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ミッシェル・ウエルベック『服従』とフランス大統領選挙の現実

2017-09-04 17:04:38 | 日記
 『服従』はフランスのゴンクール賞作家、ミッシェル・ウエルベック(1958~)の最新作(2015年)である。
 何かと話題の多い作家であるが、私はたぶん、『素粒子』(1998年)以外は読んでいないと思う。

 『素粒子』もそうであったが、この『服従』も恋愛と性愛と欲望処理のはざまを漂うような、いってみれば恋愛不全の主人公の描写と、SF的なテーマが入り交じったような小説である。
 『素粒子』の方は、遺伝子工学の究極としての未来に展開される「ポスト人類」、ないしは「ポスト人間」を取り上げていたが、『服従』の方はより近未来の話で、それだけに現実性があり、すでに現実そのものではないかと思われるような要素も多い。

              

 時代は2022年でわずか5年先、小説発表時から見ても7年先にすぎない。この年は、今年がそうであったように、フランス大統領選挙(5年任期)の年である。
 主人公は、フランスの小説家、ジョリス=カルル・ユイスマンス(1848~1907年)の研究で学位を取った40代のソルボンヌの文学教授である。このユイスマンスはデカダンスの聖書ともいわれるような作品『さかしま』を書くのだが、後年はカトリックに改宗し、カトリック神秘思想ともいわれる作品群を残す。
 このユイスマンスの生涯は、それ自身が『服従』という作品の伏線になっていることを、読み終わった段階でわかる仕掛けになっている。

           

 小説の出足は、ユイスマンスのデカタンス同様、フランス小説特有のアンニュイも加わり、いささか内面的な描写が続くが、先にみたその年の大統領選の話に及ぶにつれ、ぐんと現実味を増す。
 小説によれば、その第一回目の開票結果は以下のようだとある。
   ・国民戦線 ル・ペン  34.1%
   ・イスラム同胞党 アッベス 22.3%
   ・社会党候補   21.9%

 ご覧のように、いずれも過半数を獲得していないため、上位二人の候補に絞った2回めの投票が行われることになる。

 ところで、今年5月に行われた大統領選の第一回目の投票を調べたら以下のようであった。
    ・アン・マルシェ(EM=前進)マクロン 24.0% 
    ・国民戦線 ル・ペン  21.3%
    ・中道右派 共和党 フィヨン 20.0%
    ・左派 メランション 19.6%
    ・社会党 アモン 6.4%

 なお、この小説では、政治家や文学者などの著名人は、実際の人物が登場している。だから、今年も登場しているル・ペンはまさに初代党首のジャン=マリー・ル・ペンの娘で現党首のマリーヌ・ル・ペンその人である。

 ところで、ウエルベックが描く2022年の第一回投票の結果では、フランスの大統領は極右政党かイスラム系政党のいずれかに絞られたことになっている。
 これは、ありえない話ではない。上の今年の大統領選のデータを見てほしい。第5共和制以来のフランスの政治的な傾向、中道右派とと中道左派の2大政党間の政権交代という図式がほとんど崩壊しているのがわかるだろう。

 ついでに、今年の第2回目の得票は以下のとおりである。
    ・マクロン 66.1%
    ・ル・ペン 33.9%
 一見、大差のようだが、17%の票が動けば結果は逆転するのだし、国民戦線のこの間の党勢の伸びからみたら、それは決して非現実とはいい切れない。

 さて小説に戻ろう。
 結局2位にとどまれなかった社会党(この場合、左派一般としていいだろう)は、「拡大協和戦線」を立ち上げイスラム同胞党を支持することになり、中道右派なども同調し、イスラム政権が誕生することとなる(第2回投票の数字は書かれてはいない)。 

              

 このイスラム政権は、ISやタリバンなどのように原理主義的なイスラムではなく、その原理によっての恐怖政治を行うようなことはない。
 しかしである、なんといってもイスラムはイスラム、その教義は緩やかにだが現実を支配し始める。
 そのひとつは、イスラム政党がここまで力をつけるにあたっては、社会のあちこちにわたってその根っこが広がっていたということであり、またひとつには、政権の意向を忖度し、それを内面化する人たちが増えてきたということにもよる。

 主人公のセフレで、彼がいくぶん気持も惹かれていたユダヤ人の女性は、家族ぐるみでイスラエルへと移住する。
 ミニスカートを始め、身体を露出した女性の服装はしだいに影を潜め、逆にスカーフを着用する女性が増えてくる。
 一夫多妻制が制度としてではないにしろ現実的にみられるようになり、相手に恵まれない男性のための「お見合い機関」のようなものが現れ、第一夫人や第二夫人を斡旋する。斡旋された当人は、政権への、あるいはイスラムへの忠誠を誓うところとなる。

 義務教育は小学校止まりとされ、女性の高等教育への道はほとんど閉ざされることになる。
 公務員や大学の教官のなかでも、そのポストはイスラムかどうかによって左右されるに至る。

           

 それらが怖いのは、あからさまな強制によるものではなく、人の欲望のコントロールとして、じわじわじわ~っと進行してゆくことである。
 主人公は当初、それらの変化を冷めた眼差しで見ているのだが、やがてそれらは彼自身の身辺にも及び、彼自身の決断を促すに至る。

 あのシニカルでデカタンスを愛し、出来事から一歩引いた眼差しをもった彼はどうなるのだろうか。
 そこにこそ、彼の研究対象であり続けたユイスマンスの生涯がオーバーラップする瞬間である。
 小説は次のように結ばれる。

「 ・・・・・・・・新しい機会がぼくに贈られる。これは第二の人生で、それまでの人生とはほとんど関係のないものだ。
 ぼくは何も後悔しないだろう。」

 なお、ウエルベックがこの作品を発表した2015年1月7日、奇しくもシャルリー・エブド襲撃事件が起こっていて、その後、彼自身、警察に身柄を保護されたり、さらには、自ら姿を消したりしたようだ。

 ことほどさように、この小説は決して荒唐無稽なフィクションではなく、21世紀の世界を垣間見させるものでもある。
 ヨーロッパ全体での国民戦線のような極右の進出、トランプのフェイクな発言、日本での歴史修正主義の跋扈などなどと並んで、イスラム勢力の急進・穏健各派のありようは、今後の世界を考える上での大きな要因であり続けるだろう。
 
 そしてそれらは、社会主義圏崩壊でわが世を謳歌した資本主義圏内での大幅な格差、それを支えるイデオロギー・新自由主義の冷徹さに対する一つの応答として現れ、それらを背景とした支持を集めているだけに、ただ否定し、退ければ済む問題でもないと思われるのだ。

 小説の鑑賞としてはいささか無粋に過ぎたかもしれない。



コメント
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