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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

金馬ならぬ金歯と名古屋シネマテークのはなし

2021-02-22 17:39:30 | 想い出を掘り起こす

 ラジオで落語を聴き始めたのは小学校の高学年の頃からだろうか。今から70年も前のことだ。
 5代目古今亭志ん生、8代目林家正蔵、6代目春風亭柳橋、6代目三遊亭圓生などを記憶している。みんな明治時代の生まれだ。

          

 そんななかに3代目三遊亭金馬がいた。やはり明治の生まれだ。とても歯切れのいい噺家で、それもそのはず講釈師の流れを汲んでいた。志ん生の朦朧体のような柔軟さはなく、そのせいで落語にしては堅いといわれたりもしたが、その端正な噺は好きだった。
 「孝行糖、孝行糖の本来は、チャンチキチ、スチャラカチャン・・・・」と彼の語った『孝行糖』の一節はいまもふとした折に脳裏に浮かぶことがある。
 
 と、前置きは長くなったが、ここで述べようとするのはその金馬のことではなく金歯の方についてである。
 今はあまり見かけないので廃れた風習かと思ったが、そうでもないらしい。
 「金歯は、金属アレルギーが起きにくく、歯との密着性が高いために、虫歯の再発を防いでくれるというメリットがあります。 また、柔らかいので加工もしやすく、噛み合わせの良さはとても優れていると言えるでしょう。」と、歯科医のHPにあった。
 と同時に、富の象徴であったかもしれない。さすがに最近はあまり見かけないが、かつては前歯をピカピカに光らせた人がいたものだ。

 そうした富裕層とは関わりのない私だが、一度だけ、金の被せものをしたことがある。もう40年以上も前、名古屋は今池で居酒屋をやっていた頃のことである。
 奥歯がズキズキ痛み始め、虫歯であることは素人判断でも明らか。ちょうど、私の入居していた雑居ビルの2階にかなり大きな歯科医があり、そこで治療をした。
 通うのに便利なのと、そこには歯科技工士を含め10近いスタッフがいて、そのうちの誰か彼かが、時には全員が来店してくれて、いわば常連の大得意さんだったのだ。

          

 治療は懇切丁寧であった。傷んだところを削り、いよいよ詰め物をする段階になった。私はそれまで通り、保険の適用が効くアマルガム*で済まそうと思っていた。そんな折、常連中の常連でほとんど毎日カウンターに来てくれる女性の看護師さんが、私の耳許で囁いた。
 「金歯がいいですよ。長持ちしますし、それだけの価値はあります」

 金歯は保険適用外だ。ウッと一瞬の戸惑いもあったが、次の瞬間、「ア、そうですか。じゃ、それでお願いします」と答えていた。彼女の魅力もさることながら、その歯科医全体の常連度合いから考え、ここは先行投資だと計算したのだった。

 かくして、生まれてはじめての金の詰め物が私の口腔に収まることとなった。
 計算通り、歯科医はその後も私の店の常連であり続けた。当時の価格で3万5千円ほどの出費だったが、それはじゅうぶん回収できたと思う。

 ここでその金馬、いや金歯のその後の運命について語らねばなるまい。
 タコを食べていたあるとき、口腔中に違和感を覚えた。ン?なんだかおかしい。舌先であちこちを探索する。ナイッ、ないのだ、あの金歯が!そうあの金歯はタコと一緒に胃袋へと収まってしまったのだった。

 こうなれば出口から回収する以外にない。それも真剣に考えた。しかし、回収するにしてもそんなに容易ではない。また、運良く回収しえても、それを洗浄して再び戻すのもなんだかいじましい気がした。
 一切れ、3万5千円のタコを食ったと思って諦めた。

 それからだいぶ経った頃、その歯科医は院長の実家である岐阜の東濃地方へ移転した。どうやら先代が引退して地元の医院を継ぐことになったようだ。
 歯科医が去った二階の空間は、同じ頃潰れたかなんかして空き家になった隣の不動産屋共々、ガランとした空間をなしていた。

              

 大家はいろいろ手を回したようだがなかなか埋まらなかった。あるとき、その大家が私相手に、どこかいいとこないですかねと呟いた。
 私には、実現にはいろいろ困難がありそうだがひとつのアイディアがあった。ダメ元でそれをぶつけてみた。

 私の念頭にあったのは、当時、やはり私の店へよく来てくれた名画の巡回上映をしている名古屋シネアストというグループのことであった。いわゆる商業映画に妥協することなく、映画愛好家のためにセレクトされた映画を志向する彼らの活動は、経済的にはまったく恵まれず、代表者の倉本氏の別の場所での稼ぎによってかろうじて支えられている状況だった。

 あるとき、その倉本氏に、そこまでして活動を続けるエネルギーは何かを尋ねた。彼は即座に、「常設の館をもちたいのだ」と答えた。彼らの夢に感動したが、私が手を貸せることはあるまいと自分の非力を思った。

 そんな折、上記のように大家からの話があったのだ。
 シネアストの話をし、彼らは金はないよ、ある時払いの催促なしでいいなら入れてほしい、彼らの誠実さは保証すると切り出した。
 私の切り札は、私の入っていたそのビル、今池スタービルが、かつての今池スター劇場という映画館であり、大家はその他にも映画館を経営していて、いわば映画で財を成した人だったということだ。

 私の殺し文句。
 「あなたも映画で財を成したのなら、このビルの一角に映画の匂いがする空間があるのも象徴的でいいのでは・・・・」

           

 大家はそれを受けてくれた。
 こうして、1982年、名古屋での名画座系ミニシアターの草分けともいえる名古屋シネマテークが誕生した。
 たまたま二つの要求の接点にいたための実現したことだが、私にとっても幸運であった。
 この映画館のおかげで、映画を観る機会が増えた。夜の仕事だったから昼間に観て、終わったら駆け下りて仕事をするような日もかなりあった。

 居酒屋をやめてから随分になるが、その後もシネマテークにはお世話になっている。昨年からのコロナ禍で思うに任せないが、落ち着いたらまた行きたいと思っている。

 さて、これで金馬とは繋がらないものの、金歯の方とは話が繋がったのではないだろうか。
 
 なお、アマルガムによる治療は、逆に2016年4月の歯科診療報酬改定で保険治療から外されたという。アマルガムに含まれる水銀が人体に悪影響を及ぼす可能性があることが認められたためらしい。

コメント (2)
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