イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ここらで濃いお茶が一杯説

2018-03-11 20:17:19 | CM

 CMの役割は“商品や企業名を認知してもらい好感持ってもらう”“買いたい気にさせる”なのはわかります。

 うすら寒い小芝居仕立てが異常に豪華なキャスティングだったり、いま風のサウンドのBGMが、よく聴くと懐かしいヒット曲や高尚なクラシックナンバーだったりして戸惑うこともありますが、「すべては視聴者に強力に認知させ、ライバル他社のそれより鮮明に覚えさせるため」と思えば納得がいく。

 だから逆に、“宣伝したい、認知させたい商品じゃない物”がCM内に映り込んでいたり、小道具として使われていたりすると「おこぼれ宣伝・ついでに宣伝狙いかしら」「むしろオブラートにくるんだ“ネガティヴキャンペーン”かしらん」と、妙に気になったりする。

 いちばんわかりやすいのは、お年を召しても元気現役で、テロップの「〇〇才(取材当時)」にしてはまだまだお美しい女優さんが「△△社のコレを飲んで私はこんなにイキイキ」と満面の笑みで柔軟体操やジョギングなどしているCMで、女優さんが着ているカラフルでスマートなトレーニングウェアやシューズ。

 あれ、“△△社のコレ”を申し込むフリーダイヤルに、相当数「女優さんのあのウェアはどこのブランドですか、どこで売っていますか」の問い合わせも来ていると思いますよ。

 それから、小島瑠璃子さんが「マツタケの味お吸い物で、チャチャチャ!」というCM、

 “主役”であるドライ粉末タイプのお吸い物の素よりも、鍋からドバーとスローモーションでひっくり返される茹でたてパスタのほうがずっと美味しそうに見えるのですが、本来、お椀に熱湯を注いで飲むお吸い物の素の、これは裏ワザ的使用法であって、ふりかけやインスタント食品の老舗のこのメーカーでは、パスタは作っていません。

 自社製品(お吸い物の素)の使い道の豊富さを宣伝しているつもりが、併せて「ソースもフライパンも要らずに手軽に美味しく食べられるパスタ」の宣伝にもなっている。

 パスタメーカーや原料粉業者、ひいてはパスタ鍋メーカーなども少なからず、このCMには協賛つまり広告宣伝費を提供しているのではないでしょうか。ていうか、してないならすべきではないでしょうか。あなどれないアピール力ですよ。

 いまいちばん気になっているのは、広瀬アリスさんが、美容室の予約を電話でしようとしている阿部寛さんに「時間外ってのもありますが、それ、電話じゃなくて羊羹ですから」とバッサリいくリクルートのCMです。

 あれ、全日本羊羹組合(あるのか)から、クレーム的なものは来てないんでしょうか。「歴史と伝統に輝く日本の銘菓・羊羹を“役に立たないモノの代表”みたいに扱うとはケシカラン」「子供が真似したらどうするんだ」「ノロウイルスの問題もあるのに手づかみなんて食品衛生にも悖る」・・とかなんとか。

 少なくともあのCM、見終わった後、“ほっとぺっぱーびゅーてぃー”なる、スマホ持ちでない月河にはどこが便利なのかさっぱりわからないサービスより、ひと棹(さお)“ホールサイズ”のヨウカンのほうが強烈に印象に残るんですが。

 月河が和菓子、特に“小豆(あずき)系”に目がないせいもありますけど、印象に残りついでに、普通に食べたくなりますよヨウカン。地味に売り上げに貢献してるんじゃないですか。バレンタインデーのチョコレート、ホワイトデーのクッキーその他と違って、羊羹をプロモするイベントっていままでついぞなかったですからね。意外にマーケットのニッチをついているかもしれない。全日本羊羹組合(だからあるのか)のご意見や如何に。

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『バルカン超特急』~邦題で盛るか盛り下げるか

2018-03-07 21:38:31 | 映画

 『ベルリンへの夜行列車』(1940年)を観たら、このジャンルの先輩格ともいうべき『バルカン超特急』(The Lady vanishes)(1938年)も間髪入れず観ないわけにはいきません。もちろんかのアルフレッド・ヒッチコック監督作品でもあり、こちらは戦後の1970年代になって遅ればせながら日本でも劇場公開されていますからよりメジャーでしょう。

 この作品は今回が再見です。1980年代後半~90年代前半の個人的レンタルビデオブームの頃、モノクロのクラシック、特にヨーロッパ製映画ばかり観ていた一時期に、『第三逃亡者』や『逃走迷路』等ヒッチコックのイギリス時代の他作品と一緒に観た・・はずが、再見すると忘れてる箇所の多いのなんの。原題と、車窓のガラスに指で書いた文字と、何かの証拠物件が飛ばされて進行中の列車の窓に貼りつく場面と、あとはラスト前に、重要な楽曲を口ずさもうとしてもウェディングマーチしか出て来ないくだりだけは結構鮮明に覚えていましたが、あとは見事に忘れていて、ほとんど初見気分の鑑賞になりました。

 不思議なのは、この邦題とはかけ離れて、本編に“バルカン(半島)”感も“超特急”感もほとんど無いことなんですよ。舞台はバンデリカという中欧の架空の国。もちろんナチスドイツの活発化で、風雲急を告げるヨーロッパ情勢を下敷きにした足掛け三日ほどの物語で、中盤以降は食堂車つき急行列車内での捕物、銃撃戦が主体になるのですが、“超特急”というほどのノンストップ密室感、そこから噴出する切迫感でもたせるたぐいのサスペンスを期待するとちょっと違う。

 アルプスっぽい急峻な山容の俯瞰から、ミニチュアの鉄道と駅に隣接する別荘街のパノラマへと下降し、、カメラはとあるこじんまりしたリゾートハウス風のホテル内に入る。

 序盤は、話がどっち方向に行こうとしているのか、と言うより“何が、誰がどうなれば解決なのか、ハッピーエンドなのか”がすぐには掴めないので、わりとのんびりしたスタートです。

 鉄道が雪崩で一日運休となり急な足止めでホテルはごった返す。長く滞在しているらしい高齢のイギリス婦人と、独身さよなら旅行の若い娘(『ミュンヘンへの~』でも主演のマーガレット・ロックウッド)だけが早くに部屋をキープしてあったらしく余裕で、イタリア語・ドイツ語・英語が飛びかうフロントは押すな押すなの騒ぎ。とぼけたイギリス紳士二人組(これまた『ミュンヘン~』でも大活躍のおなじみコンビ)は「いよいよイギリスも危ない(開戦)らしい」となかなか届かない情報にやきもきしながらも、結局クリケットの試合結果ばかり気に懸けている。

 足りない部屋の割り当てでひと揉めしたあと、夕食にもありつけなかった二人組はイギリス老婦人と相席し、この国に六年滞在して音楽の家庭教師をつとめてきたが教え子の卒業で退任し母国に帰ること、ここバンデリカは小国だけど、窓から山が見え月も見える良い所であまり離れたくないのよ・・と問わず語りに聞かされる。老婦人と若い娘がそれぞれの部屋に戻ると窓の下でギター弾きが甘く切ないセレナーデを弾き語っているが、階上からはクラリネットとダンスの靴音でドカスカうるさい。若い娘がたまりかねてフロントに苦情を言い、支配人が文句を言いに行くと、民族舞踊音楽研究の旅をしているという鼻ヒゲの軟派そうな男だ。「下の階のお客かが怒っています、うるさくするなら立ち退いて」と支配人が頼むと、鼻ヒゲ男はなんと娘の部屋に押しかけてきて、キミの苦情で上を追い出されたから僕もここで寝る、部屋シェアしようととんでもない提案をする。娘は憤激して上の部屋を使うことを許す。

 この後初めてサスペンス・スリラー映画らしい事件が密かに起こる。深夜まで美声を聴かせていたギター弾きが背後から首を絞められ姿を消す。口ずさみながら聞き惚れていた老婦人はそれを知る由もなく小銭を投げてやり窓を閉める。拾う者のいない硬貨が石畳にむなしく残る。

 翌朝、無事鉄道は復旧し客たちは乗車。実はここまでの約23分間(全編94分)に、本筋の伏線はほとんどすべて過不足なく埋設を完了している。互いに母国語の違う行きずりの客たち、イギリスに帰朝する“音楽”教師の老婦人、こちらは趣味で演奏もよくする民族“音楽”研究家。この両方と知己を得たのは当時のイギリス良家子女の例に倣う、嫁入り前の箔つけ欧州旅行も終わり名門子息の婚約者が待つ帰国途上で早くもマリッジブルーな若い令嬢。欧州諸国情勢とイギリスとの緊張した空気をちらつかせ、客たちがそれぞれの事情を抱えつつ、内心は先を急いでいる。一刻も早く目的地に着きたいと願っていないのは、令嬢と風来坊の音楽家だけだ。

 乗車の直前に老婦人が手荷物を見失い、令嬢が手伝おうと並んで身をかがめると、テラスから何者かが落としたプランターが誤って令嬢の後頭部に当たる。令嬢は見送りの女友達に大丈夫よと安心させて、老婦人に介添えされて乗車。劇中人物たちは誰も気づかないが、これで観客にははっきりする。老婦人が狙われている。このお話の焦点は老婦人だ。

 令嬢はタラップから友人たちに手を振るが、列車が走り出し見えなくなるとさっきの打撲で意識がぼやける。老婦人が介抱してくれて車室に入る。

 ここから列車内でのミステリアスな事態が始まるのだが、“令嬢の意識混濁による錯覚かもしれないし、そうでなくても(他の劇中人物に)そう思われても仕方がない”というミスリードが付けられた。令嬢は何を見聞し何を知る?味方はいるのか?老婦人の運命は?

 月河が初見以来二十年余りを経ても記憶していた“車窓ガラスの手がかり”を謎解きの転換点に、“超”は付かないけれども機関車的な驀進力で、ときに轟音と悲鳴のような汽笛とともに物語は走ります。

・・・・・・・・・

 ・・・・欧州大陸鉄道の車内密室ミステリーというと、日本でもたいていの人がアガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』を思い出し、令嬢が直面した事態に「これ、『オリエント急行』のアレ式のトリックじゃないの?」と一度は考えるはずです。調べたのですが『オリエント~』の本国イギリス初版はこの映画に先立つこと4年の1934年。ヒッチコック御大ともあろうお人が(当時はまだ39歳の新鋭ですが)、4年も前の小説とかぶる結構にするわけがないじゃありませんか。心配めさるな。密室で完結する典型的列車ミステリーと見せかけて、典型を打ち破りちゃんと外に“も”敵はいます。列車から外に出てちゃんと解答があり解放感のうちに着地します。車窓の手がかりと並んで月河が奇跡的に記憶していた“どうしてもウェディングマーチしか浮かばない”くだりが何ゆえ、どんなふうに出て来るか、くだんのクリケットマニア二人組は(二年後に別の映画でミュンヘン~スイス国境とどえらい冒険をさせられるはめになるとはつゆ知らず!)無事念願のクリケット観戦に間に合うのか?・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ちなみに本作にも小説の原作があります。映画化の2年前1936年刊『The Wheel spins』(エセル=リナ・ホワイト作)。“車輪は回る”という意味で、ここにも“バルカン(半島)”も“超特急”も出てきません。

 思うに、この邦題、“欧州でつねにいちばんキナ臭い所”として、火薬庫バルカン半島のイメージがよほど強かったから、当時の映画配給会社が命名したのかな?と思います。劇中の架空の国バンドリカは、例のおとぼけ二人組の会話の端々からしてオーストリア~ハンガリーからチェコ・スロバキア辺りが国境を接し“もうちょっと西進すればスイス”という地帯付近に想定されているように思え、ブルガリアや旧ユーゴスラビア諸国っぽい匂いは漂ってこないのですが。邦題のいきさつ、ご存知のかたがおられたらぜひうかがいたいところです。 

 もうひとつ。本作は1979年に、日本ではTVシリーズ『こちらブルームーン探偵社』のヒロイン役で知られるシビル・シェパード主演でリメイクされていますが、こちらの邦題は、題だけでオリジナルごとネタバレしてしまう酷いものです。日本人専用とはいえ、題を付けるということは、作者をさしおいて作品に名前を付けるということですから、オリジナル未見の人への気遣いという意味でも最低限の敬意は払ってほしいものですがね。

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『ミュンヘンへの夜行列車』~やっぱり敵役が光ってこそ

2018-03-05 23:31:37 | 映画

 日本経済新聞2月25日付の日曜版“名作コンシエルジュ CINEMA”(芝山幹郎さん)を読んで、キャロル・リード監督『ミュンヘンへの夜行列車』(Night train to Munich)をレンタルしてみました。

 1940年イギリス製作。前年にイギリスはナチスドイツのポーランド侵攻に対応して宣戦布告しており、本編も「この映画の舞台は第二次大戦前夜と1939年9月3日である」と冒頭に宣言して始まりますから、性質は純然たる反ナチス映画なのですが、そこは紳士の国らしいというべきか微妙に余裕ぶっこいた、ユーモラスな諜報サスペンス映画です。

 話が脱線しますが、アメリカ映画『カサブランカ』は1942年製作、日本で公開されたのは当然戦後の昭和21年=1946年です。月河の実家母はそれからさらに3~4年ぐらいたってから地方の町の映画館で伯父に連れられて見たそうですが、軍隊経験ありの伯父が「俺たちが麦飯やイモ食わされてた頃、こんなロマンチックな映画を作ってたんだから、アメリカと戦争やったって勝てるわきゃなかったな」と笑ったのが忘れられない・・と言っていました。映画は国の文明度、民度を表すサンプルでもある。

 『カサブランカ』が、あくまでアメリカハリウッドらしいヒーローとヒロインの物語なら、こちら『ミュンヘン~』はジェントルマンとレディの物語とでも言いましょうか。

 ナチスドイツがチェコ進攻に先立ち市民に第三帝国服従を求めるビラを撒く。プラハのチェコ人科学者ボマーシュ博士は、研究が装甲材に最適なことからナチスに狙われ、連合軍は娘のアンナとともに博士をイギリスに亡命させようとするが、間一髪でアンナはナチスに身柄を拘束される。博士はギリギリまで搭乗口で娘の到着を待っていたが追手がかかり、やむなく一人で先に渡英。

 アンナは収容所で医務室の助手をさせられる。ナチスはなんとしても博士の技術が欲しいので、愛娘は人質に使えるから他の被収容者より待遇がいい。

 アンナはナチスに反抗的な態度で拷問されているカール・マーセンという男と知り合う。国境地区の学校教師でドイツ語での授業を強制され拒否して逮捕されたという。学者の娘であるアンナは好感を持ち、父が先に亡命し自分も後を追いたいが・・と苦境を打ち明ける。監視兵にかつての同僚がいるというマーセンは脱走を持ちかけ、夜間探照灯にトラブルを起こさせて首尾よく鉄条網を破り、貨物船に密航して見事、イギリス上陸に成功する。アンナの表情は目に見えて明るくなる。次は何とか父と連絡を取り合流したい。マーセンは先に渡英している友人に協力を仰ぐからと、アンナを郊外の眼科開業医の家に連れて行く。

 アンナを待合室に置いてマーセンが診察室に入る。ここからマーセンの正体を観客に知らせるくだりがなかなかの手際。友人だという眼科医が禿頭丸眼鏡のいかにもドイツっぽい風貌なのでまず一抹不安が兆すのだが、マーセンは視力検査表を差されてまったく違うアルファベットと数字を暗唱し、眼科医がファイルロッカーを探すとその文字番号のカードにマーセンの姓名が載っている。文字番号はファイルコード兼合言葉で、マーセンはナチスの諜報員だったのだ。友人どころか覆面工作員だった眼科医とともに暗室でハイル、ヒットラー!の唱和。もちろん待合室のアンナは知らない。観客はヒヤヒヤする。志村後ろ後ろ―!お嬢さん早く気がつけ、逃げろー!

 しかしマーセンも慎重だ。眼科医の指示通り新聞広告を出させ反応を待つ。深夜、広告に応じた英国情報部らしき匿名の電話がアンナ宛てに来る。マーセンは階段の上で聞き耳を立てる。ここで観客が少しホッとするのだが、アンナは電話で聞いた接触の方法を「誰にも言うなと言われたから」とマーセンに漏らさない。マーセンは若干失望の色を見せつつもここで焦っては元も子もないので「心配なら言わなくていいよ」と泳がせる。

 アンナに送られてきた切符は海浜の保養地へのもので、会うように言われた男ガス・ベネットを訪ねると、何だか浮ついた、カンカン帽に蝶タイで観光客相手に歌う芸人だった。アンナは半信半疑で父親との現況を相談するが要領を得ないので立ち去ろうとする。そのとき「あれ?」とベネットが沖を指さすと、魔法の様にモーターボートが現れ、護衛のついたボマーシュ博士が乗っているではないか。待ちわびた父娘感動の再会。ベネットという男、軽薄そうな歌い手はカムフラージュで、なかなかデキる本物らしい。

 博士とアンナはそのまま保養地の店の二階に潜伏するが、実はあの眼科医があとをつけていた。この時点ではアンナはマーセンを疑っておらず、むしろまだ信頼している。ベネットはマーセンへの郵便物を転送させ、こっそり開封して彼の正体を知るが、アンナたちに告げる前にイギリス提督の使者を装った二人組に隙をつかれて昏倒させられ、父娘は連れ出される。

 提督が晩餐を共にという旗艦まで父娘はボートに乗せられるが、イギリスの海岸、霧が深い。なかなか旗艦の灯りが見えないので父娘は疑念が兆す。やっと輪郭が見えた船影は、接近するとUボートで、砲塔に思いっきり鉤十字の記章がある。いけない、罠だった・・とアンナが痛恨の思いで甲板を見上げると、見下ろすナチス軍服軍帽の将校姿はマーセンだ。霧に腕章のハーケンクロイツが浮かび上がる。

 ここからスッと場面が変わりイギリス情報部らしきオフィス。ベネットの本名はランドール、せっかく身柄確保に成功した父娘を奪回されて悔しくてしょうがない。上司は「マーセンを見くびっていた、君の落ち度ではない」と慰めてくれたが、ランドールは独自に再奪回計画を立てた。自分はベルリンに3年駐在し土地勘がある、博士父娘がミュンヘンに尋問に送られるまでの四十八時間以内に接触し連れ出そう。ドイツ軍はすでにポーランドにも侵入しており奪還は難しかろうと上司は難色を示すが、「一週間ぐらい療養休暇でも取れば」と暗に支援してくれることになった。

 かくしてガス・ベネットことランドールは勇躍ベルリンに潜入。ナチスドイツ陸軍将校の軍服軍帽とアルセーヌ・ルパンばりの片眼鏡で変装し、ヘルツォフ少佐と名乗って、いざ父娘が軟禁されているドイツ軍司令部へ。伊達男らしく軍帽がちょっとアミダかぶりになっているのがナチス将校としてどうなんだと観客は心配だ。大丈夫かな、頼むぞ。

 上司は博士に接近できるよう紹介状を偽造してくれたが、その紹介状を見せる文書室に入るための通行証がない。この辺り上司も大概だなと思うが、ここらへんからイギリス流ユーモアが徐々に全開し、マーセンとのくだりのピリピリしたダークな空気は一旦後退して、ヒッチコックともちょっと違うキャロル・リード印の軽妙なスリルへと変わって行く。

 玄関ロビーの身分証チェックラインで機会を窺ったヘルツォフ少佐、文民の老職員がうっかり失言で守衛と揉めている隙にちゃっかり守衛の背後に回り「職務熱心でご苦労」といけしゃあしゃあと身分証無しで潜り込んでしまう。紹介状を改める、頭の固そうな文書将校が「署名が読めない。陸軍の何と言う将軍からの紹介?」と質問すると「いろいろ回されたので覚えていないが、キミの事を優秀だと褒めていたよ」とおだてて、なんだかんだで博士が軟禁されている部屋にまんまと取り次がせる。

 部屋ではアンナがマーセンに憤懣をぶつけている。収容所で拷問の傷を手当てしてあげた時点からずっと自分をはめる芝居だったのだ。「哀れ過ぎて憎しみも湧かない、間違った思想を吹き込まれて洗脳されているなんて」とバリバリナチス批判を述べ立てるので、マーセンの上司は呆れて「博士が我が軍に協力を決めて下さるまで娘さんは強制収容所に行っていただこうか」と脅し、博士は「娘は関係ない」と慌てる。チェコ人だから祖国を侵略するナチス軍にくみしたくないが学者として研究は続けたい、しかしそれ以上に一人娘の命が大事だ。

 そこへヘルツォフ少佐が入って来る。がっつり軍服でもアンナはすぐに気づき父の手に触れて合図する。博士も気づいた。まさかあのベネットさんまで罠?ヘルツォフはきびきびと軍隊式の挨拶をする。「博士、私をご記憶でしょう、ここで会えるとは」、どういうこと?どうすれば・・と反応しあぐねているアンナには「アレから・・四年ぶりですね」。目が合って、アンナはここでハラを決めた。罠じゃない、ベネットさんは私に演技を求めている、助けに来てくれたのだ。このアンナというお嬢さんは要所でなかなか勘がよく度胸がすわっていて、本編のさくさくテンポに貢献している。

 父娘が別室に移されるとヘルツォフ少佐は「博士の協力取り付けに手間取っているんなら、少し痛めつけたらどうだ、工兵隊は急を要するんだよ」とマーセンたちに揺さぶりをかけたあと、「私はプラハで何度も博士に会っている、アンナとは“親密以上”の仲だった」「私なら少し時間をもらえれば博士を協力させるようアンナを説得できる」と自信満々で持ちかける。マーセン君はイギリス情報部を出し抜いた功労者だが女性の扱いには長けていないようだ、コツがあるんだ私に任せなさい。偽造の紹介状に騙されたハシンガー将軍という上官が結構その道に理解のある人物で、「キミは隅に置けん男らしいからな、目を見てわかった」「数時間で説得できるのか?」→ヘルツォフ「四年のブランクは長いから、なんならひと晩」。傍らでマーセンは憮然としている。イギリス上陸でアンナの心をつかんだと思ったのに、保養地に出向く際何も告げずに消えられた。“女の扱いは無能”呼ばわりされて、見慣れぬ工兵隊少佐に対し闘争心が湧いている。

 この後ヘルツォフはアンナの寝室に入り込んでラブラブ芝居を続けるが、総統本部からの指示で博士父娘は急遽ミュンヘンに護送されることになり、舞台はタイトル通りの“夜行列車”に移る。ベルリンから南ドイツのミュンヘン、欧州大陸の奥深くに入って、果たしてヘルツォフは正体が露見しないうちに父娘を逃がせるのだろうか?というスリルでラストまで突っ走る。また全然露見しなければスリルも中ぐらいで終わってしまうので、そこはいい具合に列車内でランドールを見知るおとぼけイギリス人旅行者二人組に声をかけられて絶体絶命の危機も来る。ついにはミュンヘン駅からまさかの大芝居で軍用車を乗っ取ってアルプス国境に到達、中立国のスイスに渡る山岳ロープウェイで追手に追いつかれ銃撃戦に至る・・

 ・・・・・・・ 

 スパイスリラー、“脱出サスペンス”の定石を過不足なく押さえながら、気がつけばドキドキハラハラの合間にクスッと笑いも絶えない、ナチスドイツの脅威が迫る1940年当時の世情でもイギリスの映画界で求められていたのはこういう味だったんだなあと改めて思います。余裕ですね。

 俳優さんに目を移すと、クレジット上の主役はアンナ=マーガレット・ロックウッドとランドール=レックス・ハリソンの二枚看板になっていますが、敵役マーセンのポール・ヘンリードの印象が別格に独特です。ハンサムで柔和だが妙に冷やっと、ヌメッとしていて、ランドール役ハリソンのサバサバした剽軽さと好対照。

 日本ではそれこそ『カサブランカ』の、イングリッド・バークマン扮するイルザの夫であるレジスタンス運動家ラズロ役がいちばん有名でしょう。この人は戦前のオーストリア=ハンガリー王国領の貴族の生まれで、舞台俳優としてウィーン劇場でデビューしてから映画に転じイギリスに渡った人で、第二次大戦が勃発しドイツが敵国となってからは何度も微妙な立場に立たされたようです。本編でもOPクレジットでは“Paul von Henreid”と、オーストリア貴族の冠号つきの芸名になっていて、これはこの作品の中での、ナチス情報将校という、当時のご本人としてはあまり気持ちよくはなかったであろう役柄に寄せたものだったのかもしれません。収容所でことさらに反ナチスを唱えて拷問されて見せたり、紳士的な態度で亡命者の令嬢を安心させたかと思うと冷徹に本性を現し、挑戦的なヘルツォフが現れるとまだ敵のスパイと判らないうちから粘っこい敵愾心をのぞかせる。この人の“端正な不気味さ”が無ければ、本編の持ち味の飄々とした、根アカな娯楽性も空振りに終わったでしょう。

 イギリス情報部が反ナチスの科学者を奪還するのに“ミュンヘンへの”列車に乗られてはドーバー海峡を離れ敵のふところのますます奥深くになってしまう・・と思いきや、アルプスを突っ切れば天下の永世中立国=スイスというフリーポートに着ける。ナチスドイツがいくら第三帝国だなんつって欧州をのして歩いても、どっこい悪が栄えたためしはないんだよ、俺たち民主主義の連合軍には必ず味方が居るのさ・・と、時流に乗った反ナチス広報宣伝映画として見ればなかなかの“上から目線”も感じる。

 この映画の公開後、約五年にわたる欧州での数々の悲劇を途中で止めることができなかったわけですから、イギリスでこういう余裕な映画が作られていたことを無心に喜んでもいられませんが、平和になって結果がわかってから観る戦争スリラーとして、後味が良いことは残念ながら(?)認めざるを得ない一編でした。レンタルして良かった。 

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ヨニも不思議な物語

2018-03-01 22:13:17 | 海外ドラマ

 イ・ファヨン出所早過ぎ。

 2月26日(月)に絶賛最終回Dlife『カッコウの巣』、まー全74話(本国本放送では102話)の長丁場ともなると終盤は脚本も演出も息切れして細部に目が行き届かなくなるのはつねですが、ファヨン逮捕前ほとんどお腹の目立たなかったジンスクさんの赤ちゃんが、ヒジャ女史(ジンスクの義姉でビョングク母)におんぶされて元気に泣いてたし、このドラマのある意味核心人物=ジヌくんは幼稚園児だったのが贔屓目に見ても小2ぐらいにしかなっていないし、ファヨン、一年半ぐらいで仮出所したのかな。

 ガチ殺されかけたサンドゥが被害届を出さなければ、殺人未遂容疑は無し、横領等の経済犯罪と脅迫程度で裁かれたのだとすれば、そんなに長い服役でもなかったのかもしれない。そもそもあの国の刑法は、司法取引等もあり州毎にかなり違うUSAのそれ以上にさっぱりわからないところがあります。

 それにしても乗っ取った会社の代表時代と同じような服装ヘアメイクとハイヒールでヨニさんと再会ってのはちょっと。ムショ帰りらしく髪にパーマ気がなくなってるとか、肌が青白くなってるとかアイラインが細めになってるとかぐらいは演出してもよかったのではないかと思うんですが。このへんは女優さんが「ラストシーンぐらい美しく終わりたい」と主張したかな。ジンスクが痩せぎすのまま妊娠期間が飛んだのも同じ理由かも。人物、特に女性人物ごとに衣装に特徴があって、好みは分かれるでしょうがビジュアル面では「これがかの国のセレブ女性スタイルか」「かの国のアパレル業界人か」「かの国のDQNファッションか」等と退屈せず楽しめました。

 前の記事で「ファヨンが結局いちばんやりたいことは何なのかわからなくなった」と書きましたが、進退きわまったファヨンが最後のソラ(=やはり年の離れた妹ではなく、かつてサンドゥとの間にもうけて養子に出した実の娘でした)への電話で「あの女(=ヨニ)(兄ドンヒョンの)復讐したかっただけ」と、嘘はなさげに吐露していたし、財閥御曹司夫人の座とか、跡取りの子供を産めば捨てられないだろうとかより、ファヨンにとっては、優秀な医学生で一家の希望の星だったドンヒョン兄さんがある意味(ヨニ同様に)“初恋”の思い人で、横合いから出てきた(他に何でも持っている社長令嬢の)ヨニに奪われた・・という感覚のまま代理母→ビョングク誘惑→会社乗っ取りと突き進んだということなのでしょう。“母性”をモチーフに、あざとめに作った復讐系でしたが根っこは意外とシンプルな、女の嫉妬でした。

 恨みつらみずく、打算ずくでねじくれ曲がった関係と対照させるように、本能のおもむくまま異性を好きになり親密になって、進展すれば子を授かる・・という“自然”の関係がさりげなく称揚されているのも、サブストーリーとしてぜんぶ当たったとは言えないけど好感が持てました。

 世間知らずだったヨニが若気の至りで駆け落ち同棲したドンヒョンとの生活は、結果的にドンヒョンのバイク事故即死、ヨニの身体にも大きなダメージを残してその後の悲劇の始まりになってしまいましたが、最後までヨニはドンヒョンへの思いを失わず、後悔もせず、彼の骨壺と遺影に語りかけながら自分を取り戻す場面もあり、最終回のラストはあんなにやり合ったファヨンと初めて一緒に花を手向け、納骨堂の前庭で遊ぶジヌを抱きしめて終わることができました。

 ヨニの父チョルは自分の会社に財閥のバックを得るためヨニをドンヒョンとの愛の巣から力ずくで連れ帰り、ヨニが望まなかった御曹司ビョングクにヨニ名でラブレターを偽筆するまでして政略結婚させ、ビョングク母で財閥会長のヒジャ女史は何としても男子の跡取りを得るべく、不妊のヨニを蔑ろにして代理母を使いジヌをもうけるという、きわめて不自然で人間の生理や心理や摂理を無視した策動で傷口をひろげましたが、そんな中でもファヨン叔父のチャンシクとビョングク叔母のジンスクは、両家族がめちゃくちゃ対立して罵り合っているにもかかわらずいつの間にか職場恋愛、授かり婚。

 そのジンスクを熱烈に追い回していた常連客のギソプ教授は、チャンシクとのバトルで一歩退いて、同じレストランマネージャーのゴンヒに惚れられいつの間にかカフェ経営に転身、なかなか指輪でプロポーズできませんでしたが最終回では結婚も決まっていました。どちらも、状況を考えるとヒョウタンからコマみたいなものでお世辞にもお似合いのカップルには見えないのですが、縁は異なもの味なもの。男と女が惹かれ合って結婚に至るなんてのは、そもそもこんなノリと勢いでいいんじゃないかという、物語世界の一縷の救済ともなりました。

 ヨニの大学の後輩で、生前のドンヒョンとも交流がありファヨンの報復感情を心配していたユ・ソンビン室長は「ヨニ先輩は初恋の人、だから幸せになってほしい」「それ以外を望んでいない」を貫き、ヨニ妹ジュヒの、姉への対抗心も混じった好意をさらりと受け流しながら、最終回では警察とともに駆けつけてファヨンの入水を食い止める大活躍。

 チョルの会社で駆け出し時代に法務顧問を務め、恩があるというミョンウン弁護士は、最初から「あなたが美人だから」とあっけらかんとヨニに接近、ジヌの親権を取り戻しファヨンの会社乗っ取りのからくりを暴くべく法廷で強い味方になってくれた上で「あなたに必要とされたいと頑張ってきたが、考え違いだった。僕があなたを必要としていた」と告白しますが、「私はいま母親であって、女ではない」とやんわり退けられると、ストーカー化したり逆ギレしたりもせず、「待ちましょう、でもずっとは困る」と距離を置いてくれました。皆が皆、好き勝手に惚れたり憎んだりの一方的肉弾戦ぶちかましているわけではない、こういう、ちゃんと理性を介在させた好意の持ち方だって可能なんだという形を示した。

 強引な設定で無理無体な展開、何かっつったら怒声、号泣、殴り合いド突き合いの典型的な韓国製マクチャンながら、それなりにバランスはとれていた。前回も書いた通りジヌの親権訴訟決着後はあからさまな尺伸ばしが目立ちましたが、視聴中途放棄しようとは不思議に一度も思いませんでした。

 ただ、月河と違って「子供が好きで好きでたまらず、幼い子が泣いたり笑ったりしているのを見ただけでキュンとなる」タイプの感性の人はこのドラマ視聴しないほうがいいです。とにかく一貫して“子供をダシにして大人同士がさや当て”という話ですから。ジヌとソラ役の子役さんは演技頑張っていますが、頑張られるほど胸が痛んで正視に耐えないという向きも多いでしょう。

 普通に素(す)で爆笑できるところもいっぱいありましたよ。ジンスクさんのレストラン(=財閥の外食産業部門本店)では従業員を「マイケル」とか「ミランダ」とか英語名の源氏名で呼んでたりする。キャバクラか。ロールプレイ風俗か。

 代理母のギャラ受け取って復讐を誓い姿を消したファヨンが、外資食品企業のアジア地区渉外責任者として財閥家の前に再び現れたときの変名が“グレース・リー”って。今作に限らず韓ドラは“心機一転、別の身分で再登場”の際に、まったくそれっぽい容貌になってないのに無駄に英語名名乗るというお約束があるみたい。

 そう言えば昭和40年代の日本製なんちゃって国際スパイドラマ『キイハンター』等でも、コテコテの日本人俳優さんがよくジョニーとかジョージとかジェームスとかの役名で出て来たなあ。日本で言えばあのへんの時代のセンスに、いま韓国ドラマ制作現場は居るのかもしれません。

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