イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

瀬戸の花婿

2011-08-25 21:23:12 | テレビ番組

 島田紳助さんが、キャラ的にも素でも、ガラが悪くてヤクザっぽいのはいまに始まったことではなく、1980年代漫才ブームに乗ってのデビュー当時から、むしろ積極的に売りにしていたくらいだし、「“ぽい”じゃなくて本当にそのスジと付き合っていたから芸能活動やめます」と一方的に言われても、何をいまさら…という感じです。

個人的には、この人のことを、“見かけたら速攻TV切る”までに不愉快に思っていたのは、ドスと顔の利く先輩の言うこと聞くしか業界で生き残って行くすべがない、ゴミクズみたいな格下の連中を掃き溜めてプロデューサー気取りだった“ヘキサゴンファミリー”の頃がピークで、最近はお顔を見かけても「まだやってるのか『鑑定団』」、「よく飽きられないなあ『行列』」等と思うだけでした。

 M1グランプリを提唱、先輩芸人さんたちを取り込んで音頭とってくれたのは貢献だったと思いますが、それも幕を閉じたし、故・松本竜介さんとツナギを着て「走れメロス、メロスは走った」なんてやってた若かりし頃は“人のやらない事をやってやろう”という欲と自負とコンプ混じりでギラギラしていて、それなりに可愛げがあったけれど、こっちはもっとずっと昔の話。今回の記者会見もまあ、ぶっちゃけ「早くTVに出なくなってほしいと、ずっと思っていた人が、その通りにやっとこさなってくれた」というのが正直な感想でした。

 それにしても、「あー清々した」で済まされないことがある。まず、「(そのスジの偉い人にトラブル解決してもらったり、お礼かたがたメールの交換などの交流を続けていたことを)悪いことをしたとは思っていない、セーフだと思っていた」と言った上で、「(芸人、芸能人として自分は)最高にカッコ悪い終わり方」「いままで若い後輩たちに厳しいこと言ってきたから、示しをつける意味でも、いちばんカッコ悪い、厳しい処分を自分で下すと決めた」とか何とか、自分を反面教師に仕立てて後輩たちへの戒めにしたかのような物の言い方。

カッコ悪く去る、自分で自分が居られなくなる振る舞いをした人間が、居続けてがんばる人たちを縛るというのは、偉そうにもほどがあるってもんじゃないでしょうか。この世は生きている人たち、明日も明後日も1年後も10年後も生きていく気のある人たちが物事を決めて回していくべきであって、死ぬ人が死に際に「これこれこういうふうに生きろ、こういうふうに生きるな、言った通りにせよ」と言い置いて死ぬのは卑怯でずるくて醜悪です。死んだ後、生きている人たちが言った通りにしてくれているかチェックしたり駄目出したりできるわけもないのだから、自分の生きている間に自分でできるだけの事をして、死ぬときは黙って笑って(笑わなくてもいい)死ねっての。

紳助さんも、芸能で生きてきた人が芸能をやめる、つまり死に際を自分で決めたのだから、「やっていいことと悪い事の区別もつかない愚かな人間だけど今日まで可愛がってくれた先輩がた、慕ってくれた後輩、皆に感謝したい、ありがとうございました」と一礼して退場、のほうがはるかに清々したのに。“心して身を律しないとオレの様な辞めかたをしなきゃならなくなるよ後輩たち”は要らなかった。

たぶんこの人、クチさき偉そうキャラなのとは別建てで、“師になりたがる”“親分風(かぜ)、兄貴分風吹かせたがる”体質の人なのでしょう。“族”やヤンキー出身の人には多いですね。実社会に出て、これが持ち味、魅力になることもあれば、そういうのが肌に合わない人を遠ざけ結果的に孤立するもとになることもある。

おそらく大勢の後輩たちが、この人に身が縮むほどシメられたり、或るときには太っ腹にオゴってもらったりして「怖いけどいい人だ」「いい人だけど、やっぱり怖い」の間で転がされ育てられてきたはず。その結果「紳助先輩に学び、見習ってああいう生き方の芸人になろう」と思う人が多かったか、「あんなのごめんだ、オレは売れてもあんなには絶対にならない」と思う人のほうが上回ったかは、これから追々結果が出るでしょうが、去る紳助さんがもはやどうこうできることではない。

余談ですがウチの高齢家族、非高齢家族ともに、「遺言だけは絶対のこさない」と長年言っています。遺言にのっとって処理しなきゃならないほどの財産がないということもまずドンと現実としてありますが、「自分より後に生き残る連中に“遵守”“尊重”という重荷を背負わせて逝きたくない」というのが彼らの言い分。

「生きている間が人間」「死んだらぜんぶ終わり」と彼らは折りに触れて言います。「残ったモノやカネをどうするかは、生きている者が好きなようにすればいい、法律なり制度なりあれば、それ通りにすればいい」「法律に従うのがイヤで、争って殺し合いでもやりたければやればいい、わずかばかりの形見や小銭のためにそんな真似してエネルギーをついやすのがバカバカしいかバカバカしくないか、それくらいの判断はつく人間に育てたつもりだが、育ってなければ力不足だったわけでしょうがない、とにかく好きにしてくれ」「死ぬ間際まで生き残る奴らの先のことを気に病むなんてごめんだ」と。

紳助さんに話を戻せば、「半年ぐらいの間だったが(芸能界の)テッペンに立ったことを確認してもらった」というよくわからない文脈で、同じ所属事務所の明石家さんまさんの名前を一度ならず引き合いに出したのも非常にイヤな感じがしました。

もう何年前になるか、紳助さん『クイズ島田検定』とかいう番組で、「ここに撃っても罪にならないピストルがあって、弾が6発入っている。“誰を撃ってもいい、あなたがいい人で、撃ちたい相手がいなければ、空に向かって撃ってもいい”って言われたとしたらどうする?」と、もんのすごい恣意的な問題提起をゲストに振って、「オレやったら明石家さんまに5発使う」と自分で答えていたことがありました(そのときのレギュラーゲストのひとりに、V6の井ノ原快彦さんがいて「あと1発はどうすんですか?」と訊いたら「みのもんたやな」「朝から晩まで(司会の)仕事しやがって」とも)。

紳助さんが事務所同期入社で同学年で、同じような言いたい放題キャラでありながらお茶の間好感度では天文学的大差をつけられているさんまさんに、親しみとやっかみ入り混じった複雑な思いをいくら抱えようと自由ですが、黒い“交際”が俎上になっての結果を見られているその最中に、「付き合いのある人」として同業者の名前を挙げるのはどうかと思います。聞く人が聞いたら「さんまか、(ダウンタウン)松本か、じゃあ朱にまじわって赤くなってるんじゃないか」と思うかもしれない。思わないかもしれないけど、みずから“カッコ悪い最悪の終わり方”と言うなら、あまり固有名詞のツバを飛ばさずに、挨拶すませたほうがまだしも見苦しさが少ないと思うのですが。

…そう言えばあのときの『島田検定』での井ノ原快彦さん、紳助さんに「イノッチはどや、罪にならないピストルや、誰撃っても捕まらへんねん、撃ちたいヤツおらんの?」と押し込まれて「NEWSですね~」とニコニコ答えていた記憶が。ジャニーズ事務所内でいちばん飛ぶ鳥落とす勢いと世間も認め、そのことを事務所先輩がネタにしてもいいくらいなのがNEWS、そんな流れの時期だったのでしょうね。2005年ぐらいだったのかな。

いまやNHK朝の顔、“はなまるヤッくんの可愛げ版”とも称される井ノ原さん、いまなら誰を撃つか。嵐か。明日(26日)櫻井翔さんが『あさイチ』プレミアムトークにゲストインするらしいですが、どんな雰囲気になるかしら。

もう、空に撃っても余裕じゃないかな。

コメント
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