魔人の鉞

時事、歴史、宗教など、社会通念を独断と偏見のマサカリでスッキリ解決!  検索は左窓から、1単語だけで。

満州国は理想郷のはずが・・・

2014-03-19 18:24:49 | 第2次大戦

以前から興味のあった石原莞爾氏の評伝、「秘録 石原莞爾」 横山臣平 (芙蓉書房出版、1995)。

著者横山臣平氏 (1888生) は石原氏と幼年学校・陸軍士官学校 (21期)・陸軍大学とずっと
同期で、「心から尊敬する親友」 と記しています。

石原莞爾は関東軍参謀として、柳条湖事件を策謀し、日本政府・軍中央の 「不拡大方針」 を
無視して戦線を拡大しついに全満州を占領、アジアの5民族が平等に協力するという 「五族協和
の王道楽土」 満州国を立ち上げた怪人物です。

「石原は下剋上の闘将として満州事変を起こした張本人であったが、その思想の根底は、対ソ戦略
準備の拡充であり、支那と相携えて東亜を守るという心情であった。」 (403p)
しかし、のち参謀本部作戦課長などを経て古巣の関東軍に戻り、参謀副長に就いて目にしたのは、
「建国当時の協和精神が著しく改悪」 されており、関東軍参謀長東条英機による 「官僚的な内面
指導と、日系官吏の横暴に対する住民の憤懣」 があふれていることでした (285p)。
東条中将は 「内面指導権により (中略) 満州国の政治に極端な干渉を行っていた。東条の下に
後から赴任した石原は東条一派のこの内面指導を目の当たり目撃し、全満に広がる民衆の不平不満
の声と彼らの泣訴を耳にして、その後反東条的態度を益々強硬にとるようになった。」 (285p)

残念ながらその後石原は東条に排斥され、彼の理想はついに大日本帝国の国策精神とはなりえず、
満州国は植民地支配の道具としての 「かいらい政権」 にしかならなかったのです。
今日の右派論客が 「当時、植民地争奪は各国がやっていたので、日本だけが悪いわけではない」
などと言うのを聞いたら、理想郷を築こうと満州国を作った石原氏は怒り狂うのではないでしょうか。

それにしても、「石原の満州事変に示したお手本は余りにも手ぎわが良く、後輩将校とくに中央部の
中堅層将校の 『あこがれ』 の的となり、独断専行と下剋上の気風を助長」 しました。
石原自身は支那事変以後の陸軍独走による対中戦争拡大に反対しましたが、日本陸軍は 「深入り
して支那大陸にその足を縛られて動きが取れなくなり、(中略) 国際緊張とひっ迫する資源不足を
打開するため、決意したのが対米英戦争」 だったわけです。 (403p)

一将校が中央の指令に反して戦線拡大に成功し称賛され、お咎めをうけるどころか昇進するという
悪例を作ったのは石原莞爾その人でした。その後中堅将校が石原氏に倣って対中侵略を拡大し、
五族協和の理想などは中国蔑視の暴支膺懲の声にかき消され、ついに対米英戦争にまで至った
のは、石原氏に責任の一半があります。不遇の身で終戦を迎えましたが、以て瞑すべしでしょう。
       (わが家で  2014年3月19日)

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櫻井よしこ女史は 日本被害者論がお好き

2014-03-15 18:25:54 | 第2次大戦

「日本よ 『歴史力』 を磨け」 (櫻井よしこ編、2007年、文芸春秋) から。

第五章 「原爆投下」の嘘     

鳥居民氏の 「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」 (草志社、2005年)を取り上げています。
私も、原爆投下は 「人道に対する罪」 に当たると思いますが、鳥居氏の論点は別のところにあり
ます。

トルーマン大統領はソ連の参戦で日本が降伏してしまうのを恐れ、原爆の準備ができるまで日本を
降伏させないよう巧妙に手を打った、というのが鳥居氏の見解です。
鳥居 「鈴木首相はアメリカが日本に対する降伏条件を明らかにするのはドイツの降伏のあとと思って
いましたが、ドイツ降伏後も、沖縄戦の後になっても、アメリカは一向に降伏条件を示してこない。
七月になってやっとアメリカ側は対日宣言を発表します。日本に対する原爆攻撃の準備が整っての
ことだとは日本側は知る由もありません。(中略) トルーマンは日本がそれを受け入れないように
入念な細工をほどこし、陸軍長官スティムソンの原案から天皇の地位保全の条項を削ってしまって
います。」
しかし、ミッドウェーで海軍主力が壊滅 (1942.06) し、死者10万人という東京大空襲 (1945.3月) が
あり、同盟国ドイツが降伏 (5月) し、沖縄も壊滅 (6月) したのですから、降伏または停戦しようと
思えば原爆を待たずとも時期はいくらでもあったはずです。アメリカの提案を待っていないで、自ら
講和条件を提案すればいいだけのことです。私は子供の頃、なぜ日本はもっと早く講和しなかったの
か不思議でした。
出来なかったのは、「皇軍=天皇の軍隊」 は降伏を許さず、神国は不滅だという神話に自縄自縛と
なり、真の国民の幸福を考えなかったからです。必要であれば自ら講和を持ち出せばいいので、アメ
リカの策謀で講和が引き伸ばされたなどというのは、仮に策謀があったとしても負け犬の遠吠えであり
責任転嫁であって、同じ日本人としてまったく恥ずかしくなる言い草です。

更に、「真珠湾の真実~ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・スティネット、妹尾作太男訳、文芸春秋)
を引いて、真珠湾攻撃をアメリカは暗号解読であらかじめ知っていたという昔からの陰謀説が間違い
なく立証されたかのように紹介しています。
櫻井 「奇襲14か月前の <対日開戦促進計画> (マッカラム覚書) に始まって、奇襲前月の11月に発令
された 『真空の海』 命令による奇襲受け入れ海域の創出という周到な罠に至るまで、解読されて
しまっている暗号信号によって行動している日本海軍と、ルーズベルト政権の非情さと狡知のあまりの
対照に、"情報戦争" というものに端から敗れ、『暴発』 に向けて追い詰められていく日本の国家と
しての脆弱さに慄然とせざるを得ませんでした。」

櫻井氏はよほど日本が悪者にされて悔しいらしい。これも、仮にそれが真実だったとしても、問題に
なるのは大統領として自国軍民の安全を守らなかったという米国内での批判であって、攻撃に行った
日本がそれを 「ルーズベルトの狡知」 とか 「追い詰められていく日本」 などと被害者ぶっても、
誰も同情などしてくれないでしょう。馬鹿にされるのがオチです。

櫻井氏は日本被害者論がお好きのようです。植民地争奪は当時は当たり前だったから日本だけが悪い
のではない、という論者もいます。要するに、日本は追い詰められ、陥れられたのであり、被害者だ
と言いたいのでしょう。しかしそう言う人達は、植民地とされ、あるいは攻め込まれて軍民を殺害され
た相手方の心情をまったく省みることはないのです。
日本が100年も統治し、日本の統治は素晴らしいからいつまでも植民地でいたい、ということなら良い
のですが、日本は敗戦しました。朝鮮での創氏改名も各地での神社建設・参拝強制も忌み嫌われ、戦後
すべて廃止・破壊されました。
シンガポールのリー・クアンユー氏は日本びいきで知られていますが、日本の占領時代はやはり圧政
だったと言っているそうです。それを被害者面をして、誰が同情するのでしょう。櫻井女史や日本の
右派と言われる人達は、古傷をなめ合っているだけです。

第六章 「東京裁判」の嘘
これはもう言い尽くされたことで、事後法による戦犯裁判は間違いだ、という主張です。しかし私が
思うには、日本人が自らの手で責任者を処罰しなかったのが根本原因です。そして日本は講和条約で
東京裁判の結果を受け入れました。事後法がどうの、というのは後になっての言いがかりで、どう
しても不満なら講和条約を破棄するほかありません。
今の右派の人たちは、本気でそれを考えているのでしょうか。そして、生意気な中国韓国を今度こそ
懲らしめようと思っているのでしょうか。馬鹿馬鹿しいことです。

第七章以下はほんとにもうたくさんです。平然と妄説を創り出し、他者の痛みを感じない人たちの
論理は読むに値しません。
       (わが家で  2014年3月5日)

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櫻井よしこ女史は 泣き言ばかりの 「自虐史観」

2014-03-04 18:27:26 | 第2次大戦

以前から気になっていた、櫻井よしこ女史。多くの論点を一度に読めそうなので手に取った、「日本よ 『歴史力』 を磨け」 (櫻井よしこ編、2007年、文芸春秋)。

右派のアイドル理論家櫻井よしこ女史が編んだ本ですが、ほとんどトンデモ本の類ではないかと感じました。読み通すのは苦痛でしたが、今の日本では、こういう考え方で教育の見直しが叫ばれているのだ、ということを確認することができました。

冒頭に、「いわゆる 『日本悪玉史観』 『自虐史観』 『東京裁判史観』 を検証し、(中略) そうした物の見方に異議を唱え、(中略)  事実に沿って理性的に歴史を見つめることで、私たちの国、日本の歩みを検証しようとする試みである。」 とこの本の趣旨を語っています。
「理性的に歴史を見つめる」 という前から、対象に 『日本悪玉史観』 『自虐史観』 などというレッテルを貼りつけるのはどうかと思いますが、私は冷静に本の内容を検討してみたいと思います。

(内容)
第一章 「慰安婦強制連行」の嘘 櫻井よしこ(書き下し)
第二章 「南京大虐殺」の嘘    櫻井よしこvs. 北村稔
第三章 「日中戦争」の嘘     櫻井よしこvs. 北村稔
第四章 「第二次世界大戦」の嘘  櫻井よしこvs. 伊藤隆/北村稔/滝澤一郎/中西輝政
第五章 「原爆投下」の嘘     櫻井よしこvs. 鳥居民
第六章 「東京裁判」の嘘     櫻井よしこvs. 庄司潤一郎/橋爪大三朗/八木秀次
第七章 「朝日新聞」の嘘     櫻井よしこvs. 佐々淳行/平川祐弘 (※祐のヘンは示)
第八章 「冷戦終焉」の嘘     櫻井よしこvs. 伊藤隆/中西輝政/古田博司

以上八章からなっています。

第一章で櫻井氏は、「私たちは、慰安婦となった女性たちに日本人が行ったことに対して深く反省している。それは紛れもない事実である。他方、政府が強制した、あるいは軍が拉致したという事実がないことも明らかである。」(36p) と殊勝気に書いています。
しかし櫻井氏は 「強制連行は無かった」 と主張することに熱心で、「深く反省」 しているその内容がさっぱり見えてきません。橋下氏や政府要人や 「自虐史観」 否定派といわれる人たちの間に、「慰安婦を軍が管理するのは当然」 とか 「慰安所はどこの国にもあった」 という意見が公然と支持されているのを放置しておいては信頼感に欠けます。まさか 「強制連行は無かった」 という意見広告を米紙に出すのが反省の中身ではないでしょう。

強制連行は無かった、逆にそういうことを禁止する通達が出されていた、と櫻井氏は主張します。しかしそういう通達は、そうした事件が起きたから出されるというのがまさに歴史の教えるところです。徳川幕府の禁令は、ことが頻発するから禁令を出すというものでした。
1938年11月の軍の指令は、「21歳以上で既にその職業に就いている女性を対象とするよう命じ」 ているとのことです (23p) が、1937年7月の盧溝橋事件・年末の南京占領から1年、その程度の生やさしいことで必要人数が満たせたのかどうか。朝鮮の東亜日報に、強制的に慰安婦を集めた業者が朝鮮警察に処罰された、という記事が掲載されたのは1939年8月とのことですが、
募集状況が年々悪化していった可能性があります。またこれ一つを以て、「日本政府が人道にもとる罪を厳しく処罰していた証拠」 として掲げています (23p) が、当時の軍部は内地の日本人の人権でさえ何とも思っていなかったということを、櫻井氏は知らないとでもいうのでしょうか。

第二章 「南京大虐殺」の嘘 
ここでは、「外国人の見た日本軍の暴行」の著者ティンパーリ氏や、金陵大学教授ルイス・スマイス氏は中国国民党のスパイまたは資金援助を受けており、大虐殺はまったく虚報だったとしています (38-41p)。しかし私が2月25日付で紹介した南京近郊・幕府山での捕虜虐殺事件のように、捕虜の始末は日本軍の方針だったと考えられます。それが20万人とか30万人とかは別として、国民党の情報戦に負けたと強調するあまりに、全体を客観的に見る目が曇っていると感じざるを得ません。

第三章 「日中戦争」の嘘
ここにはもっと噴飯ものの説がいくつも登場します。
櫻井氏 「共産党が政権を奪取するチャンスをもっとも与えたのは、日本軍でした。(中略) ですから、中国共産党の幹部は、東条さんが祀られている靖国神社に、(中略) 感謝の意を込めて参拝したらいいのです。」 中国人が聞いたら卒倒するか、その場で殴り掛かることでしょう。こんなことは、理性ある大人が言ったり書いたりすることではありません。

櫻井氏 「1936年12月の西安事件で、蒋介石が張学良に監禁され、共産党から 『内戦停止』と 『一致抗日』 を迫られて第2次国共合作が成立します。(中略) こうした偶発的な出来事によって、日本の運命は大きく狂わされていきます。」 
国共合作がコミンテルンの指示だったとしても、それは 「偶発的な出来事」 などではなく、また抗日戦争はすでに始まっていたわけで、それで 「日本の運命が狂わされた」 などということは泣き言に過ぎず、私にはとても理解できません。それこそ日本人として誇りを失った「自虐史観」 ではないでしょうか。

満州の利権について、北村氏は、日露戦争で 「満州に利権を持ってしまったのが日本にとっては不幸だったのかもしれません。(中略) 日本が手に入れたのは、ロシアが満州に築いた鉄道の南半分を借りる権利に過ぎず、しかも期限が短かった。(中略) そこで対華21か条要求 (1915)で99年間に延長しようとしたところ、中国は非常に強い反発をし、国際社会に対して日本の
非を訴える作戦に出たわけです。この後、様々なかたちで、日本の権益行使を妨げようとします。」 と解説します。

「満州の利権は日本の不幸」 なとどいう右派がいるとは思いもしませんでした。当時 「満州は日本の生命線」 というのが合言葉だったのではないですか。そして後に傀儡・満州国を作るわけです。北村氏には相手にとって不幸だった、という視点は全くないのです。

第四章 「第二次世界大戦」の嘘
中西氏は、「マオ-誰も知らなかった毛沢東」(ユン・チアン、2005.講談社) を取り上げ、「毛沢東こそ、ヒトラーや匹敵するスターリンと並ぶ 『二十世紀最悪の独裁者』 の一人であった、と断じています (89p)。たしかにそういう面があるようですが、しかし抗日戦争中は独裁者的性格が戦争のリーダーとして有用だったとも考えられます。日本の指導者は戦争指導の上で哀しいほど無能だった、ということを忘れては歴史研究の意味がないでしょう。

またその本から、軍閥・張作霖を爆殺した柳条湖事件の実行犯はソ連の諜報員だ、という説を紹介しています。(98p) たしかにそういう説もあるようですが、通説は日本軍の河本大佐ということになっています。事件を好機として関東軍はたちまち全満州を占領してしまったのですし、日本は河本大佐を処分していますから、ソ連諜報員説はきわめて薄弱です。しかし何とか陰謀説が成立してほしい、という願望が言葉の端々から伝わってきます。

ふたたび孫引きで、第2次上海事件 (1937年8月) が起きた時、〈日本は事件を穏便に処理したいという意向を示したが、(共産党のスパイである) 張治中 (将軍) は攻撃許可を求めて蒋介石を攻めたてた〉。
櫻井 「張治中は攻撃を拡大。挑発にまんまと乗せられた日本側が、大規模な増援部隊を投入したために、全面戦争に突入したと 『マオ』 は書いています。」
中西 「事実とすれば、日中戦争を日本軍による対中侵略としてきた見方を根底からくつがえすことになります。」
 
仮にそれが事実としても、どうして日中戦争の見方を 「根底からくつがえす」 ことになるのでしょうか。第2次上海事件を契機に日本軍は一気に南京まで攻略していきます。コミンテルンの謀略に乗せられて日本軍は何処までも進撃したのですか? どういう考えで戦争を拡大したのですか? それを知りたくても、日本は中国に宣戦布告をしていないので、戦争目的がはっきりしません。

対米英宣戦布告の後でアジア解放とか言い出しますが、それであれば日中戦争の最初からそう宣言していれば良かったのです。そうすれば戦うにしても戦い方や占領政策が随分違ったことでしょう。 そういう反省も何もなく、ただコミンテルンの陰謀だとか、後で出てくる、アメリカは真珠湾攻撃を暗号解読で知っていたのにわざと奇襲させた、とか、泣き言を並べています。そんな泣き言のどこに日本人の誇りがあるのでしょう。とんでもないことです。

戦後ようやく獲得した言論の自由を謳歌し言いたい放題。実物右翼は気に入らない集会を実力で妨害するし、ネット右翼は反対意見サイトを炎上させる。この人たちはヒトラーユーゲントみたいになりつつあるのではないでしょうか。(年寄もいるけれど)


酷い内容をきちんと批判するのはなかなか労力が要ります。まだ本は続きますが、すべてこの調子では読むのは無駄でしょう。
       (わが家で  2014年3月4日)

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日本人の誇りとは

2014-03-02 19:51:39 | 第2次大戦

このごろ、安倍総理により戦後教育の見直しが進められているようです。
総理や 「新しい歴史教科書をつくる会」 などの右翼的言論人は、朝鮮併合・
中国侵略から太平洋戦争 (大東亜戦争) に至る大日本帝国の歴史を反省する
ことを 「自虐史観」 として排撃し、日本に誇りを持てる教育内容にしたいと
主張しています。

私が思うには、誇りとはあったことを無いことにしたり、綺麗な言葉に言い換え
たりするのではなく、史実を直視し、反省すべきは反省して将来に生かそうと
する姿勢から生まれるものだと思います。

「日本の戦争責任」(若槻泰雄、1995、原書房)。
上巻
第1章 「どうして日本軍は銃剣で戦車に勝てると信じたのか」
第2章 「どうして日本の兵隊は勇戦敢闘したのか」
第3章 「どうして日本の軍隊は残虐行為をしたのか」
第4章 「いったいこの日本の軍隊の統率者はだれだったのか」
第5章 「いったい日本の戦争目的はなんだったのか」
第6章 「どうして当時のマスコミは戦争に反対しなかったのか」

下巻
第7章 「どうして国民は戦争に反対しなかったのか」
第8章 「いったい政治家、官僚は何をしていたのか」
第9章 「いったい学者、評論家たちは何といっていたのか」
第10章 「議論の行き着くところ」

あらゆる角度から、大日本帝国の惨憺たる失敗の原因を検討しています。
結局のところ、天皇陛下が名目上も実質上も大元帥として最高責任者であり、
その責任を真っ先に負わなければならない、ということです。私もこの意見
に完全に同意します。
そして天皇が自らの責任を回避したことが、戦後の無責任体制の模範になった
わけです。

下巻の最後に出てくる、学徒召集で戦死した中村徳郎氏の父君美素氏 (~1971) の
一文に感銘を受けました。氏は市井の一個人でした。
  (「天皇制を問い続ける」 わだつみ会、1978、筑摩書房 より孫引き)

「私は日本国天皇に申したい。あなたは何故に責任を取らないのか。取ろうと
しないのか。 (中略) 摂政時代から約数十年間というもの、一切合財の日本の
政治が全くの無知盲目の裡に行われたというのか。 (中略) 
反対であったのだ。反対であったのだが仕組上どうにもならず・・・では、
何百万か数知れぬ戦争犠牲者は浮ばれぬではないか・・・。
天皇は今日の日本の道徳的退廃の象徴、根源とされても致し方ないように思う。
それでは残念だ。 (中略) 明治に生まれ、大正に育ち、昭和に生きてきた
者にとっては、飽くまでも天皇を敵にしたくないのだ。心情において天皇に
ひいきしたいのだ。 (中略) だけれど、一天万乗の天子が身を以て範を垂れ
給わなければ、でたらめ、インチキ、無責任、恥知らず、猿芝居、あらゆる
罵詈雑言を受けても致し方ないではないか・・・」

残念至極ながら、同意せざるを得ません。


この本を読んだ後、昭和天皇の言動を初めて世に出したとして当時大きな話題と
なった、「昭和天皇独白録」 (寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー 編著、1991、
文芸春秋) を。

これを読むと、昭和天皇は柳条湖事件での田中総理の上奏が気に入らず、総理に
辞表を出したらどうかと叱責し、結局総辞職することになったのを反省して、
以後は内閣の意見を尊重するようにしていた (25p) 、というのです。

しかしその後も天皇は総理や高官の指名、外交策立案などに随時その巨大な
影響力を行使していたことが明らかです。大敗した 「レイテ決戦 」に賛成した、
とも書かれています。(100p) とても、知らなかったなどと言えません。
開戦の詔勅はもちろん天皇が裁可したものです。その時、「日本の戦争責任」の
第1章にあるような、敵味方の国力・軍事力の大差について知らなかったのでしょう
か。もし知らなかったなら、まったく節穴というべきです。

また特攻作戦についても、「特攻作戦というものは、実に情に於いて忍びないもの
がある、敢てこれをせざるを得ざる処に無理があった。」。(113p) ということで、
つまりこれを作戦として認めていたわけです。ならぬ、と言えば止められたものを
止めなかったわけです。

そして、いよいよ沖縄が陥落したあと、「雲南を叩けば米英に対して相当打撃を
与え得るのではないか」と考えて梅津参謀総長や賀陽宮に話したが、はかばかしく
ないので、「講和を申し込む以外に途はないと腹を決めた。」と言います。(114p)
これでは天皇が進んで作戦に口を出していた証明になるし、特攻や無理な作戦で
多くの将兵を死なせても平気だったのに、自分の身が危なくなってきたから講和を
決めたという感じを受けます。
マッカーサーと会見して自分だけ助かる、などというのでは、わが身が可愛かった
と言われても返す言葉があろうはずがありません。

わが昭和天皇陛下は、維新の元勲たちに祭り上げてもらった明治天皇の3代目で、
人や物事を見る目と道義が無いという感じを受けます。
八紘一宇、世界をわが天皇家の下に統一するなどという壮大な夢を語っていた
わけですが、残念ながら天皇はシーザーやアレキサンダーや、チンギス・ハーンや
ナポレオンといった英雄とは比べ物にならない君主だったと思います。
特に天皇制自体に反対はしませんが、せめて退位くらいしたら良かったと、残念
です。

日本人の誇りは、安倍総理のような 言葉のすり替えでは生まれません。しっかり
して下さい。
       (わが家で   2014年3月2日)

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