イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

パッチ パッチ ここにパッチ

2011-11-05 00:28:25 | 朝ドラマ

昭和9年=1934年のお正月。小原家の茶の間にどでんとラッパ拡声器つきラジオはあり、善作お父ちゃん(小林薫さん)は毎朝毎夕、カンロクづけを兼ねて?新聞を読んでいるけれども、まだまだメディアの時代ではなかったんですね(@『カーネーション』)。

心斎橋百貨店って、構えからして大手のようだし、富裕層、関西圏の名士も多くご利用になる憧れのショッピングスポットに違いない。その売場の、看板女子店員さんたちの制服が一新、それも東京・黒田屋火災をきっかけに急速に高まっていた世論にジャストミートな最先端の洋装で初売りの人出をお迎えしたのですから、もっと世間の話題になってもいいのに。

 「心斎橋百貨店で話題沸騰のモダン制服、意匠製作はなんと芳紀十九歳、岸和田の超美人呉服店総領娘!」

 「火災で失はれた娘さんたちの命に報いたい!燃ゆる使命感!」

 「自腹で見本品を製作、みづから着用し支配人に直談判!」

 「頼りはミシン一台!わづか一週間で二十着を仕立て期日に納品!」

 「娘の熱意を支えたい!店の商品を換金しミシンを買い与えた父親の愛!(何でここだけ太字だ!)

 「お姉ちやん頑張って!夜なべで手伝つた母と祖母、年若い妹たち!」

 「だんじり大好き、彼女の素顔とは!?祖父はなんと大紡績王!」

 ……てなオッタマゲーション大増発の見出しが女性週刊誌表紙や東スポやゲンダイ……は無くても、“黄系”新聞の一面に躍りまくり、小原呉服店には「意匠縫製の天才・糸子嬢のお姿をひと目」「我が社の制服のデザインもぜひ」と長蛇の行列ができそうなものなのに。

 百貨店員の服装なんてそれほどニュースヴァリューはなかったということなのか。いまなら大手の“ユニホ市場”って結構地元経済を動かす物量のはずですが。世界大恐慌が1929年、糸子(尾野真千子さん)も翌年に桝谷パッチ店をリストラされていますから、その頃職を失って立ち直れなかった人も多かったでしょう。世間がそれほど“ちょっと小奇麗なヒマネタ”的話題を欲していなかったのかもしれない。身につけ着飾る物への興味関心より、日々食べる物、住む所に精一杯な人のほうが大多数だったか。完徹明けで昏々と眠った後ほとぼりが醒めると、糸子も、洋服に関する“自己体温”の熱さと、世間の微温との差を思い知らされ、しばし茫然となったことでしょう。自分を突き放して見る。若いうちにしておいたほうがいい経験です。

 それにしても正味二十四時間ない段階でパッチ100枚って。反物の生地を台車に載せて持ち込んできたあの眼鏡のおっちゃんも、「何屋やねんここは」な小原呉服店の店内と、ミシン一台きりに助手もいない糸子ひとりなのを見たら、「たいがいこらアカンわ」とUターンしそうなもんなのに、静子(柳生みゆさん)の押し、請け合いっぷりがよほど強かったのか。断わられたパッチ店がひょっとして桝谷の大将(トミーズ雅さん)のところなら、かつての仕込みっ子“目打ちの小原”のためにと応援を買って出てくれるかもしれませんが、“無茶な仕事は引き受けたらあかん”という教訓を得て終了かな。停まることも覚えないとね。結論篇放送まであと7時間少々。

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