魔人の鉞

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「君が代」 は九州王朝の賀歌!?

2020-03-10 17:09:05 | 日本古代史

在野の古代史家で九州王朝説を唱える、古田武彦氏。最近 氏の説に触れて、真摯な研究に感銘を受け、図書館で市の本を見つけたので借りてきました。

「君が代を深く考える」 古田武彦著、五月書房 2000年。

この本は君が代の国歌制定 (1999) について語るとともに、氏のいろいろな研究を自伝的に紹介した、ちょっとおもしろい構成の本です。そして、これまでの自分の常識が次々と覆されるので、ブログをまとめるまでに時間がかかりました。

まず「君が代」について。これは古今和歌集の巻7「賀哥 (歌)」の冒頭にその元歌がある。「君が代は」のかわりに「わがきみは」とあるところだけが違う。しかも、天皇に対する賀歌のはずなのに対象とする天皇名も詠み人も不明になっており、これはわざとそのようにしているのではないか、という疑問から始まって、著者は金印出土地 志賀島の志賀海神社の「山ほめ祭」にたどり着く。祭りの末尾に「君が代」とそっくり同じセリフが、祢宜によって歌われるのではなく地の語りとして「述べ」られるのだそうです。

そして「千代」は太宰府前の浜の名前で地名にも残っており (17p)、「さざれ石」は糸島郡にある古社には小石を集めて奉納した境内社があり、「いわほ」(岩穂) とは水無鍾乳洞の鍾乳石であり、「こけのむす」は糸島郡の桜谷 (若宮) 神社の祭神・苔牟須売神 (こけむすめのかみ) に当たる、とする (18-19p)。つまり九州王朝の筑紫の君を讃える歌である、とします。君が代が大和王朝ではなく九州王朝の王への賛歌だとすれば、相手の名も詠み人の名も書けないのは当然だと論じます。

一時は、岐阜県揖斐郡あたりに産するさざれ石が君が代の 「いわほ」 だとして喧伝され、川口グリーンセンターにも展示されていますが、古田氏はそれは現場の教師がいかに君が代の解説に苦労してきたか、その反映であるとしています (31p)。(氏自身も高校教師でした。) それがさざれ石でないことは、① とがった形状 (穂) をなしていない  ② 細石とは当て字であり、細かい石ではなく神聖な石、ということである  ③ 君が代は博多沿岸の人が歌ったものであり、岐阜県の堆積岩によって歌のイメージを形成したことはあり得ない とします。(30p)   古代の歌詠み人が、細石が長年の堆積作用で岩穂となる、などということをイメージできるものか、私も疑問です。

君が代が九州王朝の賀歌とは、本当ならとんでもないことです。世が世なら不敬罪で死罪になりかねないほどでしょう。しかしきちんと根拠を明示していますから、侮りがたいものがあります。君が代を歌っても天皇家を讃えるわけでないというなら、素晴らしいですね。

 

それから、古代行政区画名の「評」について論じた項では、701年をもって「評」が廃止され「郡」となったが、初期にもそのことの記事はなく、正倉院文書にも「評」はなく、万葉集にも「評」はない。きれいさっぱり消去されている。(114p)  古田氏は、「評」は南朝に冊封された倭国の制度名であり、白村江の敗戦後、唐に公認された国としてはその南朝の名称を忌んで消去した、と考えざるを得ないとします。倭の五王も同様です。(倭の五王は外国からの冊封を嫌って書かなかったという説がありますが、かの有名な「日出処天子」も書記には記事がありません。古田氏の言う九州王朝からの国書説も無視できません。)

 

さらに、日本書紀は北魏の正史「魏書」(陳寿の魏書ではない)  に構成がたいへん似ているとします。「魏書」は ① 北魏の系譜を「黄帝」に始まるとして叙述  ② 鮮卑族の酋長時代から歴代をすべて〇〇皇帝という形で記載  ③ 太祖紀以降を 「人皇の巻」 に当てている  とし、あまりにも酷似しているのに驚く、としています。(143p)  古田氏はこれを、北朝である大国・唐におもねる態度、「曲史阿世」の表れとし、それが書記全編のテーマだとまで言っています。

日本書紀にも手本があった、とすれば、奇想天外と思える構成・内容もなるほどです。お手本にいろいろな伝承や歴史の記憶を盛り込んで構成し、脚色し、邪魔なものは切り捨てたわけです。古田氏は本当に真摯な学究という感じの方です。まさに古田学というニックネームもなるほどという感じで、真実はいつか明らかになると思います。

 

 

 

 

 

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天皇家の所業 ⑤ 継体~持統 

2020-02-05 04:17:00 | 日本古代史

岩波文庫版 「日本書紀」 巻3途中から巻5です。

物部一族を滅ぼし、蘇我氏を倒す天皇家は身内にも遠慮がありません。大化の改新を主導したと伝えられる天智天皇も、中大兄皇子としては非道・非情です。有馬皇子殺しなどは、まったく陰謀でしょう。

そのあとを襲った天武天皇は明白に簒奪、天皇殺しの犯罪者です。大友皇子はほぼ確実に即位していたと思われます。少なくとも皇子で、前天皇かもしれない方の首をさらすなど、あってはならない所業ではありませんか。それが天皇家の中興の祖? 天武の10余人の子が誰一人天皇になれなかったのは、因果ということかもしれません。

思うに日本書紀は、天武天皇の壬申の乱が正当なものだった、ということだけを明確にしたい史書ではないでしょうか。他の部分では正当化できないことがたくさん書かれています。しかし壬申の乱だけは丁寧に丁寧に、天武の動機もきちんと書かれていて、きわめて例外的です。それでも、天武の権力欲はハッキリしています。朝廷側の動きを聞いて、「何ぞ黙して身を亡ぼさんや」 (5巻72p) 。黙って殺されるわけにいかない、などというのが正当な理由になるなら、骨肉の殺し合いはこれまでの何倍にもなっているでしょう。

持統女帝も大変な人ですね。天武没後ただちに称制して、将来わが子草壁の天皇即位を脅かすだろう大津皇子をたちまち粛清、さすが中大兄の娘です。

こうして日本書紀に基づいてピックアップするだけで、うんざり事件だらけ。神話時代の「天壌無窮の神託」  ? などというものは全く無効ですが、昔の人も本当に信じていたのでしょうか ?  万世一系といっても、極悪な先祖がこんなにいては全く有難くありません。天皇になろうとした人が他にいなかったのは凄いこと、などというのは下らない血統主義です。昔は知らず、今の時代には不要です。

人はみな万世一系なんだ! そう思いましょう。

天皇・皇族 場所 相手 どうした
       
継体 筑紫   御井郡 筑紫の国造  磐井 筑紫から火・豊2国までを占領し反乱。物部麁鹿火大連が軍を進めて殺す。磐井の子・葛子は屯倉を奉って死を逃れる。
       
穴穂部皇子  (欽明の子)   三輪君逆   (さかう) 用明の死後、殯宮に入ろうとして三輪君逆に阻止され、物部守屋に殺させる。
豊御食炊屋姫 (後の推古)   穴穂部皇   子      宅部皇子 豊御食炊屋姫は先帝敏達の皇后。姫を奉じて蘇我馬子が2皇子を誅殺。
厩戸皇子、   泊瀬部皇子   物部守屋      一族 泊瀬部皇子、厩戸皇子ら5皇子、蘇我馬子ら5臣が軍を率いて殺す。資産没収。
 〃   捕鳥部万   (よろず) 物部守屋の資人。ひとり奮戦して、のち自害。
崇峻      (泊瀬部)   蘇我馬子 欽明第12子。蘇我馬子を嫌ったらしいひと言が人づてに伝わり、逆に弑される。
山背大兄王   (聖徳太子子)   蘇我入鹿 入鹿に攻められ、一族皆自死。
中大兄     (のち天智)   蘇我入鹿 中臣鎌子、蘇我倉山田麻呂とともに、三韓の貢進の日に入鹿を弑す。
 〃   蘇我蝦夷 中大兄、軍を遣わして説く。蝦夷は自殺か?
 〃   古人大兄皇子 (舒明の子、中大兄の異母兄) 古人大兄謀反の密告あり、兵を送って殺す。
 〃   蘇我倉山田麻呂 蘇我日向から麻呂謀反の誣告あり、軍に攻められて自死。戮された者23人。無実がわかっても家を再興させず。
 〃   孝徳天皇 都を難波から倭に遷すことを奏上、聞かれず天皇を置き去りにし、皇極前天皇や孝徳の皇后間人ら一族全員、百官をつれて飛鳥の行宮に移動。孝徳は憤死?
 〃   有馬皇子     (孝徳天皇皇子) 有馬は蘇我赤兄にそそのかされ、その赤兄の讒言で殺される。(蘇我赤兄は天智の左大臣になっている。中大兄の陰謀であることは確実。)

天武     (大海人皇子)

  大友皇子 (弘文天皇、天智の子、天武の甥) 天武は天智の死後、兵を起こし、即位したはずの大友皇子を攻撃して、自死させる。軍は大友の首を陣営に捧げる。
持統       (鸕野賛良皇女)   大津皇子   (天武皇子) 持統は天武皇后。天武没後すぐに称制 (即位せずに実権を握る) し、皇位の最有力候補だった大津に謀反ありとして賜死、30数人を捕縛。
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天皇家の所業 ④ 雄略~武烈

2020-02-03 11:33:35 | 日本古代史

天皇家の所業 ④ 雄略~武烈 です。

雄略天皇は倭王武に比定されており、宋への上表文が有名ですが、とんでもない男です。天皇になるために同母兄さえ次々と殺戮して恥じるところがありません。書くのが嫌になるほどです

武烈の悪行は、恋敵の平群鮪 (へぐりのしび) 虐殺以外は抽象的で、真実味がありません。王統の断絶を理由づけるために夏の傑王、殷の紂王の例をなぞったように見えます。しかしともかく書紀によればどうしようもない人物です。

こんな人たちがぞろぞろ居るのに「万世一系」などと言われても、ちっとも有難みがありません。武烈で王統は切れ、継体で交代です。そして壬申の乱は文字通りの武力簒奪ですが、さらに後のことになります。

 

天皇・皇族 場所 相手 どうした
       
雄略 (大泊瀬幼武)   八釣白彦皇子 (同母兄) 安康天皇弑殺との関係を問うが答えないので、切り殺す。
  坂合皇黒坂皇子 (同母兄) 安康天皇弑の関与を疑われ、眉輪王とともに葛城円大臣の屋敷に逃げ込んだ。円大臣が2人を差し出さないので、3人もろとも屋敷に放火し焼き殺す。
  眉輪王
  葛城円大臣
  市辺押磐皇子(従兄弟) 猟に誘い、間違えたふりをして射殺す。泣き叫ぶ舎人も誅す。
三輪の磐井 御馬皇子   (従兄弟) 市辺押磐皇子の同母弟。戦って刑される。
  百済池津媛   石川目 雄略が召そうとした前に交際したので、2人の四肢を木に張り付けて焼き殺す。
  大津馬飼    (御者) 自ら膾を作ろうとしたが、返事をしないので斬り殺す。
  吉備下道臣前津屋 女たちや鶏を天皇方・自分方に分け、天皇方が負けると切り殺す、という報告を聞いて、兵を遣り一族70人を誅殺。
  吉備上道臣田狭 妻の美形を自慢するので、任那国司に任じ、赴任後に妻を幸す。田狭は反乱。
日根 根使主 大草香皇子の妹を雄略の妻に求めたときに奉ったはずの玉鬘を根使主が着けているのを皇后 (大草香皇子の妹) が見て、偽りがわかり、攻め殺す。
  小根使主  (根使主の子) 父の館は皇居より堅牢だと自慢したので、とらえて殺す。
伊勢 朝日郎 物部菟代宿禰、物部目連を遣わし征伐。
       
清寧 (白髪武広国押稚日本根子)   星川皇子 母夫人の進言に従い大蔵の官をとり、鎖し固める。大伴室屋大連が皇子らを包囲し焼き殺す。
       
顕宗 (弘計)      
仁賢 (億計)      
       
武烈 (小泊瀬稚鷦鷯) 乃楽山 平群鮪         (大臣・平群真鳥の子) 求婚した平群真鳥の影媛が平群鮪とできている事を知り、大伴金村連に命じて戮す。
  平群真鳥     (大臣) 大伴金村連が真鳥宅を囲み、焼き殺す。
  孕める婦 腹を割いて胎を見る
  指甲を解いて、芋を掘らせる
  木に上らせ、その木を切り倒して落し殺す
  馬に交わらせ、それを濡れた女は殺す
  木に上らせ、射落として楽しむ
  女たち 女と馬と交わるのを見せ、濡れた女は殺す
  その他抽象的な悪行多数
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驚異的な 古田武彦氏の学問

2020-01-30 08:55:10 | 日本古代史

「古代通史~ 古田武彦の物語る古代世界」 古田武彦著、原書房 1994年。

古田先生に興味を持って、ちょっと古い本ですが読んでみました。たいへん該博な内容で、しおりを挟んだらたくさんになりすぎて困るほどです。

まず冒頭から、ウリチ族の射日神話に驚きます (4p)。これは萩原真子「アムール川流域の射日神話」(国際商科大学論叢 第16号) に学んだそうですが、太陽が3つあり、2つを石を投げつけて殺し、1つだけになった、というものです。この伝説は弓矢のない時代のものであること、そして「神」が登場しないことが驚きだとします。弓矢のあるオロチ族の説話にも神は出てこない。さらに後世になると神が一斉に登場するそうで、「神の発見」があったことになります (10p)。人類の初めに神はいなかったらしい、とは驚きです。

日本神話の神々を分類すると、最初に生まれたのは 「人」 だと書いてあるというので、また驚き。書紀に、

「天地未だ生ぜざる時に (中略) 其の中に一物生ぜり。葦牙の初めて泥の中に生じたるがごとし。即ち化して人と為る。国常立神と号す。」

この「人」に振り仮名を振ってカミと読ませているわけです (15p)。目からウロコ、とはこのことです。

そして国産み神話に第10の一書として男尊女卑でないストーリーがあること (36p)。

瀬戸大橋の橋脚のところから数十万点ものサヌカイト石器が出てきたこと。

日本の縄文土器は1万5000年前後と世界一古いが、それは火山が教えたのだろう (50p)、また黒潮に乗って漂流するときを考えて水がめが必要だった (55p) ことが土器を作ったきっかけと考えられること。そして弥生時代より前の1万年余りは日本列島の方が先進文明であった可能性が高い (66p)、ということ。

国生み神話には鉾と戈つまり金属器が使われているので弥生神話、出雲の国曳き神話には杭と綱だけで金属器が使われていないから「縄文神話」ではないか (78p)。

国曳き神話の 「北門」 はウラジオストックではないかと考えて調べたところ、ソ連の学者が送ってきた70数点のサヌカイト石器の50%が隠岐の島の、40%は北海道赤井川産のものだったそうです。日本海を渡る交流があったことが国曳き神話に残っているということになります。

また、「歴史は、成功した侵略は書かないことにしている。」(124p) という氏の一般法則は、なるほどと思います。

そして魏志倭人伝の解釈です。部分の総和は全体になるはずと考え抜いて、総1万2千里で、里程が明記されている不弥国までの合計が1万600里、足りない1400里は対馬の周旋400里の縦横、壱岐の周旋300里の縦横を足すとちょうど1400里になるとして、不弥国で邪馬台国に到着している、不弥国は邪馬台国の玄関だとします。これはなかなか意外ですが面白い解釈で、伊都国王墓や須玖岡本など豪華副葬品を持つ墳墓がたくさんある福岡県あたりに邪馬台国を想定できることになります。

裸国、黒歯国というのは古代倭人がアメリカ大陸、ペルー辺りまで行っていたことの記憶ではないか、とします (182p)。

まだまだたくさん、なるほどと思わせられることが続きます。たいへんな学者ですが、歴史学会ではほとんど評価されていません。惜しいことです。

 

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天皇家の所業③ なおも騙し討ちとご乱行

2020-01-22 14:50:49 | 日本古代史

天皇家の所業 ③ 岩波文庫版 「日本書紀」  (二) 成務~安康 までです。

神功皇后初期の、麛坂・忍熊2王との皇位継承戦争は、武内宿禰が和睦を装って忍熊王軍を騙し討ちにして終結。神功の太子・菟道稚郎子が反乱した異母兄・大山守皇子を倒したのも詭計によるもの。履中天皇と住吉仲皇子による黒媛の奪い合い、瑞齒別皇子 (のち反正) による住吉仲皇子殺しの卑劣、木梨軽太子の乱行、そして極めつけは安康 (穴穂) の叔父・大草香皇子殺し。

安康の弟・大泊瀬の嫁とりの仲立ちに大草香皇子家を訪問した根使主が、真逆に報告・讒言したため安康が大草香皇子を攻め殺したことになっています。しかし悔いるどころかそのあとで大草香の妻・中蒂姫を後宮に入れ、後に皇后に立てています。これでは妻を奪うために大草香皇子を殺したので、讒言はその理由付けに使われただけのことでしょう。

たまに仁徳天皇の善政のことなどがありますが、まったく嫌になる天皇家のご乱行です。また大きな戦いでは天皇家側はまともに戦略で勝ったことはなく、騙し討ちばかりで情けないことです。これがどうして正統性を主張する歴史書なのか、私には全然分かりません。春秋であればどう筆誅したでしようか。

このあと、極めつけの雄略、武烈が待っていますが、それはまた後日。

  天皇家の所業 ③ 成務~安康
天皇・皇族 場所 相手 立場 どうした
仲哀   (足仲彦) 菟道川の辺 蘆髪蒲見別王 異母弟 父ヤマトタケルを偲ぶため越人が運んできた白鳥を王が奪ったのを憎み、誅す。
神功皇后    (気長足姫尊) 層増岐野 羽白熊鷲        身に翼有 撃滅。
山門の県 田油津媛 土蜘蛛 誅す。 兄夏羽は逃走。
 〃 菟餓野 篭坂王

応神の異母兄

 

神功・応神に対抗しようして誓約狩りし、赤猪に喰い殺される。
 〃 菟道 忍熊王 応神の異母兄 武内宿禰、詐って両軍武器を捨て連和しようと言い、その後予備の武器で攻め勝つ。
太子・菟道稚郎子 菟道 大山守皇子 異母兄 反乱して菟道を渡る時に、太子が渡守に扮して船に乗せ、転覆させて水死させた。
 〃   自殺   仁徳に譲るため。
仁徳   (大鷦鷯) 伊勢・蒋代野 隼別皇子 異母兄 雌鳥皇女の媒酌をさせたが隼別皇子が密かに婚ける。2人で伊勢に参るところを追わせ、ともに殺す。
 〃 飛騨 宿儺 怪人 顔二つあり。反抗するので殺させる。
履中   (去来穂別)   住吉仲皇子 同母弟 即位前に婚約の黒媛に住吉仲皇子から吉日を告げさせたが、住吉仲皇子が犯してしまう。兵を起こし反乱した仲皇子を同母弟・瑞齒別皇子に追討させ、殺させる。
 〃   倭直・吾子籠 住吉仲皇子の味方 仲皇子に味方したが降伏,妹を献上したので殺さず。
瑞齒別皇子    (のち反正)   刺領巾    (さしひれ) 住吉仲皇子の近侍・隼人 瑞齒別皇子は刺領巾に、仲皇子を殺せば恩賞を与えると誑かし、主である仲皇子を殺させる。そして不忠をとがめ、刺領巾を殺す。
允恭 (雄朝津間稚子宿禰)   玉田宿禰   反正の殯の宮に不参、のち衣の下に鎧を着こんで参内。不敬を咎め家を囲んで、捕殺す。
太子・木梨軽皇子   軽大娘皇女 同母妹 同母兄妹にして通ず。
 〃   穴穂皇子 同母弟 太子、穴穂皇子を殺そうと軍を起こすが百姓背き、かえって物部大前宿禰邸で自害。
安康 (穴穂)   大草香皇子 叔父 大草香皇子の妹・幡梭皇女を大伯瀬皇子に娶らせようとし、大草香は承諾したのに使者の根使主がウソをついて讒言したので、兵を起こして大草香を王子2人とともに滅ぼす。
 〃   中蒂姫 叔父・大草香の妻 滅ぼした大草香の妻・中蒂姫 (なかしひめ) を後宮に入れ、後に皇后とした。
眉輪王 (皇后の前夫大草香の子)  皇居 安康 (穴穂) 父の仇 安康天皇が父の仇であることを偶々盗み聞きし、弑す。



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