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船頭重吉の漂流譚 劇団PH-7『石の舟』を観る

2017-09-18 22:56:55 | 催しへのお誘い
 久しぶりにナマの演劇を見ました。
 劇団PH-7による『石の舟』(脚本:北野和恵・演出:菱田一雄 於:名古屋市守山文化小劇場 9月16日・17日)がそれで、その下敷きは三田村博史の力作、『漂いはてつ』によります。

             

 話の概略は知多半島在住の小栗重吉が船頭を務める督乗丸が江戸からの帰途、遠州灘沖で遭難(文化10年=1813年)、以後484日という長期間太平洋を漂流し、イギリス船に救助され、日本人としてはじめてアメリカ大陸に上陸したという話です。しかしその後、カムチャッカ半島経由してちょうど200年前の1817年に帰国したものの、その間、14人の乗組員中12人を失い、結局帰国できたのは船頭重吉のほかは伊豆の音吉のみでした。

           
              

 それらのいきさつは、重吉からの聞き語りを記した池田寛親の『船長日記』に残されています。
 それらによれば、重吉は無事帰還できたものの、手放しで喜ぶわけにもゆかず、何よりも船頭という立場でありながら、多くの乗組員を失ったという自責の念が重く残ったといいます。そこでじゅうきちは、今でいうところの栄誉賞に相当するものとして与えられた苗字帯刀をも返上して、諸国を遍歴し、その経験を物語る傍ら、喜捨を求めて回ることとなります。

 そして、そうして集まった浄財をもって、いまは帰らぬ12名の者たちの名を刻み込んだ石で作った舟型の供養碑を名古屋の笠寺観音にの境内に奉納します(今は移転され、熱田区の成福寺に置かれています)。
 それがつまり、この芝居のタイトルになってる『石の舟』なのです。

           

 さて、その芝居を観たわけですが、事前に私には2つの気がかりがありました。
 そのひとつは、いわゆるアングラ劇団として30年以上のキャリアをもつこの劇団が、この原作のもつシリアスな内容と、劇団の持ち前であるエネルギッシュでヴィヴィッドな舞台表現をどうつなげてゆくのだろうかということでした。
 もう一つは、私はこの劇団の芝居を3回ほど観ているのですが、そのいずれもが何DKかのアパートぐらいの狭い空間でのもので、それはそれでうまく演じられていましたが、それが今回のような、大劇場ではないにしろ一定の空間をもった舞台で、どう展開され表現されるのだろうかということでした。

 幕が開くと、舞台は上下の2層に別れていて、この2層は2つの時代に隔てられていました。上層は200年前の笠寺観音を中心とした、つまり重吉が生きた時代の場、下層は、重吉の物語を書いている作家とその母が住む現代の場。

 上層には、すでに観た重吉の自責の念が吐露される場があり、下層には、どうやら失踪した父を持つ母子の物語があるようです。
 もちろんこの物語が平行して進むわけではありません。やがて上層と下層、200年前と現代とが混在しはじめ、時空を超えた場が作られてゆきます。そのあたりから、この劇団のパワーが全開となり、台詞と肉体のパフォーマンスが入り乱れ、観る者をグイグイと惹きつけてゆきます。

 そして、芝居は、重吉が建立した石の舟の出現とともにクライマックスを迎えます。重吉の苦悩にも、そして作家母子の問題にも希望の光が差し込むこととなります。
 そこに、観音様を出現させるのも面白いですね。慈母のような観音は、それらすべてを包み込んで、おおらかな肯定のうちへと導く存在です。

 ここには、アリストテレス流のカタルシスがあると同時に、ベートーヴェンの第九に歌われるシラーの詩、「苦悩を抜けて歓喜に至れ」が鳴り響いているようにように思いました。

           

 といったわけで、私が観る前にもっていた2つの気がかりは、みごとに解消されていました。そこには、やはりあのエネルギッシュなPH-7の舞台があり、そして確かに、ひとつの確固とした重吉像が描かれていました。 
 舞台も前面のせり出しも含め、そしてまた、上下の立体関係も含め、うまく機能していたと思います。
 いってみればこれは、重くて長い重吉の漂流譚の要となるエキスをうまく表出し得た脚本と演出の勝利というべきだろうと思います。
 ラストシーンは感動的なものでした。

 こうしてこの劇団の熱気に当てられて、頬を火照らせて帰途についたのでした。


《分かる人にはわかる追伸》オーリーさん、いい機会を与えてくれてありがとう。すべてを包み込む、ふくよかな観音様、素敵でしたよ。

 
 
コメント
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