「昭和天皇は戦争を選んだ」 増田都子著、社会評論社、2015年。
このように、真っ向から昭和天皇の戦争責任を解明する書物がこの日本で刊行されていることは、まだ日本の民主主義が生きていることの証でしょう。これが批判され刊行できなくなる日が遠くない、という不安がありますが、かろうじて中国よりまし、ということを喜びたい。いろいろな本を読んでも、このように明快に天皇の責任を解明し論断した書物はなかった。著者の論証は実に鋭い。
昭和天皇の戦争責任については、私も有責であると考え、そのような記事も書いてきました。昭和天皇は10万人が戦死したといわれる1945年3月10日の東京大空襲を視察しながら、終戦に動くことはなかった。その後の全国の空襲被害の凄惨にも動じなかった。各地の玉砕、沖縄戦、特攻作戦もやむをえないこととしてやり過ごし、一撃しての講和を夢想し、原爆投下でさえも「仕方ないこと」に過ぎなかった。どうしてもそういうことは納得できなかったのです。
そしてソ連が参戦したとき、一気にポツダム宣言受諾に動いたのです。著者は、それが私的利益、つまり天皇の地位の保全だけを考えたものであったことを証明しました。結局、東条など股肱の臣がたくらんだことにし、自分はただ決まったことを事後承認しただけという、大ウソをでっち上げたのです。これですべてが納得できる。嘘は大きいほどだましやすい。デタラメそのものの理屈です。
著者が言うように、昭和の時代に元首である大元帥陛下の意向に逆らって政策を推進すること、まして開戦を決定するなど、まるでありえない。明治の元勲は天皇を飾り立てて利用するという根性がありましたが、東条にそんな根性がありますか? すべては大元帥陛下の意向、ご下問という実質的な指示に基づいて進められたことでした。
昭和天皇は戦後は恥知らずにもマッカーサーに寄り付き、地位が保全されると今度は「沖縄の占領継続を希望する」という、新憲法を無視する行動をとっていたとのことです。どこまでもダメ天皇でした。それを、育鵬社の教科書では、国民のために一身を顧みず講和の決断を下した英明な天皇として描いていると著者は指摘します。戦後の神話そのもの。実は他界した私の父も、その神話を信じていたようで悲しいことです。
私は時々思う。私はナガスネヒコの子孫だと。武運つたなく神武天皇に征服されたが、決して心服してはいない、そんな日本人も、いまや国民としての権利がある。征服王朝である天皇家をもてはやすのは、なにか変だ。日本人の大半は、天皇家ではなくナガスネヒコやその配下の子孫ではないのでしょうか。天皇家が日本の中心だというのが間違いではないのですか? 自ら征服王朝だと宣言しているのですから。
征服されてよかったよかった、というのは、今日アメリカに占領されて良かったというのとそっくりですけれど。
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