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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【年初の読書】昭和のはじめの日本を外部の目で見つめる。

2024-01-11 17:14:04 | 書評
        
   *「見知らぬ日本」 グリゴリー・ガウズネル 伊藤愉:訳 共和国

 著者は1906年に現在のモルドヴァに生まれたが、成人をした頃には、17年のロシア革命を経て、ソ連の若者として育った。
 大学卒業後は、詩人、作家、ジャーナリストとして活躍したが、この書は、革命後10年の27(昭和2)年、日本を訪問した若干21歳の彼の日本の見聞録である。
 
 なお、彼はこの折、世界的演出家として知られたソ連のメイエルホリド劇場からの派遣員という肩書で来日しているので、東京、箱根、名古屋、京都、奈良、大阪、そして日本アルプスを巡るという精力的な活動を行っているが、同時に、日本の歌舞伎や人形芝居、それに当時の前衛劇団の演劇などを見て回っている。
 メイエルホリドが歌舞伎の所作などをその演出に取り入れたといわれているが、その折の彼の報告に依るものかもしれない。

 この書の書き出しからまず度肝を抜かれる。敦賀港に上陸した彼は、そこから鉄道で東京へ向かうのだが、その車中での観察を数ページにわたって書き続ける。それ自身も始めて見る光景として面白いのだが、その結果、彼が着いたのは・・・・。彼はそれをサラッとした口調で述べる。
「僕は間違えて東京ではなく下関へ着いてしまった」と。
 そこから彼は、改めて東京へ向かうのである。今でもこの間違いは大きなロスであるが、100年近い前、まるまる一日をフイにしたことになる。しかし、当時のソ連のあの広大な領地からすると、大したことではなかったのかもしれない。

 彼は日本で多彩な人たちに会っている。なかには、私が若い頃まだ存命で各方面で活躍した人たちもいる。
 露文学の米川正夫や芥川龍之介、広津和郎、小山内薫、蔵原惟人、村山知義、千田是也、その他、当時の歌舞伎俳優などなどである。

 私が若い頃読んだ、プロレタリア作家、葉山嘉樹については一章を割き、その著名な作品、「セメント樽の中の手紙」の内容まで詳しく伝えている。
 その他、プロレタリア詩人、井上増吉の詩集「日輪は再び昇る」の中から二篇の詩を紹介している。

 その当時の日本は、まだ大正リベラルの気風が残っていて、アメリカや西洋に憧れるモボやモガがいる一方、左翼気取りの青年たちは、ハンチングにロシア風のコソボロトカやルパシカといったっシャツを着たりしていた。
 しかし、官憲の監視は三〇年代より幾分マシだったとはいえ、すでに結構厳しく、ガウズネル一行にも、尾行がついて回った。
 宝塚市では、サーベルを下げた警官がやってきて、あなたたちに尾行を付けなければいけないのだが、今選挙で忙しくて・・・・と言い訳けに来るような間抜けな場面も登城する。

 日本でガウズネルを案内し、通訳したのは、文中で「ナガタ」と「吉田」であると書いているが、実はこの二人は同じ人物で、杉本良吉だという。彼は杉本のことを高く評価している。
 杉本がいつからメイエルホリドに関心をもち始めたかは知らないが、このガウズネルとの交渉を通じてそれが強化されたことは間違いなかろう。

 ところでこの杉本良吉であるが、私が生まれた一九三八年の一月三日、女優、岡田嘉子とともに樺太でソ連への国境を超えて亡命をする。メイエルホリドを頼ってのことらしい。
 しかしこの頃、ソ連では大粛清の嵐が吹き荒れ、メイエルホリドはスタニスラフスキーなどの社会主義リアリズムの演劇に押され、完全に干されていたのみか、「人民の敵」として糾弾されつつあった。
 そんななかに飛び込んだ杉本は、スターリン直属のGPUの激しい拷問で、自分も、そしてメイエルホリドも反ソのスパイであることを「自白」させられ、自分は翌三九年に、そしてメイエルホリドは四〇年に、銃殺されている。

 ところで、杉本が日本を案内したガウズネルはどうなったのだろうか?
 彼は、帰国し、二九年ではここに紹介した書をソ連で出版し、その他、さまざまな文筆の分野で活躍し、その将来を嘱望されたが、惜しむらくは一九三四年、弱冠二九歳にして病死している。

 しかし、これはある意味で彼にとっては良かったかもしれない。なまじっか長らえていたら、日本で親しんだ杉本が自白を強要され、それに基づきその杉本ばかりか、彼が師と仰いだメイエルホリドも刑場の露と消えるのを目撃せねばならなかったのだから。
 もっともそれ以前に、スターリン派に寝返って、「人民の敵」を抑圧する側に回る可能性もあったのだが、それはあまり考えたくない。

 いずれにしても、この書は私の知らない昭和のはじめの日本を外部からの「新鮮な」目で解釈してくれる刺激的な書であった。
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