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魔人の鉞

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無宗教が世界を救う

2016-03-30 16:35:02 | 宗教

「無宗教こそ日本人の宗教である」 島田裕巳、角川書店、2009年。
宗教学者で日本女子大教授などを歴任した方です。

欧米で宗教を信じない、というと人のように見られるそうで、
日本人は嘘でも仏教とか、神道とか儒教と言わなければまともに付き
合ってもらえないという話があります。
しかし著者はこれに真っ向から反論し、日本人は無宗教を誇りにして
良い、と断言します。

日本人は宗教的ではない、と言われますが、著者は、成田山新勝寺の
年間参拝客が1000万人とか1300万人にも達するという説もあり、世界
最大の宗教施設だといっています。(30-31p)

日本人の宗教のあり方は基本的に祖霊崇拝で、世界に普遍的な精神
活動だとします。祖先崇拝が年神さまや田の神、山の神といった形で
祖霊信仰になっている、という柳田邦男説を紹介しています。(71-72p)

また、結婚式は神道で、葬式は仏式で、といった慣習は、「日本人
なりに、日常の生活に合う形で、独自に形作ってきた信仰のあり方で
あり、卑下する必要は全くないのである。」(76p)

神道の信者になるのに特別な方法がないように、世界の宗教は基本的
に入信のための特別な儀礼がない、と著者は言います。その社会に
生まれることは、その 「宗教」 に生まれること、というわけです。
この意味で、神道とイスラム教のあり方は大変近いものがある、と
します。
しかし、イスラムは確かに教徒の家に生まれればそのままイスラム
教徒になりますが、異教への改宗は許されません。イスラムの強固な
地域では、棄教や改宗、その教唆は死刑に当たる重罪です。神道には
そんな規定は存在しません。イスラムを甘く見ることには賛成できま
せん。
イスラムが遅れているのは、厳格に人間の精神を束縛しているからで、
植民地主義時代の搾取のせいだけではないと私は思います。

「無宗教は、(中略) 一つの宗教に固執し、他の宗教、他の立場を
排除し、排斥することには結びつかない。」(162p)
「宗教の世界観は強固で、それを信奉する人間の考え方や見方を
縛ってしまうところがある。そうなると、自由な発想は妨げられる。
(中略) あるいは、好奇心の発動を妨げたりもする。(中略) 私たち
が本当の自由を確保していくためには、(中略) 無宗教の立場に立っ
て、あらゆる宗教を排除しない方向に踏み出していく必要があるので
はないだろうか。」(163p)
見出しは、「無宗教が世界を救う」、となっています。

この結論には大いに賛成です。 
遠い将来には、神の前の人の平等という偉大な観念を生み出した
一神教が昇華され、人の精神を束縛しない 「あたらしい宗教」 が
生まれてくるのではないか、と期待します。
     (わが家で 2016年3月30日)

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入るのは簡単だが、抜けられないイスラム

2016-03-08 16:35:56 | 宗教

「宗教常識の嘘」 島田裕巳、朝日新聞社 2005年。

「仏教は世界3大宗教にあらず」から始まって、宗教に関するいろいろな
日本人的常識をぶち壊してくれる、面白い本です。

しかし1つだけ、不満があります。
第12章 「イスラム教徒になるのはとても簡単」で、それはイスラム教徒
の子として生まれるか、イマームの前で信仰の定型言葉を宣言するだけで
よく、とても簡単なことを説明しています。
しかし、問題はイスラム教徒を止める、棄教または他宗への改宗です。
普通は、そうしたことを公言することはタブーです。イスラム教国では、
棄教や他宗への改宗は死刑さえありうる大罪。他人に勧めるのも厳禁です。
それを言わないで、イスラム教徒になるのは簡単だというだけで済ます
のは、誤解を招くのではないでしょうか。

イスラム教は人の心と行動を強く束縛する危険な宗教だと私は思います
ので、安易な説明は困りものです。
     (わが家で  2016年3月8日)

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