかく広くて移動にも大変なのだ
一応まあまあというところで切り上げて、シャンゼリゼから凱旋門へ コンコルド広場からがシャンゼリゼ散策の出発点なのだそうだが、それでは死んでしまう 地下鉄でジョルジュⅤまで行く ここまでくれば凱旋門まで500mほど
凱旋門の上に登ることが出来るとのことだが長蛇の列 戦中戦後の配給世代は並んで待つのは嫌い 諦める 長い地下道を通って向こう側へ ロンドンのシティもそうであったがそちらの方向には新しい高層ビル群がほの見える
エッフェル塔も先端部分だけだが観ることができた
パリの二日間はオルセーとルーブル主体でそこで人類が生み出した多彩な「制作品」、多様な表現とその方法を堪能することができた こういうものを観ると、人間って動物もまんざら捨てたものではないなと思う
ホテルに戻ってから近くのパサージュを見て回る フーリエやベンヤミンイメージしたものとは違い、すっかり商業設備として組み込まれている
百貨店プランタンは外観だけ サンラザールの駅構内を散策し、列車の発着風景を観る
最後のパリの夜 駅近くのオープンカフェで過ぎゆく人々を眺めながらワインとチーズなどを楽しむ
明朝はオペラ座横のロワシーバス乗り場からドゴール空港を目指す フィンエアを利用した関係でヘルシンキ空港経由でセントレアヘ
かくてわが晩年の旅、「二都物語」は終わりを告げようとしている
【12.4キロ 21,311歩】
素晴らしい二都物語でした。
たっぷりの写真付きで、おすそ分けしていただいた気分です。
それだけに、行ってみたい、うらやましい、が本音です。
80歳目前にしての初めての西欧中心部訪問でした。
漂着者さんも機会を見て是非とお勧めします。
というのは、今回は添乗員抜きの自己責任の旅で、自分の行きたいところへ行くことが出来たのですが、そのためには、ちゃんと歩行できる足腰(街歩きもですが、美術館などの西欧のそれは規模が大きく、これを観るだけでずいぶん距離があり、疲れるのです)の丈夫さと、自分で調べてゆくという気力が必要なのです。
私の場合は、年齢からいってもギリギリでした。
ですから、漂着者さんも体力や気力をお持ちのうちにとお勧めします。
添乗員付きのツアーではなくてお出かけになれば、費用もぐんとお値打ちです。今回の私の旅も、いろいろ合わせて10日間で30万円をやや越えるほどで収まっています。
どこかで思い切らないと機会を逃しますね。
西欧の旅は未経験です。
若いころはインド、ネパール、スリランンカなどを500円くらいの安宿で泊まり歩く、
行き当たりばったりの一人旅が中心でした。
インドは朝飯が5円くらい。
下痢や発熱も経験しました。
現地の医者へ行ったこともあります。
そろそろ、もう少しゆとりのある西欧の旅で結びたいと思っています。
一週間ぐらいの間、日本軍が三光作戦を展開した地方でその足跡をたどり、多くの住民が被害に遭った場所では謝罪と鎮魂の祈りを捧げ、黄河を挟んだ延安地方からの八路軍のゲリラ作戦の模様、毛沢東の渡河にまつわるもはや伝説化した物語の痕跡を見て歩きなどしました。
その後、その全く素朴で自給自足的な色合いが残る地方も、休息に貨幣経済の波に飲み込まれ、かつての山村共同体の色合いを失っていったようです。
その折の記事は以下並びにその周辺にあります。
https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20111109
https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20111110
ようするに、中国も今、広い視野でいえば西欧の切り開いてきた近代のなかに飲み込まれようとしています。
その西欧文明に触れるのが今回の旅でした。
そういうバックグラウンドがあったのですね。
二都物語、ますます興味深いです。
ご無沙汰しております。獏眠です。mixiの投稿が切れたので、お具合が悪いのかと思っていました。
元気で世界を回っておられる由、安心しました。
こちらこそご無沙汰致しております。
80歳を目前にし、なんとかよたよたしながらも生きています。ヨーロッパ行は冥土の土産です。