以下は、モーレンカンプふゆこさんの歌集『定本 還れ我がうた』(冬花社 2011)を読んでの感想です。一口に言うと、中味が濃くて、どの一首も緊張感なく読み過ごすことができない感じがあります。エッセイを含むその全体の構成もドラマティックなものがあります。
言葉の力というものを考えてみる。
論理的な説得力や、科学的論証や、小説などの内容による了解という言葉の機能とはまた少し違った意味でである。例えば、端的にいってそこに言葉があるということによるもの、言葉という磁場が生み出すトポスのようなものについてである。
伝達のツールで終わらない「もの」やオブジェとしての言葉の力といっていいかも知れない。
ふつう、私たちは言葉のそうしたありようを意識しないままで会話をし、書いたり読んだりしている。しかし、ある特異な条件下でそうした言葉の力が露呈することがある。
例えば、母語と引き離されて暮らすとき、あるいは一定の期間を置いてそれと向き合うときなどである。
モーレンカンプふゆこさんの場合はそれに相当する。
彼女は、22歳で単身、海外に出、アメリカで国連職員と勤務した後、オランダに渡りそこで結婚し二児を育て、ライデン大学などで教鞭をとったりした。
その経歴を回想したうたに以下のものがある。
国を出しとき止まってしまった我が時計巻いても巻いても二十二歳
なお、このうたを引きながら「止まってしまった時計-----モーレンカンプふゆこのうた」というラジオドラマがNHKで放送されたことがある(1987年)。
20年近くの母語との離別のあと、彼女が出会ったのは日本の「うた」であった。日本語の「うた」は何かを意味するという言葉の機能をも超えて直裁的であり、したがって翻訳が困難だと思われる。加えて、その七五調は日本語に内在するリズムであり日本人の感性ときわめて親和的である。
彼女は、そのあとがきの冒頭にこう記す。
「一九八四年、初めて朝日歌壇に入選してから、私は毎日うたを書きました。きっと忘れていた母国語が、幽霊のようになっていた私と日本とを、そして私と私の心とをつないでくれたに違いないと思うのです。」
ここには上に見た「言葉の力」が率直に表明されている。「幽霊」のようだった彼女が再び見出したのは母国語であり、そこにある万葉の昔から秘められたメロディとリズムだったのである。
彼女が朝日歌壇にデビューしたのはこのうたであった。
ひっそりと君の異国の子守唄ゆれし背中にゆれし夕やけ
これは彼女の出産に際して、その子を抱くオランダ人の夫君が歌う子守唄の情景であるが、そこにも「異国の子守唄」という形で言葉への関心が観て取れる。
その少し後に採用されたうた(近藤芳美選で年間秀歌に推されている)はこうだ。
異国語でつづりし哀しき童話ゆえ我が混血の子ら毛布かぶり聞いてくれしよ
ここにも言葉への対峙と関心がある。
その他にも言葉に対し自己言及的に触れたうたが多いのも、先に見た彼女の母語との離別と再会という境遇によるものだろう。
新しき単語も覚え母国語も忘れぬように塵もはらいて
こうしたキャリア故に、この歌集には彼女のコスモポリタンとしての広がりと、にもかかわらずどうしようもなく滲み出る望郷のうたとが同居している。
例えばこれは、多分オランダの彼と結婚した折のうたであろう。
窓口で法律用語を調べつつ日本国籍破棄を告げたり
そしてさらにはこんなうたもある。
「地球人」と答えて胸の燃ゆるなり祖国と引きかえに得し答えゆえ
一方では、その反作用のような切々とした望郷のうたも多い。
異文化の壁に囲まれ独房の刑受けるごと祖国捨つれば
祖国捨てし罪の意識をひたすらに「愛」と名づけて淋しきものを
国からの文を読みつつ泣きにけり国の言葉は父ははのごと
万葉も古今も子規も知らねども国の言の葉噛めば酔いくる
この後半の二首はやはり言葉の力へと回帰する状況を示している。
ここに載せられた一首々々は三十一文字に過ぎないが、それらの集まりと、うたの間に差し挟まれたエッセイを通読してゆくと、そこにはまるで大河ドラマのような彼女の生き様が浮かび上がってくる。
彼女のこの書の、本文の最後を飾るのはこのうたである。
町中の運河にかかる橋あまた橋をわたりて生きてゆくべし
まことにオランダらしい風景であり、かつまた、まことに彼女の生き様にふさわしいうたというべきであろう。
なお、彼女は自分の生涯の集大成としてこの書を編んだようであるが、まだまだその人生は長い。これを序章としたうたを是非、今後も目にしたいものである。
言葉の力というものを考えてみる。
論理的な説得力や、科学的論証や、小説などの内容による了解という言葉の機能とはまた少し違った意味でである。例えば、端的にいってそこに言葉があるということによるもの、言葉という磁場が生み出すトポスのようなものについてである。
伝達のツールで終わらない「もの」やオブジェとしての言葉の力といっていいかも知れない。
ふつう、私たちは言葉のそうしたありようを意識しないままで会話をし、書いたり読んだりしている。しかし、ある特異な条件下でそうした言葉の力が露呈することがある。
例えば、母語と引き離されて暮らすとき、あるいは一定の期間を置いてそれと向き合うときなどである。
モーレンカンプふゆこさんの場合はそれに相当する。
彼女は、22歳で単身、海外に出、アメリカで国連職員と勤務した後、オランダに渡りそこで結婚し二児を育て、ライデン大学などで教鞭をとったりした。
その経歴を回想したうたに以下のものがある。
国を出しとき止まってしまった我が時計巻いても巻いても二十二歳
なお、このうたを引きながら「止まってしまった時計-----モーレンカンプふゆこのうた」というラジオドラマがNHKで放送されたことがある(1987年)。
20年近くの母語との離別のあと、彼女が出会ったのは日本の「うた」であった。日本語の「うた」は何かを意味するという言葉の機能をも超えて直裁的であり、したがって翻訳が困難だと思われる。加えて、その七五調は日本語に内在するリズムであり日本人の感性ときわめて親和的である。
彼女は、そのあとがきの冒頭にこう記す。
「一九八四年、初めて朝日歌壇に入選してから、私は毎日うたを書きました。きっと忘れていた母国語が、幽霊のようになっていた私と日本とを、そして私と私の心とをつないでくれたに違いないと思うのです。」
ここには上に見た「言葉の力」が率直に表明されている。「幽霊」のようだった彼女が再び見出したのは母国語であり、そこにある万葉の昔から秘められたメロディとリズムだったのである。
彼女が朝日歌壇にデビューしたのはこのうたであった。
ひっそりと君の異国の子守唄ゆれし背中にゆれし夕やけ
これは彼女の出産に際して、その子を抱くオランダ人の夫君が歌う子守唄の情景であるが、そこにも「異国の子守唄」という形で言葉への関心が観て取れる。
その少し後に採用されたうた(近藤芳美選で年間秀歌に推されている)はこうだ。
異国語でつづりし哀しき童話ゆえ我が混血の子ら毛布かぶり聞いてくれしよ
ここにも言葉への対峙と関心がある。
その他にも言葉に対し自己言及的に触れたうたが多いのも、先に見た彼女の母語との離別と再会という境遇によるものだろう。
新しき単語も覚え母国語も忘れぬように塵もはらいて
こうしたキャリア故に、この歌集には彼女のコスモポリタンとしての広がりと、にもかかわらずどうしようもなく滲み出る望郷のうたとが同居している。
例えばこれは、多分オランダの彼と結婚した折のうたであろう。
窓口で法律用語を調べつつ日本国籍破棄を告げたり
そしてさらにはこんなうたもある。
「地球人」と答えて胸の燃ゆるなり祖国と引きかえに得し答えゆえ
一方では、その反作用のような切々とした望郷のうたも多い。
異文化の壁に囲まれ独房の刑受けるごと祖国捨つれば
祖国捨てし罪の意識をひたすらに「愛」と名づけて淋しきものを
国からの文を読みつつ泣きにけり国の言葉は父ははのごと
万葉も古今も子規も知らねども国の言の葉噛めば酔いくる
この後半の二首はやはり言葉の力へと回帰する状況を示している。
ここに載せられた一首々々は三十一文字に過ぎないが、それらの集まりと、うたの間に差し挟まれたエッセイを通読してゆくと、そこにはまるで大河ドラマのような彼女の生き様が浮かび上がってくる。
彼女のこの書の、本文の最後を飾るのはこのうたである。
町中の運河にかかる橋あまた橋をわたりて生きてゆくべし
まことにオランダらしい風景であり、かつまた、まことに彼女の生き様にふさわしいうたというべきであろう。
なお、彼女は自分の生涯の集大成としてこの書を編んだようであるが、まだまだその人生は長い。これを序章としたうたを是非、今後も目にしたいものである。
このブログをプリントアウトして。喜んでくれることと思います。六文銭さん、有り難うございます。
* 句集読み 「朝日」で見た歌 追い求む 思い出すはただ あのときの驚き
* ふゆこ歌集 魂の叫び ひりひりと 何故に歌人は かく繊細なる
* ふゆこさん 「定本」読んで あまりにも 圧倒されて コメントできず
* 言の葉の 力ぞまさに ここにあり 真摯で必死 鬼気迫りくる
* 「六文銭」さん ふゆこさん見る目 温かく 人柄偲ばれ ”こちら”もフアンに
いらっしゃいませ。
ふゆこさんの歌、まさに言葉の力を感じますね。
そしてその言葉へと託すふゆこさんの心の強度とベクトルのようなもの…。
YokiDokiさんの短歌ではないとおっしゃる三十一文字、私がごちゃごちゃと述べた感想を極めて簡潔にすっきりとお述べになっていらっしゃると思います。
また、お越しください。