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中国現代史の中の若者像 映画「芳華-Youth-」を観る

2019-05-25 01:51:38 | 映画評論
 久々に中国映画を観た。
 「芳華-Youth-」(2017 フォン・シャオガン監督)。
 「芳華」とは、英文が示すように、青春期といった意味合いであり、映画そのものは青春群像劇の様相をもって展開される。

          
 冒頭しばらくはあの中国独特のけばい色彩が支配し、何だこりゃ、中国の情宣映画かと思わせるが、それも無理はない。時代は1970年代中頃の文革の真っ只中、しかも舞台は、兵士たちを慰問し、鼓舞する歌舞音曲の文化工作団なのだから。まだ人々が人民服をまとっていた頃、彼らの存在は華麗である。一方、その統制のとれた歌舞音曲が激しいトレーニングの成果であることが示される。

       
 しかし、この華やかな一隊自身が、大きな歴史のうねりの産物であり、したがって、その推移にどうしようもなく翻弄される存在であることが次第に明らかになる。
 そうした歴史の陰影は、例えば主人公の一人、シャオ・ピンは文革で父が迫害されているという秘密をもち、別の一人は父が党幹部であることでその地位を誇っていたりする。

       
 こうした歴史上の状況の推移と、彼らのなかにある錯綜した恋愛劇とが並行して進む。
 毛沢東が死去し、文革が終わり、地方へ追放されていた人たちの名誉回復が行われるが、先にみたシャオ・ピンの父は流刑先で死亡していた。
 群像劇だから、あからさまな恋、切なく折り畳まれた恋なども登場する。

       
 後半の山場は、中越戦争である。この戦争の詳説は避けるが、団を抜けたシャオ・ピンは前線に近い野戦病院で看護師をしている。一方、シャオ・ピンが密かに思いを寄せていた団の模範青年(ホアン・シュアン)は最前線でヴェトナム軍の奇襲を受け、負傷する。

       
 やがて、鄧小平の開放政策のもと、文化工作団の歌舞団も解散の日を迎え、最終公演が開催される。片腕をなくしたホアン・シュアンは傷痍軍人として聴衆の中にいる。シャオ・ピンは野戦病院での負傷兵のあまりにも過酷な状況を受け止めきれず、PTSDの重症患者として、やはり観客席にいる。

       
 当初、なんの感興も示さずうつろな表情をしていた彼女だが、鳴り響く音曲に身体が反応し、やがて、客席を抜け出して、庭園で往年の舞を一人で舞う。この場面は美しく感動的だ。

       
 映画は、それをクライマックスにして、現代の彼らを後日談風に語って終わる。その中には、シャオ・ピンとホアン・シュアンの出会いと経緯も語られているが、二人が単純に結ばれてめでたしめでたしではないところがかえって良い。

       
 佳作だとは思ったが、往時から現代に至る描写がいささか薄っぺらで、その間の人の推移がやや乱雑に描かれているのが惜しい。

       
 しかし、これはないものねだりで、私の中には、やはり同時代の地方の慰問団を描いたジャ・ジャンクー監督の優れた作品「プラットホーム/站台」(2000年)の残像があるからなのだ。

       
 チャン・イーモウなどが、ハリウッドに絡め取られない前、チャンチーが可愛いかった頃の中国映画の傑作群を懐かしく思い出している。
 

コメント
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