イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

月河のトンデモフィギュアスケート論

2018-02-21 21:33:09 | スポーツ

 1972年の札幌冬季オリンピックはもう四十六年前ですから、「日の丸飛行隊の表彰台独占ね、当時ノーマルヒルじゃなくて、“70㍍級”だったよね」「ジャネット・リンちゃん可愛かったね」とはっきり記憶のある人はもう五十代~半ば以上のはずで、四十代でももう記録媒体でしか知らないんだな・・と思うと隔世の感があります。

 女子アルペン2冠のマリー=テレーゼ・ナディヒ(スイス)、彼女の台頭で銀二個に終わった女王アンネマリー・プレル(オーストリア)(←後にプレル=モーザー)、男子アルペン大回転金・回転銀のグスタボ・トエニ(イタリア)、はたまた男子スピードスケート中長距離4冠アルト・シェンク(オランダ)、女子クロスカントリー(当時はもっぱら“距離”と呼ばれていました)2冠ガリーナ・クラコワ(ソ連)等まで記憶している人は相当熱いウィンタースポーツ愛好家でしょう。

 フィギュアスケートのジャネット・リン選手は覚えていても、彼女を負かして金メダルを獲得したのがベアトリクス・シューバ(オーストリア)選手だったと記憶している人は少ないと思う。当時はもちろん“トリプルアクセル”や“トリプルルッツ”なんていうワザ名が実況アナウンスや解説で流れることはありませんでした。

 「ダブルアクセル!」はギリ、聞いたことがあったかな。調べてみると札幌オリンピックに先立つこと十九年前の1953年に、アメリカのキャロル・ヘイスが女子選手初のダブルアクセルジャンプを成功させています。

 大雑把に言うと、いまテレビ解説で大活躍の佐野稔さんが現役で、ジャンプを武器に国際大会で10位以内にコンスタントに食い込むようになった1970年代半ばぐらいから、放送実況でも活字媒体でもジャンプの技名が具体的に採り上げられ、“ジャンプが成功してこそのフィギュアスケート”というイメージが定着したように思います。もっと前からのスケートウォッチャーなら別の所感があるかもしれない。

 女子では70年代を通じて渡辺絵美さんが健闘していましたが、日本で、フィギュアで女子よりも男子のほうが大きく扱われる現在のような時代が来ると当時は誰も想像しませんでした。

 思うに、札幌オリンピックの頃のフィギュアスケートには、フリーを披露する前に“規定=コンパルソリー”という種目が巌とそびえ立っていたので、観戦するほうの脳内で“技術”の要素はそちらに寄せ集められ、フリーを“ワザまたワザの成否”として見ていなかったのだと思います。リンさんのようにひたすら流麗に愛くるしく滑れば高評価で、でもコンパルソリーが苦手だから、コンパルソリーで大きく稼いだシューバさんに総合的に勝てなかったんだな、と皆が理解していました。

 この規定=コンパルソリーというのは、音楽もなく淡々と、地味な練習着姿の選手が順に定められた課題の図形を右足、左足とスケートエッジでリンク上に描いていき、審判は至近距離でじっと滑走時の姿勢やエッジの確かさ、氷上の図形の正確さを見て帳面に点をつけていくという、当事者以外の遠目では何をやっているかわからないスーパー退屈なもので、オリンピックでもテレビの実況中継があった記憶はありません。だいたいフリーの前日か前々日の午後3時とか4時とか、中継しても視聴できる人が少なそうな時間帯に人知れず終わっていて、翌日の朝刊に順位と点数が載っているのがつねだったように思います。札幌オリンピックでもオーストリアのシューバさんのコンパルソリーは群を抜いていて、カナダのカレン・マグヌセン選手とアメリカのジュリー・ホームズ選手(←オリンピック前年のプレオリンピックで優勝、札幌ではリンさんに劣らぬ人気の美人選手でした)が続き、リンさんはコンパル終了時点ではその下でした。

 複数の競技経験者や指導者が言っていることですが、コンパルソリーとフリーははっきり選手によって得意不得意が分かれ、フリー、特にジャンプが好きな選手はコンパルが苦手で、反対にコンパルどんと来いの選手はジャンプが不得意な事が多かったそうです。

 札幌オリンピックの1972年時点ではコンパルとフリーの配点比は50/50でしたが、あまりにも放送映えせず観客を集められないにもほどがあるため徐々にフリーの比重が高められていき、1989~90年シーズンをもってコンパルソリーは世界選手権からも外されました。

 すると不思議なことに、本来“ワザ”のほうは不得意だったはずの、伊藤みどりさんタイプの多回転ハイジャンパーのほうが「高い技術」と見られるようになってきました。

 思うに、コンパルの廃止は放送権料や入場料収入に結び付きにくく、競技人口の拡大に貢献しないというおカネの問題だけではなく、“身体能力技量の向上を競う競技としてドン詰まり”だからだったのではないかと思います。5年前、10年前の選手に比べて今大会の選手の能力が向上しているかどうか、昔から決まった図形を、昔から決まった姿勢で歪みなく描いているだけではまったくわからない。選手個人が、現時点のライバル選手あの人この人より高得点を出そうという向上心を持つことはできるけれども、競技そのものの未来が見えないのです。

 1970年代は二回転が普通だったジャンプを、90年代にはほとんどの上位選手が三回転跳ぶようになった。その中でも秀でた選手は三回転半を跳び、いまや三回転→三回転のコンビネーションが上位では必須になった。明らかに進化が読みとれます。

 「昔に比べて進化した」、こう思わせるのがいまのフィギュアスケートのトレンドなのだと思います。フィギュアという競技は、この“トレンド”というものに良くも悪しくも左右されるスポーツで、そういう“時代(←“それぞれのお国の事情”も併せて)とのシンクロライブ感”が魅力と言えば言えるのですけれども、選手も、サポートスタッフも、応援するファン、広く言えば外野席野次馬も、いつもこれに振り回されてきた気がしないでもありません。

 滑りがきれいで、且つ瞬発力に富み多回転ジャンプを失敗なくこなす選手が勝つのはどんなトレンドが来ても変わらないでしょうが、とにかく回転数回り切るのが有利なのか、一回転少なくても着氷が正確なほうが有利なのか、序盤に跳ぶのと終盤に跳ぶのとどっちが有利なのかいつ跳んでも同じなのか、微妙な違いでトクしたり損したりが常について回る。

 四十六年前の札幌で、深紅のコスチュームで開花したジャネット・リンさんの華は記憶から色あせることはありませんが、やはり“時分の花”でした。1972年、日本では昭和47年という時代だから、輝いた。

 フィギュアスケートは“技術”と“芸術”のミックス、コンビネーションとして捉えられることが多いけれども、むしろ、映画や演劇と同列の“芸能”、もっと言えば音楽性やファッション性、ショー性、話題性も包含した“総合芸能”と見るべきではないかなと思います。“トレンド”という、うつろい流れゆくものに振り回されてナンボ、なのではないかなと。

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