「殺戮の世界史」マシュー・ホワイト著、住友 進訳、早川書房 2013年。
人類史上の虐殺の被害者数を推定し、100件をランク付けするという大胆
な研究です。
膨大な書物を渉猟し、報告されている推定数を再検討して独自の被害者数
を算出しています、また戦闘や生贄による直接の死者だけでなく、戦争に
起因する飢饉や疫病の流行による死者数も加算しています。
1位 第二次世界大戦 6600万人
2 チンギス・ハーン 4000万人
毛沢東 〃
4 英領インドの飢饉 2700万人
5 明王朝の滅亡 2500万人
6 太平天国の乱 2000万人
ヨシフ・スターリン 〃
8 中東の奴隷貿易 1850万人
9 ティムール 1700万人
10 大西洋の奴隷貿易 1600万人
犠牲者の数え方に異論はたくさんあるようですが、人類がどれほどの
愚行、いや野蛮行を行ってきたか。知らないことがたくさん出てきて、
とても教えられることが多い。
しかしインドでは、宗教による虐殺はほとんど見られない、それが一神教
と遭遇した時以外は、という指摘があります。東アジアもそうです。
6位の太平天国の乱はキリスト教団でした。
イスラム教は平和な宗教というプロパガンダがなされていますが、8位と
9位はイスラムが主役です。
ティムールは敬虔なイスラム教徒で、今でいえば原理主義的だったよう
で、イスラムであっても不純なデリーとオスマン帝国を打倒しました。
中東の奴隷貿易はあまり知られておらず、私も知りませんでした。
アフリカの黒人を奴隷狩りしてアラブ・イスラム世界に売り渡す行為で、
期間が7~19世紀とたいへん長いので、よく知られている大西洋の奴隷
貿易 (アフリカ~アメリカ) より犠牲者が多くなっています。
イスラムの制度は奴隷にやさしかった、などという解説がなされますが、
狩られるほうは奴隷一人に死者が5人~10人も発生したと言われます。
まことに、勝者の歴史はご都合主義そのものです。
これについては、
「イスラムの黒人奴隷」ロナルド・シーガル著、設楽國廣訳、明石書店
2007年 も参照しました。
なんと、20世紀の後半になっても、サウジアラビアなど一部で続けられ
ていたとのことです。そうすると、犠牲者はもう少し多くなる計算です。
2位のチンギス・ハーンが4000万人を虐殺している頃、ヨーロッパでは
アッシジのフランチェスコが清貧と善行に身をささげるフランチェスコ
修道会を設立していました。(163p) 2人はまったくの同時代人です。
時代がそうだったから、とか、現代の価値観で歴史を裁くな、という
意見もありますが、それでは歴史を学ぶ意味の半分が失われるでしょう。
歴史の必然、とかいう論理で非道な行為を承認することはできません。
「昭和天皇は戦争を選んだ」 増田都子著、社会評論社、2015年。
このように、真っ向から昭和天皇の戦争責任を解明する書物がこの日本で刊行されていることは、まだ日本の民主主義が生きていることの証でしょう。これが批判され刊行できなくなる日が遠くない、という不安がありますが、かろうじて中国よりまし、ということを喜びたい。いろいろな本を読んでも、このように明快に天皇の責任を解明し論断した書物はなかった。著者の論証は実に鋭い。
昭和天皇の戦争責任については、私も有責であると考え、そのような記事も書いてきました。昭和天皇は10万人が戦死したといわれる1945年3月10日の東京大空襲を視察しながら、終戦に動くことはなかった。その後の全国の空襲被害の凄惨にも動じなかった。各地の玉砕、沖縄戦、特攻作戦もやむをえないこととしてやり過ごし、一撃しての講和を夢想し、原爆投下でさえも「仕方ないこと」に過ぎなかった。どうしてもそういうことは納得できなかったのです。
そしてソ連が参戦したとき、一気にポツダム宣言受諾に動いたのです。著者は、それが私的利益、つまり天皇の地位の保全だけを考えたものであったことを証明しました。結局、東条など股肱の臣がたくらんだことにし、自分はただ決まったことを事後承認しただけという、大ウソをでっち上げたのです。これですべてが納得できる。嘘は大きいほどだましやすい。デタラメそのものの理屈です。
著者が言うように、昭和の時代に元首である大元帥陛下の意向に逆らって政策を推進すること、まして開戦を決定するなど、まるでありえない。明治の元勲は天皇を飾り立てて利用するという根性がありましたが、東条にそんな根性がありますか? すべては大元帥陛下の意向、ご下問という実質的な指示に基づいて進められたことでした。
昭和天皇は戦後は恥知らずにもマッカーサーに寄り付き、地位が保全されると今度は「沖縄の占領継続を希望する」という、新憲法を無視する行動をとっていたとのことです。どこまでもダメ天皇でした。それを、育鵬社の教科書では、国民のために一身を顧みず講和の決断を下した英明な天皇として描いていると著者は指摘します。戦後の神話そのもの。実は他界した私の父も、その神話を信じていたようで悲しいことです。
私は時々思う。私はナガスネヒコの子孫だと。武運つたなく神武天皇に征服されたが、決して心服してはいない、そんな日本人も、いまや国民としての権利がある。征服王朝である天皇家をもてはやすのは、なにか変だ。日本人の大半は、天皇家ではなくナガスネヒコやその配下の子孫ではないのでしょうか。天皇家が日本の中心だというのが間違いではないのですか? 自ら征服王朝だと宣言しているのですから。
征服されてよかったよかった、というのは、今日アメリカに占領されて良かったというのとそっくりですけれど。