魔人の鉞

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地理学者の読んだ 魏志倭人伝

2016-01-25 16:37:05 | 邪馬台国
邪馬台国に関して面白い説を唱えている、元東京都立大学理学部教授
野上道男氏の「魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸」(古今書院 2012)。

氏は地理学者で、歴史や考古学は素人と自称しつつ。地理学の立場から
魏志倭人伝や日本書紀その他の書物を解読しようとしています。

文章は論文ではなく随筆だとして、時におやじギャグを交えるのですが、
実は緻密でなかなか難解です。
中でなるほどと感じさせるところがいくつも出てきました。

一番驚いたのは、郡から倭に至る道程記事です。氏は、一大国~松盧国~
伊都国へと向かうルートは往路ではなく帰路を逆に書いたもの、とします。
なぜなら、対馬海流と卓越風があるため東に流されるので、北九州から
朝鮮方面へ渡るにはなるべく西の海岸から船出する必要があるはず、と
いうことです。神功皇后も豊臣秀吉もそうしています。往路は逆で、博多
方面の那の津に着くはず、と考えます。

これは道理の話で、松盧に着いてわざわざ前の人も見えない草木の茂る
山越えをして博多へ行く、などというのはまったく不自然です。西から
船出するために、山超えをして松盧に出るというなら合理的です。
倭人伝原文の松盧国の説明に、「草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒水無深浅
皆沈没取之」とあるのは、もし往路松盧の港から陸路博多方面へ行く道中
の説明なら順序が逆になっている、といいますが、なるほどそうです。

また方角についても、対馬海峡の風を重視して南を南南東とし、座標を
30度左回転させると、倭人伝の記述がほとんど適合するとしています。
距離については、山頂などの地標を山あてとしてその直線距離で表示して
いると考え、倭人伝記載の距離から算出すると1000里=67kmで、これで
ほぼすべての距離や面積の表記が整合的に説明できるとのことです。

日本書紀は卑弥呼の没年と神功皇后の没年を一致させ、倭人伝の引用を
盛り込むなどして比定させようとしていますが、どうもまるで該当しない
とのこと。また、日本書紀の作者は卑弥呼を大和朝廷の先祖として尊重
する気配がない、とも言っています。別の系統ではないか、と。

AD 181年ころにニュージーランド北島のタウポ火山の大噴火があり、地球
全体に大変な異常気象があったとされ、日本書紀の崇神天皇5年の災厄の
記事がこれと関連するとすれば、崇神天皇とそれ以後の年代を決めていく
重要なポイントになるとしています。

畑違いと言いながら、とても面白く参考になりました。
     (自宅で  2016年1月25日)
 
コメント
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