クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

3つの言葉

2023年02月28日 | ブログ

その1 「鳥と遊ぶことにした」                                             先日、自作の巣箱を私に示しに来た友人が発した言葉です。彼の自宅の敷地は広大で、野菜、果物等を栽培し且つ、植木その他多くの樹木に囲まれた住居が在ります。これまでは彼自身がそれらに対応してきていましたが高齢となった現在、足、腰から痛みが除れず毎日、医院通いをしているそうです。そのことから「何もすることがなくなった」と云い、冒頭の発言に至りました。

その2 「脳はいっぱい詰まっています。羨ましいです」                                  MRI検査後に検査を担当された男性が言われた言葉です。その真偽又、それがどんな状態を指しているのか更に、本当にそうだったとしてそれがどういう意味を持つのか、私には分かりません。私は、脳の量では無く質が重要だと思いますので、生まれつき大きなボルトが何本も抜けている自分の能力を知り尽くしている身としては、検査ではその様子を画像で捉えることが出来ず、可視化も不可であることが嬉しい限りです。

その3 「ただ者じゃない」                                              MRI検査の結果を報告に行った、かかりつけの医院での待合室。隣に1人の高齢女性の方が座っておられました。後述する場面で分かったことですが、お互い顔見知りで、僅かな機会だったとは云え接したことがある方でした。しかし、それは40年も以前のことで、今回はマスクまでお互いが付けていましたし全く、それとは思いませんでした。年齢は私より10歳も多いことも分かりました。暫くしてその女性の方がその医院の約束事について私に尋ねられました。その方はその医院受診は初めてだったのでしょう。診察を終えられて支払いをするまでの待ち時間が長いことに疑問を持たれたようでした。いつも経験している私はそれに答えました。軈て、用務を終えられた後、その場を離れられる折、私が居る場所まで離れているにも拘わらず、わざわざ挨拶をされました。私は医院での用務が終わった後、隣接するスーパーへ定例の買い物に行きました。品を探す段階で偶然にも又、前述の方と遭遇しました。其処では10分を超す長話となりましたが、その殆どは相手の方からの話しかけでした。「(医院で)もっと話したかった」と云われ、何を根拠に、何を意味して言われたのかは知りませんが私について表題記載の思いを持たれたとのことでした。