卑弥呼の墓について、邪馬台国九州派の論客安本氏の新刊「卑弥呼の墓はすでに発掘されている!!」 安本美典著、勉誠出版 2017年。
安本氏は話題の箸墓が卑弥呼の墓でないことを多角的に論証しています。
まず年代が違うこと。崇神天皇の没年を古事記の没年干支・戊寅で258年とするか、318年とするかについて、日本と世界の王者の平均在位年数をみると、古代はほぼ10年、仁徳~用明の15代16年間の平均は10.67年。3代後の成務の没年・乙卯を355年とすれば、258年はあり得ない (23p)。したがって卑弥呼に擬せられる箸墓のヤマトトトヒモモソヒメとは合わない。
箸墓の遺物の放射性炭素年代では、箸墓より古いとみられるホケノ山古墳の小枝の分析では、4世紀のものである確率が70-80% だということです (131p)。
そしてなんといっても問題になっている、卑弥呼の墓のサイズ。径100余歩で直径140mの大型円墳というのが一般的な理解ですが、これについて安本氏は画期的な新解釈を施しました。「兆域」、つまり墓域全体ととらえたのです。兆域は陵そのものよりも著しく大きな場合があるとします (142p)。これは実に意外なアイディアでした。魏志倭人伝は 「大作冢」、大いに冢を作るとあって、「作大冢」 大きな冢を作る、とは言っていないわけです (143p)。箸墓は前方後円墳という特殊な形態で円墳ではなく、全体の大きさも300m級ですから、まったく当てはまりません。
安本氏は、都と墓所は別でもおかしくないとし、たとえば平原 (伊都国) 王墓を想定できる、ということのようです。同墓は全国最大46.5cmもの内行花文鏡5面のほか漢鏡など、質・量ともに圧倒的な副葬品を誇ります。断定はしていませんが、もう見つかっているのではないか、とします。
墓のサイズ、年代、副葬品、いろいろな状況から、卑弥呼の墓が北九州にあるのはほとんど確実でしょう。