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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

廃屋ウオッチングと硫黄島の玉砕

2015-05-21 18:11:27 | フォトエッセイ
 陽気が良くなったので、車は控えて、近隣の要件は徒歩か自転車にしている。車では入れなかった小路や、駐車ができなかったところでも、いろいろウオッチングができる。

          

 フェチというほどディープかどうかはともかく、廃屋があると立ち止まり観察し、カメラに収める。かつて、山村に渓流魚を追っていった頃には、高度成長期の地域格差のなかで、集落ごと廃墟になっているところもけっこう目撃した。

          

 最近は、都市部においても廃墟が増えているという。人口減少による、いわゆる跡継ぎのない場合もあるが、どうやら日本の固定資産税の仕組みにも問題があるらしい。住む人がいなくなった場合、すぐ更地にして有効利用や転売ができればともかく、そうでない場合、家屋を取り壊して更地にすると、地上に建造物がある場合よりも固定資産税が上昇するというのだ。だとしたら、次の用途に投資可能なまで、廃墟のままにしておいたほうがいいことになる。取り壊し費用をかけて、わざわざ多い税金を払うことはないということだ。

          

 まあ、それはどうでもいいが、うちの近くにもうかなり前から時折観察している廃墟がある。写真が失われてしまっていて残念だが、当初は人が住んでいないけれども、建造物の様相はちゃんと残っていた。
 しかし、それらも崩壊し、もはや人家があったは思えないほど崩落してしまった過程がここに載せたものである。

          
 
 最初のものは2008年12月で09年春、09年秋、11年12月、本年の5月と続く。
 その中間での写真もあったのだが、PCを買い替えて移行するときのミスで消えてしまったものもある。

          

 なお、以下は、4年前に廃屋と硫黄等玉砕との関連に思いを致し書いたものである。10代の少年兵を含む20,000人が、「米軍の本土への進行を遅らせるべく、戦況のいかんにかかわらず、死ぬまで戦え」という大本営の命令のもと(これは沖縄の地上戦はなぜあれほど悲惨であったのかと同じである)、ほとんど全員が玉砕したのは70年前の3月半ばだった。
 それが、なぜ廃屋と関連するかは以下をクリックして参照されたい。

          

  http://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20111210
コメント
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