魔人の鉞

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憎悪をあおる者は 犠牲者への共感は求めない

2017-08-16 16:18:54 | 文明史・進化論・哲学

きのう終戦記念日。夏とは思えない冷たい雨が続いています。
晴耕雨読、孫たちもいなくなり、書類づくりと読書の一日です。

『人はなぜ 「憎む」 のか』 ラッシュ・W・ドージア Jr. 著、
桃井緑美子訳、河出書房新社 2003年。
著者はアメリカ人で、ピュリッツァー賞受賞作家だそうです。
原題 Why we hate 、今話題のヘイト・スピーチのヘイトです。

著者は、人間の脳の発達を3段階で説明し、ヒトの脳が爬虫類の脳
(脳幹と大脳基底核) 、獣弓類 (レプトママル) の脳 (辺縁系)、
哺乳類の脳 (新皮質) で構成されるといいます。

辺縁系の古い神経系はものごとを2分割で迅速に判断するそうです。
レプトママル時代の、生命と生殖に有利・不利な物事を迅速に判断
し即座に対応するための反応で、善悪・好悪・われらと彼らの2分法
です。
これに対して新しい神経系は理性的に物事を検討し判断する。しかし、
憎しみが嵩じると古い神経系が脳の支配権を握り、理性的な判断を
寄せ付けなくなる。といいます。
実際には人類は遺伝的にほとんど近似であり、人種間の差異よりも
個人間の差異の方が大きいので、われらと彼らの2分法などはまった
く意味がない、など、憎しみに対処するいろいろな知恵や方法が明ら
かにされます。

しかし私が特に興味を持ったのは、ヒトは本能の働きが弱いために、
どうしても意味体系を必要とする、という指摘です。
ヒトは他の動物と違って、本能だけでは成長し生き抜くことが出来
ません。そして個人としての意味体系は社会が提供し、私が思うに
多くの場合に宗教がその大きな要素として存在してきました。
宗教は多くの社会にみられるので、ヒトには宗教を信じる本能がある、
と主張する人もいるほどです。しかしそれは、何らかの 「意味体系」
を持とうとする生得の素質 (本能と言ってもいい) がある、という
のが妥当だと思います。「宗教」というのはキリスト教世界を標準と
するために出てくる意見で、スコラ学派や佛教や儒教などは宗教では
なく哲学あるいは倫理学ですが、「意味体系」であることは確かです。

そして宗教 (あるいは意味体系) は発展する人類社会に対応して変化
し、一神教というドグマを生み出しました。これはたいへん厄介な
代物で、特にイスラームは自らを最終的で絶対的な啓示と宣言した
ため、その後の人間社会の発展に対応できなくなってしまいました。
イスラームではヒトは生まれながらにそのドグマに制圧され、自分の
意味体系を探す自由などありはしません。まことに、一たび成立した
社会的意味体系 (また偶像とも呼べるでしょう) は恐ろしいもので、
アラーの奴隷として安住する者にとってはむしろ居心地がよく、改革
するのは容易ではありません。社会全体で、「人間的な自由からの
逃走」を自覚せずに実行している、という事かもしれません。

著者の関心事である「憎悪」との関係でいえば、著者はビン・ラディン
などの過激派は教義を誤って解釈したとしていますが、私は教義の誤解
ではないと思います。教祖ムハンマド自身が、イスラームの拡大のため
に敵対するクライザ族の1000人を斬首して穴に放り込み、女子供を奴隷
や妾にし、別の町では若妻サフィーヤの夫を殺して自分の妻にしたの
です。それを神が咎めたのなら分かりますがそんなことはなく、むしろ
イスラームは勢力を拡大し、メッカに凱旋することになるのです。

私も現代のムスリムがそのことに責任があると言うつもりはありません。
しかし、そうしたことは現代では許されない蛮行であることを認め、
批判してほしいのです。人が苦しいときに原点に帰るのはごく一般的な
事で、ホメイニ師のようにクライザ族虐殺を褒めたたえるような人まで
いるのですから、敬虔なムスリムから斬首するテロリストが生まれる
ことにはなんの無理もありません。
イスラムは善良だ温和だと言いながら、こうした教祖ムハンマドの行い
を批判もせず放置しているムスリムやウラマーは怠慢であり不誠実だ
と思います。そのことを心から否定するのでなければ、いつ牙をむくか
分かりません。イスラム善人説は個人的なレベルではそうかもしれない
が、あくまで一つの宣伝文句であり、油断するのは危険です。

それから、この指摘に思わず納得しました。
「憎悪をあおる者は自分への共感を求めるが、犠牲者への共感は求め
ない。」(179p)。
ヒトラーをその典型として挙げていますが、ビン・ラディンも9.11の
後で犠牲者になんの共感も示さなかったそうです。今日の日本でも多く
なった、ヘイトデモやネット右翼を見るに、まったくこの指摘がピタリ
と当てはまると思います。戦争被害者に目を向けない安倍総理は、
まさに右代表というべきでしょう。私は犠牲者への共感を決して忘れ
ないようにしたいと思っています。
    (わが家で  2017年8月16日)

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