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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

景観の移ろい・・・・ついに田んぼが見えなくなった!

2023-10-27 16:29:55 | 写真とおしゃべり
 私がここへ住まうようになってから60年近くになる。わが家の前の道路は、岐阜駅から続く道にも関わらず未舗装で、路線バスとさほど多くない車が砂埃を上げて走っていた。その四方はすべて田んぼであった。近くの空き地の草むらからは、雛鳥を連れた雉の行列もしばしば見られた。ようするに、完全な田園地帯であった。

 やがて道路は舗装され、ぽつりぽつりと建物が増えはじめ、都市郊外特有の田園地帯とその市街地化せめぎ合いが始まった。そのせめぎあいは、この国の経済状況を反映しながら、その速度を早めたり遅めたりしていたが、ここ10年ぐらい前からの急速な市街地化で今や完全に決着が着いたかのようである。

 その指標としてわが家からの田んぼの目視率とでもいうものが挙げられる。当初は、一階のどの方向の窓を開けてもそこには田んぼがあった。そのうちに、一階からでは視野が狭くなり、二階からでないと見えなくなった。
 私の二階からの田んぼウオッチングは何年かにわたって続き、そこから田植えや稲刈りなどの模様を写真に収めたりした。

 しかし、10年近く前からそれも怪しくなり、今年に至ってついにまったく田んぼがその視野から消されてしまった。
 それらの経緯を、かつての写真と現在とを比較しながら観てみよう。

        
        
        

 最初の三枚の写真であるが、稲が青々と波打っているのは2011年9月の風の強い日のものである。
 稲刈りのものは2013年10月、そして子供神輿は翌14年の4月である。

        

 次の白っぽい家がどんと立ちはだかっているのは現在のものである。その向こうの田は、見えなくなっただけではなくもはやなく、広い駐車場をもったコンビニと化している。

        
            

 次に、ポーズを取ってくれている女の子たちのものは2012年の10月のもので、この女の子たち、もう立派な娘さんになっていることだろう。
 この同じアングルからではないが、この子たちの背後の田んぼには、いま、まさにその下のようなアパートが出来上がりつつある。

        
        

 その下の小型のコンバインでの稲刈りは2013年の10月のものであるが、ここな刈り取った稲を稲架掛けをして自然乾燥させていたが、もはやその田はない。
 そしてその田の上には、ドラッグストア-がでんと建っている。

        
        
            
        

 次の3枚はほぼ同じアングルを遠近を変えて撮ったものだが、いまそこを撮ると、その下のようになる。
 ようするに、すぐ手前の田も、道路の向こう側の田も、すべてなくなってしまったということである。

        

 最後はいま、わが家の対面で建設が始まった建物で、長年空地になっていたがもちろん以前は田んぼであった。建つのは小児科医院とのこと。生まれ変わってここの小児科にかかろうかな。

 

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