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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

わが家の桜桃物語 蕾から第一回収穫まで

2022-05-02 02:52:15 | 写真とおしゃべり

 心地よい満足感でこれを書いている。
 今年は花の付きが良かった。ミツバチたちも群れをなしてやってきて、羽音がうるさいほどせわしなく飛び回り、花粉を拡散させてくれた。

 結果は期待通りだった。実の付きがよく、例年より粒も大きいような気がする。色づきもよく、一番嬉しいのは甘みや旨味も濃いような気がするのだ。よる年波のせいで、例年ほど水やりをせず放っておいたのがかえって良かったのかもしれない。

 それとも、この樹のピークを迎えたのだろうか。そうだとすると、来年からは下り坂となる。それは嫌だ。なんとか私が死ぬまではこのままでいてほしい。もうそんなに長くはないのだから・・・・。
 
 まずは、 その記録から見てもらおう。最初は硬かった蕾がほころび始めた3月5日である。

            

 その蕾が桜色に色づいてきたのが3月11日。

            

 開花し始めたのが3月12日。

        

 翌13日にはかなりの開花を見るに至り、みつばちたちがやってきた。

        
        

 3月15日にはほぼ満開に近くなった。毎年、ソメイヨシノに2週間ほど先行する。

        
        

 3月25日にはほとんど散って無残な姿に。

            

 しかし、そのオンボロ状態のなか、4月2日には実がついていた。

        

 だんだん実がしっかりしてきたのが4月10日ぐらいか。

        

 そしてその実が色づき始めたのが4月19日。

        

 これ以上色づくとムクやヒヨなどの小鳥たちに襲撃されると、その予防策で不要になったCDをあちこちに十数枚ぶら下げる。もう何年も前からこれを実施している。

        

 その折、そのうちの一枚が感動的な思い出へといざなってくれた。
 このCD-ROMを見てほしい。「インターネットナビゲーター」とあり「1995・7」とあるのがわかるだろう。いまはPCを買ってもスマホを買っても、ネット機能ははじめから装備されているがむかしはそうではなかった。

 1995年、私はすでにPCを持ってはいたが、計算機能やワープロ機能のみで、ネットに接続するには自分でそのセッティングをしなければならなかった。その折に使ったのがこのCD-ROMであった。こういう作業は苦手な私が難渋の果にやっと接続できたときはまさに感動モノだった。その折のウェブブラウザはExplorerであったが、今もこのプラウザはあるのだろうか。

        

 ネット機能を使って、ロンドンに留学中の友人の息子にメールを届けることができた折にはさらに感動した。それまで友人は、息子に緊急の要件がある場合には、息子の入っていた寮の共同電話にかけ、出たひとに大声で自分の息子の名前を叫んでつないでもらっていたのだが、通じなくて切られてしまう場合もあったという。またその折の海外電話料金も馬鹿にならなかった。
 
 私がネットに繋がり、息子ともメールのやり取りができるようになって以後は、彼は私のところへ電話してきて、私がそれをメールしたものだ。息子の方からも、同様にいつ帰郷するなどの予定をメールしてきた。
 そんなこともあって、友人とその息子の双方から感謝されたが、その友人も数年前に逝ってしまった。

 あ、桜桃から話が逸れた。
 4月25日には実はしっかり赤みを増し、27日には完熟したものも現れはじめた。

        
        

 満を持して30日に第一回の収穫をした。結果は冒頭に書いたとおりである。
 これらは2日に、娘が勤務している学童保育の子どもたちのおやつに持たせる予定。

        
        
        
        

 これを書きながら、子供の頃よく聴いた石井好子さんのシャンソン「桜桃の実の実る頃」を思い出した。もともとは銅工職人でパリ・コミューンの一員であったジャン=バティスト・クレマンが1866年に作詞し、その2年後にテノール歌手のアントワーヌ・ルナールが曲を付け、発表されたものらしい。
 
 You Tubeで検索したら、加藤登紀子さんのものなどしかでてこなかったが、しかし、私としては、石井好子さんのそれが懐かしい。
 

コメント
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