魔人の鉞

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「英霊」 の無念を忘れない

2014-10-13 16:59:08 | 第2次大戦

靖国神社についての私の長年のもやもや
をスッキリさせてくれた、『「靖国」と日本の戦争』 岩井忠熊 (新日本出版社、2008年)

著者は1945年3月、海軍の特攻部隊・第39震洋隊の隊員として石垣島へ向けて航行中、
輸送船が撃沈され、仲間の特攻隊員や他の兵員等260人が戦死する中、辛くも生還したと
いう人物です。特攻隊に入ったのですから、当時は立派な軍国青年だったのでしょう。

東京招魂社を前身とし、1879年 (明治12) に明治天皇の勅命で創建された靖国神社。
祭神は、非命に倒れた討幕の志士たちや戊辰戦争以来の戦死者を祀りました。
蛤御門の変 (1864) では会津・薩摩・彦根など天皇方=官軍を長州が攻めたのですが、
なぜか両方とも祭神になっているそうです。敵味方ともお祀りするのは日本のよき伝統
ですが、戊辰戦争以後については官軍だけをお祀りしています。

孝明天皇を守護し、1863年10月9日付で天皇から 「その方の忠誠に深く感悦した」 という
きわめて異例な御宸翰を戴いた会津藩主松平容保は、しかし孝明天皇の逝去後、明治
天皇即位してわずか10か月後には逆賊となってしまいました。

1867年 (慶応3) 11月8日には討幕の密勅、9日には討幕と合わせて松平容保とその実弟
松平定敬を誅戮せよとの密勅が出されます。これらは当時の摂政の知らぬ間に、権限の
ない中山忠能、正親町三条実愛ら数名の公家が天皇の勅語を取り次いだとして署名した
そうです。これは 「偽勅」 だと著者は断定します。(19p)
特に変わりないのに父天皇の信任を覆して誅戮せよという密勅を出したとしたら、
「不孝というべきこと」 だとします。(21p)

このような陰謀で起こされた戊辰戦争。だから勝てば官軍といわれました。公武合体論
をつぶし、会津を無理やり逆賊に落とし込んだことなど、幕末から明治の目まぐるしい
政局の変転に、私はずっと疑問を持っていました。明治維新はけっして美談ばかりでは
なく、一面では大変な権力闘争だったのです。

維新以来、国のために死んだ兵隊さんは英霊として靖国神社に祀られていますが、戦う
こともなく餓死したり、無為に戦死させられた兵隊さんも英霊なのか。このこともずっと
私の中にわだかまっていました。無駄死、犬死などとは死者を冒涜するものではないか。
誰しもそう感じるでしょう。
しかし著者は、軍が記録した「大東亜戦争戦闘詳報」の中から、「徒死」 「犬死」 と書か
れた軍艦大和と第二水雷戦隊の項を紹介します。

「軍艦大和」自昭和20年4月6日 至昭和20年4月6日
六 参考事件 (戦訓) 作戦用兵之部  
一、(ロ) 「思ひ付き」 作戦は精鋭部隊 (艦船) をみすみす徒死せしむるに過ぎず
  (以下略)
「第二水雷戦隊」の項では、
「特攻部隊の使用に当たりては・・・・思ひ附的作戦或は政略的作戦に堕し貴重なる
作戦部隊を犬死せしめざること特に肝要なり」
とあります。(142p)

また駆逐艦の名艦長 原為一大佐は、艦長は艦と運命を共にするという常識を否定し、
常々 「艦を沈められたら、泳いで助かって、また戦え、犬死するな」 と言っていたそう
です。実際、乗艦矢矧は特攻した大和とともに撃沈されましたが、原大佐は生きて戻り、
川棚突撃隊司令として著者の上官となったそうです。(141p)

著者は、一緒に乗っていた輸送船の撃沈で死んだ仲間たちを追憶します。
「それらの人びとは、ひとりひとり人間くさい人格であり、長所もあれば欠点ももった人
として私の頭にうかびます。『英霊』などというもったいぶったことばで飾るのにふさわ
しくない、その当時には親しみをもった人たちだったのです。(中略)
魚雷の命中で死んだ人たち、露天甲板で血だるまになってのたうちまわっていた人たち、
荒波の中を必死に泳ぎ、やがて溺れていった人たち、あの人たちに、国のために死ねて
満足だったという感情があったなどということは、思いもつかないことです。強いて
いえば、『無念』 の一語に尽きるのではないでしょうか。そう思いやることが、私の
できる、ただ一つの追悼です。」 (145p)

私も著者の思いに共感します。戦死者と言いながら、実際は餓死・病死、輸送中の撃沈
海没等のほうが多いと言われます。単に 「英霊」 としてたてまつることは、そうした
人たちの、思うように戦うことさえできずに死んでいった無念を忘れ去ることになって
しまうのではないでしょうか。日本の敗戦は、そうした、人を大切にしない、人命を
無駄にする精神主義のためだったと思います。

そのうえ靖国神社には、無謀な戦争を指導した人、むちゃくちゃな作戦で多くの兵隊を
餓死させた人、特攻などという馬鹿げた作戦を指令した人、などなど、真の英霊が聞い
たら怒り狂うのではないかと思われる人もたくさん祀られています。さらに、捕虜虐待
などで戦後処刑された人もみな祭神になっています。A級戦犯だけではありません。

国を愛する心と靖国神社にお参りすることは、別のことです。戦没者を追悼することと
靖国参拝も別のことです。
あの靖国神社は 「天皇のために死ぬこと」 こそが人民のあるべき姿だという、特殊な
狂信的教義を持つ、一つの宗教法人に過ぎません。長谷川三千子さんや櫻井よしこさん、
東條由布子さんたちには、そうした教義を押し付けないでほしい、とお願いしたい。
       (わが家で  2014年10月13日)

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