久しぶりにイスラム本を。
「クルアーン的世界観」 ~近代をイスラームと共存させるために~ アブドゥルハミド・アブー・スライマーン著、塩崎悠輝・出水麻野訳、作品社 2017年。
著者は世界ムスリム青年連盟事務局長、マレーシア国際イスラーム大学長を歴任、現 国際イスラーム思想研究所運営評議会議長、というイスラム思想のリーダーの一人だそうです。解題によると、イスラーム共同体の低迷の原因をイスラーム自体の知のあり方に求めるという、まっとうな考え方だが、イスラム世界ではあまり賛同者はいないそうです。
ともあれ、イスラム世界最高の知識人の一人です。その著者がこう書いています。
「人間の知性のはたらきは、アウトプットがインプットに依存しているという点ではコンピュータに等しい。受け取るインプットが確かなものであれば、アウトプットも確かなものとなる。」(48p)
ここで私はガッカリしました。人間の知性は人それぞれ、みな自分なりの眼鏡を持っています。モノの見方に偏りがあり、その理解の仕方に査定があるのはむしろ当然。ところが著者はそんな心配をしていません。イスラムの教えをきちんと理解すれば、物は正しく把握でき、正しい行動に結びつく、と信じているらしい。しかし、クルアーンの解釈だけでも人それぞれ違いがあります。だからこそイスラム世界が分裂し停滞しているのではないのでしょうか。
またこうも言います。「我々は、普遍のものと変わるものとの両者を含むこの宗教の源泉の性質を認識しなければならない。クルアーンが神の言葉であり、神から人類への最後の信託であるならば、それはつまり、クルアーンがあらゆる時と場所における宇宙秩序の性質や法則を正しく生かす確固たる導きの源泉であるということだからである。」(112p)
クルアーンは確固とした不易の源泉である、というなら、イスラームは変わることができません。なぜアラーは1400年間も新たな神託を下さないのでしょうか。預言者のスンナはクルアーンを実際に適用実践する方法の最善例だというのですが、スンナの解釈も人により様々です。多くのウラマーが自分流の解釈を施すので、統一などはあり得ません。研究すればするほど違いが大きくなりかねない。それは人の知性というものは、一律に規制できないものだからです。
アラーはそうした人類を憐れんで、現代にふさわしい神託を垂れればよいのに、そうしない。それはムハンマドが最後の預言者だと自己規定してしまったからです。イスラムの教義は、一人の人間なのに最後で最大の預言者などと思いあがったムハンマドのせいで決定的に誤ってしまいました。イエス・キリストは最後の預言者どころか、三位一体で神になってしまいましたが、自ら神になろうとしたわけではなく、新約聖書が最後の神託だなどとは言っていません。イスラムでは、変えようと思えばムハンマドを最後の預言者の座から引きずりおろさなければなりませんが、それはほとんど無理。イスラームはどこまでもムハンマドの桎梏に苦しめられ、西欧はもちろん日本や中国、さらにはインドの後塵を拝するのはやむを得ないでしょう。石油が支配的エネルギーの座を降りれば、アラブ世界、そしてイスラーム世界はさらに没落する。そのとき初めてイスラムという宗教が変わるかもしれません。それまで私はイスラムを批判し続けますが、変化を見届けることはできないでしょう。もう年ですからね。