クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

問題の核心が分からなかった自分が哀しい

2024年05月12日 | ブログ

先日、熊本水俣市で開催された水俣病患者さんと環境大臣との懇談で、環境省職員が患者さんの発言中にマイクを切ったことについてです。事後にそれを報じたニュースでその事を知った私は、事務局は何と云うことをするのだろうか、と思いました。そして私の考えはそこで止まった侭でした。しかし、その後の別の報道番組で、解説担当の方の一言でハッと気づかされました。その方の考えは、環境省職員の対応にはサラッと触れられただけで問題は環境大臣の器量の小ささに在る旨を発言されました。私はその一言を聴いて正にその通りだ、と思い直しました。患者さんから話を聴くことがその会の開催目的でしょうし、単なる帳面消しではなかった筈です。大臣が、折角の機会だから最後まで話を聴こう、と発言すればそれで済んだことなのです。その席での最高の責任者は大臣です。その会に臨むに当たっては環境省では事前に充分、検討し尽くしていて実際の会の現場で、決めたことをその通りに守ることは事務局としては当然のこと、それ以上のことは出来ません(事前の、会の運営についての検討の場での問題も在る、と思いますが)。それにしても私が、最初のニュースを耳にしたとき、その核心部分に全く気づかずに済ませていたことに私自身の、物事を判断する能力の拙さに情けなく、哀しくなりました。 


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