『あさイチ』と“被災地”って、期せずして韻を踏んでいますね。
オープニングで「本日のあさイチも、昨日に続き被災地から…」と言うたび、有働さんもイノっちも“本当なら笑いにできるところで、できない”状況の醸し出す重苦しさをたたえています。
最も被害甚大だった地域からはだいぶ距離のある当地も、かすかに有感程度な余震が頻発していて油断がならないせいもあり、TVで連日、あまりに非日常な映像付きで非日常な事象が報道され続けていると、脳内で現実逃避すべしのスイッチが働くのか、逆に、突拍子もないことを考えてしまいます。
まず、“警察機動隊の放水車”と聞くと、月河の世代が懐かしくも思い出すのは何と言っても1972年のあさま山荘事件です。なんか、高いところから鎖分銅みたいな鉄球ガーンて外壁にぶつけて、凹んで穴空いたところ狙って地上から放水。立てこもりグループを2月の寒空に水攻めにして、顔出したところを突入確保ーーみたいな。子供心に、消防車が火事のとき限定でやるものと思っていた“放水”を、消防車ではなく警察の車が、こういう目的で実施するというのはかなりの驚きでした。
その警察放水車を、2011年の原発事故現場でまた拝見することになろうとはね。資料映像のスチールでしかまだ見ていませんが、40年前当時の型よりはかなりパワーアップしているようです。当たり前か。4000リットルの水を30°の角度で1分間で放水するんだって。すげー水圧。ワクワク。いやワクワクしちゃいかんか。放射性物質の濃度が高い危険地帯の作業に当然なるでしょうから、あまり間近で生中継もできないでしょうけど、ホント懐かしいなあ。
『突入せよ!あさま山荘事件』のように、30年ぐらい後に映画化されるかも。被曝健康被害や環境汚染問題になったら、さすがに差し障りがあるか。
懐かしいと言えば、昼間のNHKの原発事故報道で連日大忙しの水野倫之解説委員。1999年9月、杜撰な作業体制が「バケツでウラン」と憤られたJCO東海村臨界事故の際、地元住民に避難要請や勧告の出た現場近くでほとんど単独でレポートを続けておられました。当時ウチで数少ない、原子力を多少は解する理系人である家族などは、「たまに誰か交代してやればいいのに、NHKもブラックだな」と気遣いつつ、「でもこの人が生きて映って、動いてしゃべってる間は大丈夫だ」「それにしても昨日より目の下のクマが濃くなってきた、そろそろかもしれない」等と月河より数倍不謹慎なことをほざきながらTVに見入っていたものです。
そんなことはつゆご存知なかったであろう水野さん、作業員2名が被曝で犠牲になった同事故の収束後、ほどなくしてアメリカNASAのスペースシャトルの何だかで、今度は正反対に明るい表情で現地レポートするお顔が見られ、「“東海村お疲れさん”の慰安旅行代わりに派遣してくれたのかもな、NHKも鬼じゃなかった」と家族も安心していました。
そんな水野さんも、12年後の現在は科学文化担当のベテラン解説委員。ラベンダーや格子縞の、妙に味出し系のシャツが気になりますが、東京電力管理職の面々や原子力保安院の、専門用語を切り貼りしたような、芸も誠意もない記者発表を、見事につなぎ読みしてわかりやすく噛み砕く解説ぶりは、東海村のときとは違った意味で「この人がよどみなく話してくれていればまだまだ安泰」という安心感があります。これだけスタジオ詰めが続くと、あのユニークなシャツやネクタイのスペアがどれだけもつのかという問題もあるか。余震や救援物資の補給路など、さなきだに難問山積の状況、原発がらみだけでもどうにか最少被害で収束してほしいと、水野さんもきっと心から願っておられることでしょう。
あと、水野さんほか学者識者の皆さんの解説で耳にタコできそうな、“マイクロシーベルト”とか“ミリシーベルト”という単位を聞くたびに、浦沢直樹さんの『MONSTER』を思い出すのは月河だけではない、ですよね。
期せずしてドクター・テンマも志願した“国境無き医師団”も来日、被災地での活動にあたってくれてるようですし。
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