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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

睡眠障害のなかでの「死」についての妄想

2018-01-27 11:36:11 | よしなしごと
 時折睡眠障害に襲われる。寝付きが悪いわけではない。バタンキューとは行かないにしても、割合すぐ眠りに就く方だ。
 問題はその後である。三、四時間で目が覚める。そしてその後、寝ることができない。これではダメだから、寝なければ、寝なければと思うのだが、そう思えば思うほど眠ることができず、そのまま悶々と朝を迎えることがある。いわゆる途中覚醒である。

           

 周期的ではないにしろ、忘れた頃にやってきて、何日かその症状が続く。
 眠れないままにいろいろな想念が駆け巡るのだが、まとまったことを考えうるわけではなく、したがって生産的な思考などとは程遠い。だいたいは、さまざまな気がかりや不安などが駆け巡ることになる。

 最近は、というか一昨年あたりから、親しかった友人や先達、私自身の連れ合いの死に見舞われたせいで死をめぐっての想念が多い。死んだ人たちを数え上げる。そして、それに次ぐのではという不安な人、その人に万一のことがあったらという人たちが思い浮かぶ。そのうちに誰が生きていて誰が死んでいるのかの境界が曖昧になる。その曖昧なうちに自分自身が登場する。

           

 自分の死を考えることは事実上不可能で、どこでどのように死ぬのだろうなどとは思うのだが、そんなことを考えているうちは厳然として生きているのだからさして現実味はない。ましてやまだ死んだ経験はないのだからその内実を想像することもできない。
 にもかかわらず、自分の死についての想念はその死後にまで及ぶ。そのときには死んでしまってもういないのだから、自分の死後をも支配しようとする想念は妄想にすぎない。

           

 そんなことを考えていると、最近自死した西部邁のことを考えたりする。
 彼とは袖擦れ合うで、1960年頃、少しばかりのの縁があった。いってみれば、お互いやさぐれていたわけである。
 しかし、東大はいい。多少やさぐれていても、少し恭順の意を表すれば学者や大企業の列に復帰することができる。西部もそうだった。

 それに反し、東大の連中などに煽られて、地方でやさぐれた私のような半端者はそうは行かない。結局私は、新聞広告でミシンのセールスマンに就職した。それを恨んでいるわけでもない。お陰で私は、一粒で2度も3度も美味しい人生を経験をさせてもらったし、多種多様な人びととの交わりももつに至った。

           

 ところでその西部は、生前から自らの自死に言及していた。自死を選ぶ理由として挙げられていたのは「老醜を見せないうちに死ぬ」ということであった。これは尊厳死や安楽死との関連である意味では理解できる。
 ただし、これが一般化され「そうあるべきだ」とされることには恐ろしい危険が伴う。
 その一般化は、要するに、老醜を晒すもの、意識が明晰でないものは抹殺すべきであるというヒトラー並の優生学的選別に行き着くからだ。

           

 話が逸れた。
 そんな状態で眠れないままでいるなか、世間はもう目覚め活動し始める。車の往来も多くなり、生活音が聞こえ始める。もうこの睡眠は諦めるほかはない。

 そんな寝方だから翌日が大変だ。
 しかし、幸い現在は一定の家事のほかはわりあい気ままに過ごしているので、頭が重く気だるくとも、対外的な影響を生じることはない。小難しい書などをめくっていると、活字が蟻のように這い出したり霞んだりで、睡魔がやってくる。
 そこでの午睡で足りなかった分を補うことができる。ただし、午睡はまた、どういうわけか熟睡とはゆかなくて、完全な補完とはなりえない。それでも少し楽になりさえすればいい。
 昼間、ジイさん・バアさんがウツラウツラしている。私もそのお仲間である。

コメント (2)
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