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【読書ノート】出てゆかない「テナント」の行方は?

2021-08-01 15:48:30 | 書評

 バーナード・マラマッド『テナント』 青山南:訳 みすず書房


           

 バーナード・マラマッド(1914-86年)というアメリカの作家による1971年に書かれた小説である。何の予備知識もないまま、図書館の新着書の中からヒョイとつまんできて読んだ。

 『テナント』というタイトルは、主人公がまさにとあるアパートのテナントだからである。ただし、このアパート、取り壊しが決定していて、他のテナントはすべて転居したのに、彼のみが居座っているのだ。
 
 大家は、早く取り壊し、新たなものを建てたいので、あの手この手で彼に退去を迫る。その中には、他の退去者に支払った金額の10倍以上という裏取引の提案もあるのだが彼は応じない。それは、彼の目的が金や次なる快適な場の追求ではないからだ。
 事実、彼以外無人のこのアパートは、水道光熱の支給も危うく、トイレの水も流れなくなったりして、居住環境としては最悪なのだ。

 なぜ彼は立ち去ろうとしないのか。
 彼、ハリー・レサーはユダヤ系白人の小説家で、すでに2冊の作品を世に問い(うち一冊は好評で、もう一冊はそうでもないらしい)、いままさに3冊目の作品の後半に差し掛かり呻吟しているのだ。大家のアーヴィング・レヴェンシュピール(この人もユダヤ系)は、だったら余計環境のいいところへ移ったら良いじゃないかと迫る。
 しかし、レサーはいう。この小説はまさにここで完結させられるべきもので、書き上がったら直ちに出てゆくからと繰り返すのみだ。
 
 このやり取りに終始するのかと思いきや別の展開が始まる。
 アパート全体が空き家だとうことで、新たな不法侵入者が現れるのだ。
 ウィリー・スピアミント(後半はビルと改名)という黒人で、なんと大型のタイプライターを持ち歩くやはり作家希望の男なのだ。彼の方は、まだその作品を世に問うてはおらず、書き上げたかなりのものをもってはいるが、どこかまだしっくりこないと自分でも思っている。

 この廃墟に近いアパート(数階建てか)での奇妙な共同生活が始まる。
 ハリー・レサーの方は一応契約入居者であるが、ウィリーの方は単なる潜りである。当然大家からの激しい追求がある。それをレサーはかくまい続けるどころか、ウィリーの要請に応じて、その原稿を読み、先行する小説家としてアドヴァイスすらする間柄になる。

 ただし、ほんとうに親密になったわけではない。ウィリーの白人に対する憎悪に近い感情は残ったままだし、レサーの助言も、そんなのはフォームに関するものに過ぎないと言い張る。しかし、その割に参考にはしているようなのだが。

 実はこのウィリーという黒人、それ以前の公民権運動や現今のBLM運動と比べ、いまひとつ過激な、60年代後半から70年代のかけてのマルコムXやブラックパンサーなどの、ブラック・イズ・ビューティフル、黒人至上主義を信奉する人物で、黒人である自分たちの優位性を主張してやまない。
 レサーが白人にもかかわらず黒人文化への偏見がないことやユダヤ人でも富裕層ではないなどを消極的理由に、加えて、自分の実存を小説でもって表現してゆこうとする共通する志とで二人の間柄は繋がっているのだが、その関係は危ういものである。

 小説以外に目がないとも思われるような二人の関係は、まさにその「それ以外」のところで、つまり、人は小説のみで生きているわけではないというレベルのところで崩れ始める。暫く続くその葛藤もまた、一応は小説家らしい形を保っているかのようなのだが、その最後の大詰めは凄惨極まりない暴力として描かれている。
 二人が最後に交わす言葉はこうだ。
 「血を吸うユダヤ人のクロンボ嫌い」
 「ユダヤ人嫌いの大猿」
 そして・・・・。

 終章。大家のレヴェンシュピールが登場して叫ぶ。
 「ハブ・ラフモネス(慈悲を)!」
 そしてその後に、およそ112回の「慈悲を」の言葉が並ぶ。

 ちょうど50年前の小説なのだが、古さはない。

コメント
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