魔人の鉞

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原爆投下は予告されていたのに・・・

2021-07-20 12:19:09 | 第2次大戦

終戦当時のことはいろいろな本を読んで、ある程度わかったつもりでいました。しかしこの本を読んで、まだまだ知らないことが多いことに気づかされました。

「原爆投下は予告されていた」 吉川愛哲著、講談社 2011年。

そんなことは無かろう、原爆投下は日本にとって晴天の霹靂だった、と思っていました。しかし、原爆のこと自体は日本でも開発計画があったし、雑誌にも掲載されていたそうです。誠文堂新光社「学生の科学」(昭和19年4月号) にウラニウム爆弾として紹介記事が載ったそうです。また陸軍兵器行政本部が編集している雑誌「軍事と技術」の昭和19年12月号の巻頭には、長岡半太郎博士が戦況挽回へ原爆に過度の期待を寄せることを批判する論文!  載せているそうです。(147-148p) 軍や政府の幹部が原爆を知らなかったなどということはあり得ない。

そして特殊爆弾による広島攻撃の予告は確かになされていました。芸備銀行行員高倉信子さんの回想はこうです。

『「8月5日、広島を大空襲する」という7月末頃からの伝単のうわさに恐れおののいた。それが8月5日になっても何も起こらなかった。「やっぱりアメリカ軍のデマだったね」と高倉さんたちが語り合っている最中、閃光が走り、爆風で行員たちは壁にたたきつけられた。ビラの日付はグリニッジ標準時で、これは広島への原爆投下に特徴的なものだった。』 (70-71p) (「原爆搭載機 射程内ニ在リ」立風書房 1990年より) 

『また広島通信局の宮本広三氏も、予告を聞いていた一人だった。(VOAの) 空襲の予告と日本の新聞のニュースとを併せてみると、まったく予告通りと言ってよいほどだった。8月1日、このボイス・オブ・アメリカが、次のような放送を数回繰り返した。「8月5日に、特殊爆弾で広島を攻撃するから、非戦闘員は広島からにげていなさい」。係長に報告すると、「敵性放送をきくとはなにごとだ」として帰宅を禁じられてしまった。(5日には何事もなく、6日朝になって係長から叱られていると ) 飛行機雲がある。何か白いものが飛行機から離れた。「そらきた、みんな、ふせるんだ」』(71-73p) (「原爆予告を聞いた 属・語り継ぐ戦争体験」草土文化 1983年より) 

当然軍上層部はこうした事情を把握していたはず。「大本営からも警戒命令が出ている。それなのに (広島の第二総軍は) 中学生以上の市民を爆心地周辺に動員して、被害を拡大させた。8月3日から連日、義勇隊3万人、女子学生と中学生の学徒隊1万5000人が動員された。」(81p)

どうにもならない、ひどい話です。

しかしもっと驚いたことがあります。エノラ・ゲイは日本軍の早期警戒レーダーに捕捉されていたというのです。『呉鎮守府を防衛する海軍高角砲陣地が、高空を近づいてくるエノラ・ゲイに照準をピタリと合わせていた。最大射程1万8000メートルである。エノラ・ゲイは3機編隊で8000メートル上空を飛行していた。(しかしついに射撃) の命令は出なかった。なぜ絶好の機会を逃したのか-』(115-116p)

 

原爆投下にはまだまだ謎が多すぎます。軍上層部は情報を把握していた。しかし国民を犠牲にしても構わないと考えて、情報を伝えなかった。著者は、米内海軍大臣が終戦を導くためにわざと原爆投下を可能にさせたのではないかと疑っています。その確実な証拠はないが、いろいろな情報を総合すると、その可能性はあるかもしれない。

まだまだ敗戦は終わっていないのだと感じました。

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