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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

頑固者のマイナカード論 

2023-06-10 00:46:22 | フォトエッセイ

 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20230602

 さる2日の以下の記事につき、さるところで、なぜそんなにマイナカードに反対するのかとの質問を受けたので、それに答えたものを編集加筆して、以下に述べます。

            

 いろいろなご見解、参考にさせていただきました。
 私の見解は単純なのです。
 国家は様々な行政や立法、時としては司法の情報も隠蔽改ざんし、ブラックボックス化したなかで私たちを支配しています。
 その反面、あらゆる管理のシステムを動員し、国民全員の情報をあらいあざらい収集し、それを一元的支配のもとに置こうとします。その先端がマイナカードなのです。
 
 そのように私たちの情報が「知られてしまっている」という状況は、翻って、私たち自身の行動そのものを「自主規制」する要因となります。ようするにシステムを意識的、無意識的に下敷きにした生き方の選択です。
 
 これが、ミシェル・フーコーいうところのパノプティコン(集中管理型獄舎)効果であり、「みられている」を前提にした「規律の内面化」なのです。
 
 私たちは、色々な事柄を自分が決断していると錯誤しがちですが、じつは「見られている」を内面化した他者の視線の元、誰のものでもない生を生来ている可能性が多分にあります。
 
 精神分析の用語で言えば「超自我」を生きるということでしょうか。これは、「自我とは他者」であるという言葉もあるように、言語という象徴秩序を生きる人間には多かれ少なかれ避けがたいところでもあります。
 
 しかしながら、現今のマイナカードのような国家という人為的恣意的かつ狭量な組織からの監視支配のもとには生きたくないのです。
 ようするに、ジョージ・オーウェルの『1984年』にわざわざ自分を紐づけしたくはないのです。

 

 

コメント (2)
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