岩波の『思想』7月号の「E・H・カーと『歴史とは何か』」を特集した号をやっと読了した。
これを読んだ動機は、1962年、清水幾太郎訳の「岩波新書」版でその刊行時に読んだことがあり、加えて最近、教育実践の立場から高校教諭の小川幸知司氏が著した岩波新書の『世界史とは何か』をやはり教育実践の経験者A氏からのご恵贈で読んだことによる。
なお、『思想』の特集号は、私が若い頃読んだ清水幾太郎訳のE・H・カーの『歴史とは何か』に代わる近藤和彦氏の新訳版が昨年刊行され、それが読書子や歴史専門家の興味を引き、ある種の刺激をもたらしたことによる。
E・H・カー
小川幸司氏の著は、いってみればE・H・カーの切り開いた地点を当然前提にしているといえる。それを、E・H・カーのものから引用すれば、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(旧訳 第一講から)ということになる。
この一見、当たり前のようにみえる前提は、実は含蓄が深いものを含んでいる。いってみれば、歴史とは、私たちとは独立した対象としての過去として存立しているようなものではないということ、歴史家の解釈、あるいは私たち自身の解釈の介在をもってはじめてその姿を表すものであるということである。
ところで、歴史家も私たちも、まさに歴史がもたらした結果としての一定の立場に立っていて、その立場自体が歴史解釈に影響をもたらすとしたら、それは堂々巡りの相対論に陥ってしまうのではないかという疑念は残る。私たちから離れた確固とした歴史というものがあるということを否定した瞬間から、この疑念は不可避かもしれない。
では、確固とした歴史が存在するとして、それを私たちはどのようにして知りうるのかということになると、今度は神秘的な啓示に頼るかあるいは不可知論に陥ってしまう。結局それは、「相互作用の不断の過程」や「尽きることを知らぬ対話」に頼らざるを得ないことになる。
カーが前世紀の中頃、それを強調せざるを得なかったのは、一方では「確固としてるが不可知の歴史」というものがあるという伝統的な立場と、他方では、人々の個々の営為とは関わりなくその法則によって歴史は進行するとする「唯物史観=史的唯物論」が両立していたからである。
歴史研究家でもあり、外交官として実践的な立場にもあったカーにとって、そのどちらもが不毛であった。ただし、社会的実践家であったカーが、マルクス的なものへの共感を持っていたという事実も指摘されている。
ところで、私がこの書を旧訳で読んだ60年代のはじめ、私はソ連型の正統派マルキストには批判的であったが、その立場はニューレフトとしてのマルキストであった。したがって、「唯物史観=史的唯物論」には依拠していたのだが、一方、このカーの書にはかなりインパクトを覚えたことを記憶している。
この辺のところを自分のなかでどう整合性を保っていたのか、いまとなってはさっぱりわからない。当時の私自身の曖昧さというほかない。
あまり長くなってもと思うので、ここで、新訳の方からカーの歴史観のエッセンスのようなものを引用して、私の中途半端な勉強のアリバイとしたい。
「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」
「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」
「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」
「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」
*以上の引用はすべて、新訳刊行に当たっての岩波の内容紹介による。
*E・H・カー(1892~1982年)は英国の歴史家、国際政治家、外交官で、「ロシア革命の歴史」(全14巻)を始めとする幾多の著作があるが、ここでとりあげた『歴史とは何か』はいまもって歴史を語る人々にとって名著とされる。