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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「祈り・・・・命どぅ宝」と沖縄慰霊祭に思うこと

2021-06-23 01:38:54 | 歴史を考える

 今日、6月23日は沖縄慰霊祭だなと思っていたら、一昨年秋、沖縄へ行った際の三日間、私の希望に沿って、ヤンバルの森、辺野古埋め立て現場、チビチリガマ、平和祈念公園(今日慰霊祭が行われる広大な慰霊公園)などを案内してくれたおりざさんが、自分がリリースしたCDを携え、宜野湾のFM局に出演した際(昨22日)の映像がYouTubeにオンされているのを見た。

 https://youtu.be/1D4VvTFUfhU

 まずはこの歌を聴いてみてほしい。歌詞は彼女自身の詩によるもので、歌はもちろん彼女によるものである。

 タイトルの「祈り・・・・命どぅ宝」はあの沖縄戦で、県民の四分の一が死亡した悲惨な状況の中から産み出されたともいえる。切々と迫るものがある。

         

        

 沖縄戦があれほど悲惨な結果に終わったのは、端から負け戦とわかっていながら、投降を許さず、最後の一兵まで戦い、もって本土への接近を一日でも遅らそうとする本土の側のエゴイズムによる。そしてその、本土のエゴがなんの反省もなく今日も繰り返されていることは周知の事実である。

         

        

 何度も示された沖縄の民意は、一顧だにされることなく、本土の都合によって踏みにじられ続けている。ここに載せた美ら海の写真は、私が撮ってきた辺野古の海である。今ここでは、かつての激戦地で、そこで死亡した人の遺骨が混じっている可能性がある本島南部の土がその埋め立てに用いられ、コバルトだったサンゴ礁を茶褐色に染め上げつつある。

 今から60年ほど前、沖縄からの留学生(当時はまだアメリカの占領下にあったため)と知り合った。彼は沖縄独立論者で、本土でも沖縄でも叫ばれていた「日本への復帰」ではなく、「沖縄の独立」を主張していた。彼はなんとかそれを訴えようとしていたが、しかし、政治活動を行ったことが知れると沖縄へ強制送還されてしまうので、それがままならなかった。そこで私と有志が、彼の主張を取りまとめ、チラシを作り、それを撒く活動をしたことがある。

        

 もちろん、沖縄独立論には、現実的立場からのさまざまな批判があるだろう。しかし、沖縄が置かれた現状、さらには一昨年の訪沖時に見た巨大な基地群を思う時、日本への復帰もまた、沖縄蹂躙の継続に過ぎなかったのではないかと思われるのだ。

 沖縄に対する本土のエゴイズムと書いた。本土とは誰なのか。これを書いている私、読んでいるあなたを含め、沖縄の人々以外のすべての人々のことなのだ。

        

挿入した写真は、一昨年、私が撮ってきたもので、辺野古や平和祈念公園のものが多いが、千羽鶴のものは、チビチリガマという場所のもので、そこには周辺の住民139人が戦火を避けて立て籠もっていた。米軍が上陸し、投降を呼びかけたにもかかわらず、当時の皇民教育(虜囚の辱めを受けるくらいなら死ね)のせいもあって、それに応ぜず、抵抗したり、自決したりして、結局80人以上の犠牲者を出すに至った。

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