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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【最近の弁当三題】

2024-03-05 11:56:07 | 写真とおしゃべり
毎日作るわけではない。相手とのタイミングが合ったときのみ。
造るのは労苦ではない。スーパーでの買い物など、一人分はかえって買いづらいので、自分が食べるものと同じものをただ詰めるのみ。
最後の赤いご飯は、炊き込みのケチャップライス。玉ねぎみじん切りとウインナーの薄切り、それにケチャップと隠し味のバター少々。

    

    

    
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【近辺の観察から】桜と影

2024-03-03 02:49:24 | 写真とおしゃべり

うちの桜、もう満開と言っていいんじゃないかなぁ。例年より一週間ほど早い。

           

           

       

私たちは、影によってその実体を示唆されることがある。
影のみを見て、それが実体だと思うこともある。
その影すらも見ない場合もある。
かと思うと、その影と実体とがどう相応しているかといぶかるひねくれものもいる。
そのいずれもがありうる。
           
           
       
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最近の食事 アトランダムに

2024-02-22 15:57:19 | 写真とおしゃべり
       
               残り物に依るパスタ

       
(左奥から)里芋味噌煮 キュウリ・生若布酢の物 白菜漬け 豚バラひとくち角煮

       
             白菜、青菜、生若布のきしめん

       
         青菜と揚げの煮物 五目チーズかけ焼き 白菜漬物

       
 じゃがいも、人参カレー煮 白菜、青菜、トリの煮付け 白菜漬 キャベツ、水菜、マカロニのサラダ

       
 レンコン煮付け ほうれん草おひたし 白菜漬 里芋、豆腐、はんぺんの味噌おでん風(右においたのが味噌)

       
   いわしソティー レンコン 水菜と揚げ煮つけ もずく マグロ山かけ

       
         いわしソティー残り 五目ごはん ゴッタ汁 白菜漬

       
          白菜漬 レタス、ちくわ、生若布などのサラダ
 
       
            ネギ、白菜、揚げを添えた肉うどん

       
 キュウリ詰めちくわの和え物 豚と玉ねぎのソティー 葉付き小カブの煮付け そのカブの皮を味醂と醤油に漬け込んだ一品 これが結構うまい カブの皮は決して捨てない 

       
 ブロッコリー、キャベツソーセージの温サラダ 白菜漬 キュウリと春雨のツナ缶入りドレッシングのサラダ
 
       
 白米(ハツシモ) 里芋豆腐の味噌煮、鶏肉ソティー、葉付きカブラ煮の盛り合わせ

       
 生若布、豆腐、玉麩炊合せ キャベツ中央部の黄色いところとハム、春雨のサラダ 鳥ムネ肉各種香辛料漬けのソティー 

       
                 温かい山かけそば
 
       
             それを食べる前に撹拌したところ

       
        青菜と生若布のおすまし 鳥ムネ肉ソティー乗せパスタ

【付】
       
 バレンタインデー、チョコがこないので自分で買ってきた。無印の甘味の少ないビターで硬いもの。これが25個入って180円。しかし好きな味だ。
 これに合わせるのは、ウィスキーかブランデーのハードリキュールだ。そこでアイルモルトのスモーキーな風味のウィスキーも買ってきた。
 この取り合わせはうまい。
 
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亡き人を偲んで・・・・名鉄電車、日帰りの旅

2024-02-13 02:43:02 | 写真とおしゃべり
 まだサラリーマンをしていた折の20代後半から通い続けた飲み屋があった。
 初代ママが亡くなった後、当時の常連たちが閉店を惜しんで新たにその運営を任せる人を選び、再開することとなった。
 その折に、新たなママとして選ばれたのは、当時の顧客で、私も肩を並べて飲んだり話したりしていた人だった。名を小芦さんという。
 
 ただし、毎日は大変ということで、毎週、土曜日のみ開店という変則的な店だった。
 私は自分自身も店をもっていたのであまり行く機会はなかったが、それでもたまには閉店後に訪れたりしていた。

 もう20年以上前、自分の店は閉め、岐阜に引っ込んだが、土曜日に名古屋へ出た折には立ち寄るようにしていた。
 この店は、私が名古屋の今池時代に知り合った旧知の友と出会える貴重な店であった。

 その店が諸般の事情で閉店したのが3年近く前の2021年3月末であった。
 その日の模様は、当時のブログに記した。

  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210314

 しばらく日をおいてから、2代目ママの小芦さんのご苦労さん会を行い私も出席した。
 その小芦さんが急逝したのは翌年、2月19日のことであった。
 それから2年、命日に近い12日、往年の常連たち10人が集い、彼女の墓がある岡崎へ出向くこととなった。

     
          午前9時半頃、名鉄岐阜駅へ

         
          名鉄岐阜駅から岐阜市の中心街を臨む

     
              名鉄岐阜駅改札口

         
            私が乗った豊橋行の列車

     
            木曽川を渡ると愛知県
 
     
        これは矢作川 これを渡ると下車する東岡崎

     
              目的の寺院正門

          
                 正門横の寺院名
 
          
               小芦さんの墓標

      
          花を活け、蝋燭、線香を上げて礼拝する

      
                墓標近くの慰霊塔
 
      
              岡崎城を遠望して会食場へ

          
  会食を終えて矢作川支流乙川にかかる橋をわたる 数匹の鯉が泳いでいた

      
         帰途、木曽川を渡り、笠松競馬場はもう岐阜県

          
               乗ってきた電車

      
                 名鉄岐阜駅構内

      
バスの時間までかなりあったので、一駅先のJR岐阜駅まで歩く 展示の電車はかつて岐阜市内線や近郊を結ぶ路線(すべて廃線)で活躍していた全面5枚ガラス、乗降口付近に丸窓を擁した古い電車

      
          私が乗る市内線バス停から撮った写真

 久々に一万歩を越えて歩いた。

 

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【開花を待つわが家の蕾たち】

2024-02-10 00:42:29 | 写真とおしゃべり
紅梅の鉢はほころび始め。明日咲いてもおかしくはない。
      

桜はまだ硬いがここからは早い。桜ん坊がなるこの桜はソメイヨシノより10日か2週間ほど早い。

             
これらの蕾を見ながら、私の心境は小野小町と同じだ。曰く「わが身世に古る 眺めせしまに」

 

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【絵日記風に】昨日快晴、今日は雨

2024-02-05 15:08:04 | 写真とおしゃべり

 昨日、二月初めての名古屋行き。JR東海道線。久々に稲沢駅付近で車窓から貨物列車関連の各種車両を撮す。こうしてみると、それらには旅客用車両とは違った機能美の面白さがある。

      
     
     
                                  この赤い機関車には絵が描かれている

      
      
       
                      
    もう見られなくなった貨物列車の最後尾の車掌車。少しずる違うようだ。

 
 名古屋駅構内でなんとなく撮ったもの。
 
      
     

名古屋での行き先は今池。ガスビル上階という限られた場所からの交差点近辺。

           

                         

         

 帰途、JR岐阜駅でバス待ちに撮ったもの。まだ電飾をやっている。

          
 
 そんな快晴の昨日に比べ、今日は朝から冷たい雨が。ここからちょっと北や関東地方は雪のようだ。
 洗濯物が乾くのは絶望的。近くのコインランドリーで乾燥を行うために重いのを傘を指しながら運ぶのは容易ではない。300円を投入。主夫は朝から忙しい。

 昼になっても気温は上がらない。それどころか、データを見ると朝方より2度か3度下がっている。では昼は暖かいものをあんかけ皿うどんを作る。具は白菜とネギ、それに油揚げ。ただし、生姜の千切りを多めに入れたので体は温まるはず。仕上げに大葉と柚子のみじん切りを乗せる。
 所要時間15分。乾麺を湯がくのに時間を取られているが、それがなければ数分もあればできる。
      

 午後からは、最近怠けていた読書と勉強・・・・のつもり。
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被災地や豪雪地帯の方には申し訳ないのだが・・・・

2024-01-24 17:59:04 | 写真とおしゃべり
 この地区にしては久々によく降り、よく積もった。
 いつもなら、目覚めると夜半に降った雪が積もってはいても、次第に溶け始めるのだが、今回のは夜明け以降も降り止むことなく、終日降り続いたせいで、積雪量はドンドン増していった。

          
     
           


 昼のニュースでは岐阜市は14センチといっていたが、以降も降り続き、わが家の吹き溜まりのような箇所では20センチ近いかもしれない。

      
          
          

 こんななか、洗濯物が乾くのが絶望的なので、重いそれらをもって近くのコインランドリーへ往復したのが辛かった。歩道のない二車線路で、むろん除雪なんかしてないから、車の轍の跡を行くと、車がやってくるので積雪の中に普通の靴で移動しなければならない。

          
         
     
         

 昼間の雪はそうではなかったが、昨夜半のそれはどうも吹雪模様だったようで、普通雨が降っても濡れない私の車のフロントはうっすらだけど雪で白かった。
         

 雪どけをするほどでもないが、郵便配達の人などのため、玄関までのエントランスの雪は取り除いた。皮肉なことに、こんな日に限って、郵便物はまったくなかった。
 なお、陽が射せば暖かい二階の私の居室、今日は殴りつける雪で、前方が見えないくらい。
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中山道鵜沼宿を歩く

2024-01-23 17:16:35 | 写真とおしゃべり
 中山道六九次のうち、江戸から数えて五二番目の宿場。美濃国鵜沼村であったが現在は各務原市。同市は岐阜市の隣の市で私の自宅からは車で五分ぐらいでその西端に達するが、かつての大合併で、東西に長い市になっていて、その東端に近い鵜沼宿まではかなりの距離だ。

           
          
      
      

 今回は近所のサークルの人たちと、名鉄各務原線で出かけた。あいにくの雨模様であったが、寒くななく、古い街並みのしっとりとした味わいに浸ることができた。

     
     

 三重県の関宿などの比べると、それほどの距離はないが、そのエリアに本陣、脇本陣、旅籠跡の旧家などが凝縮されていて、私のような年配者でも疲れることなく見て回れる。

     
        
     
     

 また、案内所やボランティアが結構充実していて、いろいろ親切に教えてくれます。私の場合、年配の女性で、彼女の説明に従ってひと通り回ってから、またそこを通りかかると、もう一度呼び止めて説明が始まりそうだったので、「あの~、さっきお伺いしましたが・・・・」と応じると、「アラッ、ヤダッ」と大笑い。説明に一生懸命で、この美男子のほまれ高い私の顔を見ていないなんて、もったいないことを。

      
     
     
     

 街道筋の中央付近に、地元の菊川酒造の蔵元があり、大きな黒板塀の建物と並んで巨大な古いアルミ製のタンク並んでいて、一見、雰囲気の邪魔になるようだが、これとて明治四年創業というから一五〇年前の産業遺産のようなもの、そう思ってみると、この宿場の特色のようにも見えてくる。

     
     
         


 忙しいので写真詳細な説明は省略するが雰囲気を味わっていただければと思う。

 なお、こじんまりした宿場なのでここだけでは物足りないかもしれないが、この南2Kmには犬山城があり、日本モンキーセンターで猿たちが焼き芋を食ってる姿などを観ることもできる。

          
     
     
           おまけのふくら雀たち

 なお、この宿場、車の駐車場(多分無料)が2,3箇所と充実していて、よほど混み合う日でなければゆっくり楽しめる。

 以下に関連するページを挙げておく。

 https://www.city.kakamigahara.lg.jp/kankobunka/1010039/unuma/index.html
 https://www.nakasendo.gifu.jp/guide/detail.php?p=10

 

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おせち以後の私の食べ物たち

2024-01-16 17:24:57 | 写真とおしゃべり
昨今のおせち料理は正月を寿ぐ祝宴ムードにあふれるものである。もちろんそれが本意だろうといわれればそれまでだが、かつてのそれにはもう一つの要因があった。
それは、調理というものが主婦の必須専業であった時代、せめて正月ぐらい連日の調理作業から解放してもという世間全体の心配りのようなものであった。
だから、伝統的なおせちというのはほぼ保存食が主体である。海産物や魚介類でも、鮮魚は含まれない。数の子、タツクリ、昆布や身欠きにしんなど乾物化したものが多い。
かつては、それで少なくとも三が日は済ませる場合が多かった。
私が作ったおせちも、母譲りの伝統的なものを中心としているので、どれも日持ちがするものばかりだった。もちろん毎日同じでは飽きがくるが、その代わり、品数を多くする。
ちなみにわが家では、おせちを食べ尽くしたのは5日だった。その間、他のものを口にしなかったわけではない。不足しがちだった青菜類をサラダにしたりもした。
ここに載せるのはそうしたおせち以後、今年食卓に載せたものである
写真キャプションを参照されたい。
 
     
ある日の夕餉 蓮根キンピラ煮、じゃがいも白煮、生わかめとしらすの酢の物、メインディッシュは昨秋頂いて食べきれなかったものを冷凍しておいたヒラマサと大根の炊合せ。
 
     
切り海苔が切れていたので、焼き海苔一枚を使ったためすっかり黒くなったが、山かけそばである。輪切りは、出汁と一緒に煮て装飾にした。
 
     
力うどん(=うどんプラス餅)があるのなら、「力ラーメン」があってもいいのではという発想から・・・・。出汁はあっさりめに。わが家の餅は、既製品ではなくのし餅を切ったものだから美味しい。
 
     
見た目は贅沢そうな夕餉。ニシン刺し身、大根、豆腐、厚揚げの味噌おでん風、アンコウの肝、大根の皮を捨てずに短冊風にして塩もみの即席漬物。アン肝と大根の皮には柚子をたっぷりと。ニシンもアン肝も各300円だったからそんなに贅沢ではあるまい。
 
     
野菜しか見えないが、なかは餅で野菜たっぷりの雑煮。餅は先程述べたのし餅だから格別。
 
 
 
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年頭の所感?と不信心者の初詣で

2024-01-09 00:36:57 | 写真とおしゃべり

 実質、今年初めての書き込みである。
 忙しかったからである。同人誌の締切りを巡る一連の日程もあったが、これからもまだ予定が目白押しである。1月の半分近くは予定が詰まっていて、中には一日二つの予定をこなさねばならない。ちなみに12日からは怒涛の5日連続お出かけとなる。

 普通の現役の人なら当然であろう。しかしこちらはもう85歳の退役族であるから大変だ。
 昨年の1月と比べてみて驚いた。昨年はそれほど大したことはないのだ。今年の半分ぐらいの予定しか入っていない。 

 これはどうしたことだろうか。偶然だろうか、それとも昨年一年間、老化防止のため付き合いの幅を広げるべく、無意識のうちに努力してきたのだろうか。
 
 もちろん、身体的な負担もあるかもしれないが、何も予定がないと3日でも4日でも家から一歩も出ることなく、人と口も利かないようなことになってしまって、これはやはり老化を進めるからよくはない。

 だから今年は、出歩く機会を大切にして、心身の健康を保とうと思うのだ。

 写真は、2日、帰省した息子夫妻とともに初詣でに出かけたものである。
 宗教を否定するものではないが自身は無宗派である。だから、初詣でも神頼みはとくにしない。民族習慣の一端としてそれを楽しむといったところか。

 行ったのは、子どもの頃、毎年行った加納天満宮。

      
         さすが中山道加納宿の主神、参拝の人も多い

     
     
        
     
     
        
        
  天満宮といったら学問の神様 境内の筆塚をおろそかにしてはいけない

 あとは今の住まいの近く、茜部神社と、わが家から徒歩5分の比奈守神社。

      
     
             上二枚は茜部神社にて

     
       比奈守神社の注連飾りが風情があって好きだ

     
    
         神社境内にある秋葉さんと津島神社

        
  さり気なくある石碑 明治22年、けやきやもみじを寄贈した人の記録  
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