イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

あなたの気ムチがよくわかる

2011-08-15 00:18:19 | 海外ドラマ

『商道(サンド)』の前にも何本か韓国史劇は視聴しましたね。ネットで目についたタイトルを探して、アタマの24話ぐらいを高齢組にお試しさせてみて、食い付きが良ければ後続レンタルする方式でやっています。広いネットの海、人気作でも好評一辺倒ということはまずありませんが、賛否ともに言及数が多いのを選んどけば大体の作品の輪郭がつかめ、ヤッコさんたちに前説しやすいですしね。

『一枝梅(イルジメ)』は鼠小僧的義賊モノと、忍者アクションを合わせた話のようで、時代劇世代にわかりやすいかも?と思って視聴(何度も映像化されているタイトルらしいですが、今回はイ・ジュンギさん主演ので)。意外と生き別れの実兄弟が追う者追われる者になったり、朝廷内権力争い・謀叛の濡れ衣とか、韓国史劇の“作りつけ”的お約束満載で、思っていたほどは痛快作ではありませんでしたね。どうも笑いとシリアスのバランスがね。“市井のヒーローもの”としては、日本的な感覚で言わせてもらうと“地の文”が湿っぽく、さらさらさくっとしていない。『善徳(そんどく)女王』で印象深い脇役だった刺客チルスクのアン・ギルガンさんが対照的な役で、同じくチュクパン兄貴のイ・ムンシクさんはまたしても泥棒系(?)の役で活躍していたので、高齢組は結構ウケていました。

ムンシクさんの泥棒演技が三たび炸裂したのが『チェオクの剣』。ホントにこの人、泥棒っけのない役やってるところ見たことない気がする。ムンシクさんが小悪党で表現した哀愁は『一枝梅』以上でしたが、メインストーリーも暴力描写も陰惨で救いがないにもほどがあり、高齢家族も月河も最終回ラストシーン後はリアクションが継げない微妙な後味でした。B級感満点な宙吊りアクションの連発はウケましたけどね。“無実で謀反の容疑→処刑か流罪→一家離散→敵味方できょうだい再会”のコースは避けられないのか。

雛形あきこさん似のチェオク役、ハ・ジウォンさんが妓生(キーセン)装束で出ずっぱり頑張った『ファン・ジニ』は映像が美しかったのでなんとなく完走できてしまいましたが、ヒロイン=チニ(←姓の“ファン”を冠さずファーストネームだけで呼ぶときは“ジ”ニと濁らず“チ”ニになるようです)の性格造形が一筋縄で行かない意地っ張りなため、応援モードですかっと視聴するのが難しかったですね。ラスト、究極の舞いとして大道で大衆とともに踊るチニはいい顔をしていた。

身分の高い堅気の若様(←いま日本で人気のチャン・グンソクさんです)との許されない恋や、想う人への操を立てて水揚げの前に死を選ぶ朋友など、“遊郭もの”ならではの切なさ要素、あるいは厳しい特異なレッスンとライバル同士の足の引っ張り合いといった“芸道ビルドゥングス・ロマン”の醍醐味はほぼ遺漏なく押さえてあるにもかかわらず、観終わって残るものが意外に少なかったのは、男性キャラが軒並み月河のツボに来なかったからかもしれない。盲目のチニ母を黙々と支えるベテラン楽士さんがいちばん素敵でしたね。高齢家族も同意見。

チニのライバル・プヨン役のワン・ビンナさんも参加していた『鉄の王キム・スロ』は、絵柄からして紙芝居っぽくチープでしたが、朝鮮という国が元来、いくつもの部族国家のゆるい集合体で、堅固な広範囲統一国家を必ずしも志向しない体質らしいことがよくわかりました。朝鮮戦争であっさり南北に分断されて半世紀以上を経過、統一統一と言いつつ成る気配もなくいまに至るのもそういう面が影響しているのかも。暴論か。

隣の強国・斯盧(さろ)の王女アヒョと両想いになり、次いで天竺の王族の娘ファンオクとも恋におちるモテモテのスロさん、最後のほうの即位後の貫禄ヒゲは似合ってなかったな。韓国史劇では、男性人物が“完成型”になるとヒゲ伸ばさなきゃしょうがないみたいで。『善徳』でも触れられた伽耶国の製鉄・鉄工技術に関しては、前半さらっと鍵になった程度で、結局いちばん記憶に残ったのは、スロの猛母チョンギョンが永作博美さんに似ていたこと。

『スロ』や『朱蒙』のような古代建国ものでも、近世の李氏朝鮮が舞台の作品でも、韓国の歴史時代劇に通底するのは“味つけされたナショナリズムだと思います。甘くであれショッパくであれ、朝鮮民族の来し方、文化や歴史の独自性、諸大国とりわけ半島背後の巨大中国の圧力に対し、我らが民族のご先祖たちがいかに勇敢に戦い賢明に努力して国土や産業、民生の自立を守ってきたか…という、こってりと人為的な称揚の価値観ががっちり据えられている。

だから紀元前の古代が舞台でも、王族や貴族たちはカラフルできらびやかなビザンチン風、あるいはロマネスクゴシックバロック風の、布地や貴金属宝玉を異常に潤沢に使った大仰な衣装をまとい、リッチで清潔そうな室内調度の中で暮らしている。

「そんだけ輝かしい歴史を持ち英雄偉人を輩出したにしちゃ、結局分断されてんじゃんよ」というツッコみはこの際封印するか、“つぶやき”程度で。たとえば、特にお名前は挙げないけど某・現職都知事のようなゴリゴリのライトウイングの人たちが視聴されたらたちまち嘲笑と叩きの嵐でしょうが、“内戦中、分断休戦中の国”のマスメディアが作ったソフトだからこその独特の臭み、しつこさ、味付けの過剰さも含めて韓国製史劇ドラマの魅力だと月河は最近思っています。

違う歴史と民族性を持つ日本人が観たら、生理的に受けつけない人がいても当然だと思う。称揚されている価値観を、一緒になって称揚する必要はないのです。“こういうドラマが作られ、TVで不特定多数に発信されて受け入れられ消費されるのは、そういう空気と土壌がある国だからなのだな”ということをわかった上で、我が国製のドラマにはないこってり加減を楽しめばいいのではないでしょうか。

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史劇感激

2011-08-13 20:24:12 | 海外ドラマ

なにしろ、この春、具体的にはNHK総合『イ・サン』と同BSプレミアム『同伊(トンイ)』の日曜夜の放送が始まった4月頃からですが、高齢家族が韓国製史劇以外のTVドラマを、『おひさま』以外)ほぼ、いっさい観なくなってしまったわけですよ。おかげで随伴ながら有名どころ作品はこの4ヶ月ほどでいろいろ視聴しました。

大型史劇挑戦の皮切りになった『善徳(そんどく)女王』は、新羅王3代にわたり王以上の権力で側室兼のちに璽主(せじゅ)として宮廷に君臨するミシルという人物が現実離れして毒々しかったけれども、権勢欲や独占欲だけでなく彼女なりの愛国心、使命感もあったのだろうなと、演じるコ・ヒョンジョンさんの美貌と迫力でなんとなく説得納得させられてしまいました。

その分、ミシル退場後のトンマン女王治世パートはちょっとかったるかった。新羅の君主が歴代願ってやまなかった“三韓統一”も結局見届けることならず中途半端に没した女王でもありますし。まだ自分の出生や運命を知らない少女トンマンが、夢で大人トンマンに出会うラストは、中途半端さをだいぶ救済しました。

要所の戦闘シーンの迫力、スケール感も合格点。全編の大半が女性の頭脳と意地のバトルなので、男性人物の存在感や魅力がもうひとつ残念でしたが、忠義武士道ひとすじの好漢・侍衛部令アルチョン、低い身分からの叩き上げ武人にしては大人の色気あるソルォン公が良かったですね。

大型長尺とくれば『朱蒙(チュモン)』。これはとにかく“ゼロから統一国家を立ち上げまとめ上げる”というベクトルの圧倒的ダイナミズムにやられます。中国大陸でかなりな部分をロケ撮影したと思しき戦闘シーン、行軍シーンもさることながら、甘やかされて育ったグウタラ王子がさまざまなきっかけを大小問わず糧にして覚醒成長していく、ブレない右肩上がり曲線が痛快。主人公を囲む脇キャラも多彩かつ珠玉の出来で、敵味方ともに誰ひとり適当に配置されていない。志を同じくした戦友の遺児、そして生涯愛する女性の産んだ子として自分の実子より朱蒙に愛を注ぐクムワ王=名優チョン・グァンリョルさん演じる叡智の中の一抹の残忍さ、晩年を迎えての迷いと老残の悲哀。朱蒙と逐次出会って最初反発摩擦しながら徐々に忠臣として自らも成長を遂げていくプータローたち。もともと持っていた度胸や反骨心、義侠心が、将来の建国のヒーローとなるべき器と出会って開花していく過程。ともに発展途上で朱蒙と知り合って恋心を抱くもすれ違い、二度めに出会ったときには“男と女ではなく、国の将来を思う同志”として、傍目からは政略策に見える結婚を敢行するソソノ大君長のいさぎよさは、その引き際とともに欧米圏の人たちにも支持されるのではないでしょうか。

欲を言えば、イェソヤ様との再会生存確認までがじりじり引っ張り過ぎに感じる上、最終盤のユリ王子とソソノの連れ子たちに関するくだりが蛇足感。昼帯ドラマでもヒロインの子供たちの代主体の話になると一気にテンション弛み興が醒めますからこんなものでしょうね。

月河も高齢組ももちろん朱蒙の建国の戦いを、側近の元プータロー武将諸君ともども応援モードで視聴しましたが、傍ら“ラクしてトクするためなら死んでもいい”勢いの、アホバカ策士・ヨンポ次兄に一貫して大受けでした。こういうキャラは悲惨シリアスな最期が似合わないから逆に安心感がある。しかも普通に見れば3兄弟の中でいちばんハンサム。見ただけでまともに喧嘩する気が失せる、腑抜けた感じの黄緑色のコスチュームも、無駄に甘く端整なルックスによくお似合いで。

朱蒙の遺伝子を継ぐ…という触れ込みにひかれて、朱蒙の次のユリ王の、そのまた次の太武神王の物語『風の国』も視聴しましたが、これはお話としての迫力も、キャラ造形ももうひとつでした。主役・無恤(ムヒュル)も敵役トジン公も、行動の芯がヨン姫への恋愛感情に寄りかかり過ぎで、ヒーロー/ダークヒーローとしての深い魅力がない。風景など映像はこぎれいにまとまっていましたが、せつない場面でやたら同じ曲が流れる演出も浅い。『朱蒙』主役のソン・イルグクさんが朱蒙の孫に当たる役で再び主演というのも放送当時は話題だったようで、宮廷で青年期までぬくぬく育った末っ子王子朱蒙に対し、死んだことにされ洞窟の壁画工として隠れ育てられた無恤を表現するため、聞けば放送当時36歳のイルグクさん、10キロ近く減量しての参戦だったそうですが、いささか空振り気味。これはイルグクさんの落ち度ではなく、奥行きと幅のあるたくましい主人公像を作れなかった脚本の力量不足でしょう。日本の大河ドラマなどでもよくあることですね。あるいは「『朱蒙』より女性視聴者向きに」との製作側の思惑もあったか。恋愛メインにして、甘い曲を流せば女に受けるというものでもないのにね。

終わってみれば、トジンが椎名桔平さんに、ヨン姫が細川ふみえさんに、ヘミョン太子が潮哲也さんにそっくりだったことしか記憶に残っていない。韓国ドラマ視聴していて、「日本の○○さんに似てるね」に引っかかってしょうがなくなると、不出来作の証明というか、もうお話に入り込めないこと決定です。

恋愛メインと言えば『薯童謠(ソドンヨ)』。新羅と百済、宿命のライバル国の王子と王女同士の許されぬ初恋。国vs国、王位継承権をめぐる血で血を洗う話が、主役カップルの恋愛感情ほとんど一本かぶりのエンジンで進んでいくという仕立てが、逆に新鮮でした。監督が『宮廷女官 チャングムの誓い』や、冒頭に挙げた今年NHKで放送中の2作でも知られ日本でいちばん有名な韓国ドラマ演出家でもあるイ・ビョンフンさんで、フレームいっぱいの派手なドンパチドカーン、ドバドバグサッの戦闘剣劇、反対にあまーくお花畑な美男美女ラブストーリー、どちら極端もあまり得意ではなさそうなため、劇中どちら路線も中道を行き、足して二で割った独特な味になって結実したようでもある。百済太学舎(てはくさ)の数々の理系技術や工学発明がもっと展開の鍵を握るのかと思っていたら、そっちの引き出しはあまり無かった。

後半は薯童ことチャンの、血筋が求める百済王位への戦い全開になりますが、チャンも、敵国新羅のスパイで終生の仇敵となるサテッキルも、見た目どっから推してもチャンバラ武闘の似合う体育会系ではなく、文化系の優男なのがおもしろかったですね。どちらもイケメンというより、古めの昭和ハンサム。昭和40年代の学園青春もので生徒会長役などできそうなのがチャン。サテッキルのほうは若干面長なので、眠狂四郎シリーズの市川雷蔵さんにちょっと似ていました。バトルに向かうファースト動機が恋心…という作りに、『風の国』で感じたような違和感がなかったのはこのふたりのキャスティングがぴったりだったことが大きい。チャンは亡命先で太学舎メンバーから出入り禁止になって、ひとり野で暮らしていた10年があり、半裸で薪割るシーンもあったりしましたが、優型の顔立ちなわりに結構がっしりしていましたっけ。韓国の男性はいちばん肉体的に充実する20代で2年間の軍入隊訓練を体験するので、男優さんたちも総じて身体は立派ですね。

ビョンフン作品と言えば『商道(サンド)』も観ました。このドラマに関しては稿を改めましょう。

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積ん毒 放っ得

2011-08-12 00:12:44 | 昼ドラマ

さてさて、そうこうするうちに、9月期(95日~)の昼帯ドラマも発表になっているわけです。うっわー、ついこないだ4月期の『霧に棲む悪魔』が終わったと思ったら、もう秋クールの話題。指切ったり縫ったり、ニンニクとノドのクスリの成分組み合わせの研究(?)に夢中になっている間に、時間はどんどん過ぎ2011年もすっかり後半戦なのだなあ。

 『毒姫(どくひめ)とわたし』。…ふうむ。『王様と私』を思い出す。ザ・キングアンドアイ。♪シャーウィーダン、チャッチャッチャー。ユル・ブリナー。デボラ母(かあ)さん。未視聴ですが韓国時代劇ドラマに『王と私』もある。NHK朝ドラの記念すべき第1作は獅子文六原作『娘と私』(昭和36年)。“○△と私”というタイトリングは据わりが良くて使いやすいのでしょう。“わたし”って重いですからね。ボトムに持って来ると安定感がある。

“毒姫”なんつうと今昔物語説話みたいですが、内容紹介を読むと“毒舌の姫”=黒川芽以さん扮する車椅子のキャバクラ嬢・美姫のことを指す様です。

んで、“わたし”が櫻井淳子さん扮するアラフォーシングル編集者・小麦。櫻井さんは2006年の『美しい罠』以来5年ぶり、黒川さんは07『愛の迷宮』以来4年ぶりのこの枠参戦となりますね。

他キャスト名をざっと見ると、04『愛のソレア』以来7年ぶりの荻野目慶子さん、02『母の告白』以来9年ぶりの国広富之さん、さらには08『愛讐のロメラ』以来3年ぶりの渋江譲二さんに、09『非婚同盟』以来2年ぶりのいとうまい子さんと“ブリ”の大漁大特売に、昨年の『インディゴの夜』の記憶も新しい加藤和樹さんの名前も見え、要するに昼帯キャスティングチーム、昔のお付き合いで声かけまくって集めたような気がしないでもない。

『美しい罠』は忘れ難い、2006年でいちばん深く入り込めたTVドラマで、大枚はたいてDVD-BOXも全巻予約入手。本放送中の自前のVHS録画と合せ技で何度も再生視聴、同じ年の秋に始めたこのブログで、かねて贔屓にしていたこの枠のドラマについて、たびたび言及するきっかけともなった思い出深い作品です。

『愛の迷宮』は諸般の事情で本放送は中途下車しましたが、黒川芽以さんが運命の子・ゆりあ役で参戦した頃までは一応はまっていました。現在当地で、他局の地上波で再放送中で、100パー出先の待ち時間しかない時間帯にもかかわらず、空いていると結構チャンネルをアレして観返す気になります。「そうそう、このあとアレがああなるんだよ」「あれ?そっち行くんだったっけ?忘れてたなぁ」という“復習”視聴もまた楽し。

いまさらこんなこと蒸し返してもなんですが、櫻井さんにしても黒川さんにしても、『罠』『迷宮』それぞれのキャスト発表を見た時点では、好感を持っていた女優さんではありませんでした。少なくとも「この人がヒロインなら観ようか」という気に積極的にさせるお名前ではなかった。櫻井さんは、文句なく美しいけれどもちょっと蓮っ葉で賢そうじゃないイメージがありまして、何かハート、スピリットにずしんと来ないというか、物質的なレベルにとどまっている感じ。黒川さんは、女優さんと言うより、萌えニーズの美少女“タレント”。

それが、いざドラマが始まってみて、設定やストーリーや劇中人物のキャラにはまってくると、役者さん単体をどう思っていたか、好きだったか嫌いだったかなんてまったく何の問題にもならなくなってしまう。それどころか、終盤~最終回頃には、「見損なってて失礼しました」「こんなにデキる役者さんだったとは」と180°評価が反転さえするのです。チカラのあるドラマ、ドラマのチカラというのはそういうものだと思います。

しかしまぁ、今般、せっかくの櫻井さん黒川さんのダブルヒロイン起用ではありますが、“アラフォーシングルキャリア女性と”“ハンデキャップを持つ20代女性の”“女の友情”を通して“人生の本当の幸せとは何かを問う”“ヒューマンコメディ”と、月河にとって宇宙一興味のないテーマとモチーフをこれでもかと並べたようなキャッチなので、どうやらこの枠、9月からも“次々作情報待ち”内定。昨年の同時期は『天使の代理人』をやっていましたね。暑さから解放される季節は“女の生きかたタイム”ということで定着させたいのかもしれません。東海テレビ、いま何かと逆風ですから、10年来のこの枠ウォッチャーとしては応援したいですけれどね。

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眺めセシ間に

2011-08-06 00:33:03 | テレビ番組

昼帯ドラマ関係以外で、“東海テレビ”という固有名詞を久々にニュースで目にしました。当地にはネットされていないけれど、『ぴーかんテレビ』って平日の午前中に同局地元で放送されている番組のようで、もろ“主婦専時間帯”でもあるからか、昼帯ドラマ出演者がときどき番宣来演するので、ドラマ公式サイトに出演情報が載っていることがあります。嵌まってる作品の、気に入っている俳優さんが出ていた場合、非ネット地域の住人月河も、某投稿動画で探して拾い視聴することもあり。

それにしても、「うわぁ」っていうより「ぐぇっ」とか、いっそ「ひでぶ!」とか「へげし!」くらいのリアクションしたい、目を覆うお恥ずかしい放送事故ではありませんか。リハ用に仮に作った当選者告知画面が、関係ないコーナーの放送中にポッと映ってオンエア乗ってしまうというのは、あってはいけないことだけれども、ナマ放送の場合皆無なことでもなく、当地のローカル局の(たぶん)『ぴーかん』と似たようなナマ放送情報番組で、喋っても映ってもいない出演者のシワシミだらけの手もとのアップや、次のコーナーで紹介する料理の皿の端っこが一瞬フレームを占領してしまう程度の事故なら、年じゅうたまさか目にします。ミスだから見苦しいには見苦しいけど、それ一つでその日の番組が根こそぎダメになるというほどでもない。人間がやってることだからなあ、プロだってうっかりはあるよね、で流せてしまいます。

しかし、「汚染された米」「怪しい米」はなぁ。楽屋裏で「いまこの時期にプレゼントに岩手産米ってわざとらしいよな」「美味しいです安心ですって強調するってことは、本当は怪しいからだよな」と下っ端くんたちがおちょくり合ってたのかしらん。それにしても「セシウムさん」って。そのまんまだろう。少しはヒネれよ。

こんだけ笑かしセンスのないヤツらに“暗い世上の出来事や状況をおちょくる”という行為をさせたくない。「オマエら、おちょくったな」と認めるのもけがらわしい。“おちょくる”ってのは、少なくとももっと鋭利な、芯の一本通った精神の人でなければやる資格のない行為だと思うから。

て言うか、この仮画面作ったのも、別コーナーのナレーション中に映ったのも、誰かが何かの意図をもってやったことではないかと考えたくなってしまいます。画面も、テロップ字句も、映ってしまったというミスの初歩的っぷりも、しかもよりによってこういう日々の状況でというタイミングも、すべてが稚拙でガキっぽ過ぎて、大人の、TV放送のプロ集団がプロの仕事する中で起きたこととは俄かに信じがたい。

誰か(同番組、同局が恥をかくとトクする人)が仕組んで、わざと恥ずかしく作って提示した結果だと考えたほうが(それはそれで胸の悪くなるような話だけど)まだしも腑に落ちます。

71日に終了した『霧に棲む悪魔』以降昼帯ドラマとはきれいさっぱりご無沙汰していて、もちろん録画はしていないし(VTR録画ができなくなりましたしね)、出先のTVが空いていてもチャンネル合わせることもしなくなって久しい。いまどんな作品を放送しているのかも、『霧に~』の最終週挿入のスポットで見たと思いますが思い出せないほど。

自宅居間には地デジ録画機材もあるのですが、録ってDVDに移してPCにかける手間も何のその!ってくらい視聴を楽しみにできる昼帯ドラマ、こんな体たらくになっちゃった局で、また制作されることがあるのでしょうか。『霧に~』の前向き生産的な総括が、1年後2年後にもっと面白い、中身のある作品につながるのではないかと思って、いまも録画観返しては執筆中なのですが、もう望み薄、期待損かもしれません。センスがないとうか、アタマ悪いと言うか、なんかもう腐ったトウフみたいにぐずぐずの、そこらの中学生より物を考えてない人たちの集まりになり下がってしまったようで。

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