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「真珠のボタン」はどんな色に輝いていたのか?

2015-12-13 14:12:21 | 映画評論
 12日、ある会合の前に今年最後になるかもしれない映画を観た。
 岐阜を出て、名古屋のその会合に出る前の時間調整にということで、気になっていた映画のなかから、もっぱら時間的な段取り主体でセレクトしたのだった。しかし、それは間違いであった。
 映画がダメだったのではない。そうではなくて逆に、そんな消極的な理由からではなく、もっと積極的に見るべき映画だったことを痛感したのだ。

             

 チリのドキュメンタリー監督、パトリシオ・グスマンの手になる『真珠のボタン』は、私たちの殆どが知らないままに過ごしてきた過去の現実を、美しくかつ貴重な記録映像とともに繰り広げる。

 映画は、チリの最南部に住んでいたかつての先住民・インディヘナ(よくインディオといういい方をするが、それは差別語だというのをこの映画について調べる過程で知った)を紹介する前半と、アジェンデ社会主義政権をアメリカと組んで暴力的に打倒したピノチェト独裁時代を語る後半とに分かれるが、それをつなぐキーワードが「真珠のボタン」なのである。

 同時にこれは全編、水をめぐって語られているという意味では「水の記憶」と名づけてもいいようである。事実、映画は、もし水に記憶があり、それを語ることができるとしたらこんな具合にといったかたちで展開される。

             

 前半は、パタゴニア地方に何千人といたインディヘナが、現状ではその純粋な子孫が20人にまでなった歴史的経緯である。それは白人が渡来して以来のことであるが、その象徴が真珠のボタンと交換にロンドンに見世物同様に連れてこられ、「土人の文明化」の実験台にされたジミー・ボタン(と英国人が名付けた)の物語であった。
 なお、映画では語られていないが、この連れ去りにはビーグル号でチャールス・ダーウィンとともに南米に航海した英国海軍軍人、ロバート・フィッツロイが関わっている。もっともこれは、ダーウィンが同乗していない第一回目の航海においてであった。
 もちろんそれだけではない。その後、入植者などによる「インディオ(あえて蔑称を用いる)狩り」などの悲惨が続くのだが、それらは、男女の生殖に関わる局所を切断して持ち帰ると賞金に交換されるというゲーム感覚のジェノサイドとして実施されたものであった。

           

 後半は、20世紀にまで話が飛んで、1973年、アメリカの後押しによるクーデターで民主的に選ばれたアジェンデ政権を倒し、1990年まで大統領に居座ったピノチェトの独裁時代の話になる。
 
 この軍事独裁政権のアジェンデ派への弾圧ぶりは凄惨を極めたという。何か所かに設けられた強制収容所での虐待や拷問は日常茶飯事で、それによるおびただしい死者の亡骸は、砂漠や(同監督の姉妹作品『光のノスタルジア』で描かれているようだがそれは未見)、そしてこの作品で語られているように海洋へと投棄された。
 後半でのボタンは、その亡骸を投棄するときに重しとして使われた鉄塊(それはやっと近年に引き上げられたのだが)に僅かにくっついていた人間の痕跡として残されたものだが、悲惨を通り越した海洋ロマンの趣すら感じさせるエピソードである。

           

 これは映画では描かれていないが、ピノチェトの独裁時代に取られた経済政策が、アメリカのミルトン・フリードマンが主張する「新自由主義政策」で、それらは「チリの奇跡」と華々しく喧伝されたにもかかわらず、アジェンデ時代には4.3%であった失業率が22.5%に上昇するなど、国民の貧困は一挙に進んだのだった。
 そのフリードマンばりの新自由主義路線をひたすら突っ走っているのがほかならぬわが国の現状である。

 こうして見てくると、この映画は悲惨の極みで、重く苦しいように思われるが(描かれている対象はまさにそうである)、しかし、美しく幻想的な描写の数々と、すでに述べたように、水の記憶を聞き取るというスタイルのため、決して醜悪なものではない。むしろ所々の描写は息を呑むほどに美しい。
 ここには、この種のドキュメンタリーがもつ追及や糾弾一方といった感じではなく、人間が為してきた具体的な事実として、むしろ淡々ともいうべき語り口がある。

           

 映画に登場するインディヘナをはじめとする登場者たちの顔つきがいい。そこに刻まれた皺の数々も含めて、人間の表情というのはかくも荘厳に満ちていたのかと思わせるものばかりである。
 哲学者、エマニエル・レヴィナスが語る、顔(visage ヴィザ-ジュ)という現前、「汝、殺すなかれ」というそれが倫理の基盤となるという言葉がうなずける瞬間でもある。

 もはやそれを伝える人が何人かしかいないインディヘナの言葉を聞き取るインタビューのシーンも印象的である。
 いろいろな名詞をその言語に置換してゆくなかで、「神」に対しては「ない。それはなかったから」(あえていうと汎神論か)、「警察」に対してはやはり、「ない。そんなもの必要なかったから」、などが印象的である。

 映画館を出て、暮れなぞむ空を眺めたとき、表現しがたい思いがこみ上げてくるのを感じた。作品の良し悪しなどのレベルを超えて、今年もっとも印象に残った映画であった。

 https://www.youtube.com/watch?v=yu1U3UbdQjI



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2 コメント

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暴力に抗する記憶の映画 (南部)
2015-12-16 00:15:50
こんにちは。この映画は10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭で見ました。最初は人類学映画かと思いきや、植民地主義や軍事政権の暴力といった近代史・現代史に連なる大きな構想の映画であることがわかります。しかも画像のクオリティも高いです。暴力の体験をめぐり、暴力に抗して語り出される記憶と向きあう映画だと思います。
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暴力の系譜 (六文銭)
2015-12-16 00:49:14
>南部さん お久しぶりです。
 この記事にはコメントが付かないだろうと思っていましたが、ご覧になっていて、しかも適切なコメント、嬉しいです。
 
 後で調べてみたら、この監督、パトリシオ・グスマン自身が、ピノチェト政権下で弾圧にさらされた被害者だとのことでした。にもかかわらず、映画は、追及や糾弾、あるいは絶叫調にではなく、その現実を人類史や自然史ともいえるなかに置きながら、その美しい映像とともに、私たちのなかに忘れられない表象を伴ったものとして刻みつけてゆきます。

 これぞ映画という表現形式の醍醐味であろうと痛く感銘いたしいました。同時に、概念的にしか知らなかった先住民へのジェノサイド的な近代の関わり(もちろんチリだけではない)や、ピノチェト独裁政権下のおぞましい暴力体制の実像などを改めて眼前に突きつけられた思いです。
 
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