魔人の鉞

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御巣鷹山・日航123便のニュース速報の時間を

2020-11-10 10:11:53 | 日航123便

以前

御巣鷹山 35年、原因と救助の遅れに納得できず

という記事を書きました。隔壁破壊に一般的に伴うはずの、機内が見通せなくなるほどの霧が発生していないことや、何より最大の疑問は、墜落現場の特定が大幅に遅れたことだ。墜落時間は8月12日の18時56分だが、地元の消防団員が生存者の落合由美さんを発見したのは、翌日午前10時54分だったことになっている、など、たいへん疑惑に包まれているという記事です。

これに前野潔さんという方から、2020-10-14 にコメントをいただきました。氏も、不自然な点が多いため、納得がいかず、調べてきたそうです。

「実は、NHKの記者だった方が、当時ニュース速報は18時58分くらいにあったことを語っています。しかし、実際には公式には19時26分という話が出来上がっています。生存者の数もおかしな話があり、情報操作をしているようです。

今、NHK以外にもニュース速報がなかったか、初報が18時58分前後ではなかったかの記憶のある方を探しています。私の妹は高校生でしたが、スヌーピーのアニメがあり、その後にあったローカルニュースの途中に速報があったと記憶していました。真相究明のきっかけを探しています。家族や友人含め、誰か記憶がありましたら、よろしくお願いいたします。」

とのことです。

コメント欄では目に触れにくいので、あらためて掲載することにしました。ぜひ情報をお寄せください。

なおカテゴリー 「日航123便」 を設置しました。

 

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御巣鷹山 35年、原因と救助の遅れに納得できず

2020-08-13 17:13:45 | 日航123便
毎日新聞2020年8月13日の毎日新聞朝刊 (抄録) に、「国の調査結果に納得できない遺族の思い」という記事がありました。
遺族の一人『増永茂子さん(71)は英国航空の元客室乗務員で、生存者の証言から圧力隔壁の破壊が起きたとは思えなかった。再調査を求めて何度も運輸省() に足を運んだ。だが、対応した職員に、「(再調査すれば) 報告書の内容が変わってしまう」といわれ、ますます不信感が募ったという。』
 
とのことです。御巣鷹山墜落の日航機については、原因は修理不良による圧力隔壁の破壊、という公式報告を真に受けて、これまでほとんど気に留めていなかったのです。しかし検索すると森永卓郎氏がこんなことを書いていました。
 
森永卓郎の戦争と平和講座 第76回:日航123便はなぜ墜落したのか 2017年8月30日 掲載 (抄録)。 

「この事故原因に関しては、当初から様々な疑念が呈されてきた。例えば、圧力隔壁が破損すれば、急減圧で機内に濃い霧が発生する。それは、過去の機体破損の事故で共通して起きている。しかし、123便では、薄い霧は発生しているものの、機内が見通せなくなるほどの霧は、発生していないのだ。最大の疑問は、墜落現場の特定が大幅に遅れたことだ。墜落時間は、8月12日の18時56分だが、地元の消防団員が生存者の落合由美さんを発見したのは、翌日午前10時54分だった。自衛隊が現場を特定したのも、公式には翌朝になってからということになっている。

内陸部に墜落したのだから、機体は直前まで、確実にレーダーで捉えられていたはずだし、近隣住民も火の手が上がるのを目撃している。なぜか墜落現場は翌朝まで特定されなかったのだ。もっと不思議なことは、米軍が墜落直後に横田基地から輸送機を現場に飛ばし、上空から山が炎上するのを確認し、自衛隊に通報するとともに、米軍輸送機の誘導で厚木基地を飛び立った米軍の救難ヘリが現場に到着しているのだ。だが、救援ヘリは、救助開始寸前に作戦中止を命じられ、何もせずに引き返している。つまり米軍は最初から墜落現場を完全に特定していたにもかかわらず、何故か日本政府には伝わっていないことになっているのだ。

今年 (2017) 7月に青山透子氏が『日本航空123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)という本を出版した。この本のなかでまず注目すべきことは、墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたという複数の目撃証言だ。この証言のなかには、当時の小学生が事故の状況を綴った文集のなかでの証言も含まれている。この証言を前提にすれば、日本政府は、当初から墜落現場を完全に把握していたことになる。それでは、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛隊は一体何をしていたのだろうか。

相模湾の海深く沈んでいると言われてきた (尾) 翼も、この (相模湾) 近辺の浅い海に沈んでいる可能性が高いのだ。尾翼が見つかれば、事故原因がはっきりする。もしも、訓練用のミサイルが尾翼を直撃したのであれば、尾翼の残骸にオレンジ色の塗料が付着していると考えられるからだ。ところが、日本政府や日本航空は残骸の引き上げに動こうとしない。」

 長文の引用になりましたが、たしかに疑惑が一杯です。特に、墜落地点の確認と救助活動の遅れがまったく不可解です。陸地に墜落しており、レーダーで捕捉されているはずで、地元でも火災を通報しており、米軍からの通知もされていた。にもかかわらず、墜落地点が翌朝まで分からなかった、などという事が考えられるでしょうか。8月12日といえばまだ日が長く、墜落した18時56分といえば日没直後でまだ薄明かるいのではないでしょうか。火の手も上がっていたわけです。それが、翌朝まで墜落場所が見つからないなどという事は絶対にあり得ない。

そのために救助活動の開始が丸々半日も遅くなったことは間違いない。早ければもっとたくさんの人を救助できたはずです。524人搭乗の旅客機ですから、万一のことがあれば大変な事態になることはわかっていたはず。警察も消防も航空管制も自衛隊も、関係者が全員揃いも揃って怠慢だった、誰一人まともな働きをしなかった、などという事がありうるでしょうか。なぜすぐに現場を特定して救助活動が出来なかったのか、それだけでも重大な問題になるはずです。最近の政府・官僚を見ているとそれもあり得るという気もしますが、35年前からすでにそうだったたとは思いたくないですね。

あるいは何らかの隠蔽工作がされた可能性も考えられます。森永氏は自衛隊のファントムの訓練用ミサイルが尾翼を破壊した可能性にも言及しています。調査の不徹底、不明瞭さは遺族の益永さんが疑惑を持つのも当然です。

単なる悲劇として忘れ去っていいものではない。今後も関心を持っていきたいと思います。

 

 

コメント (1)
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