イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

推薦するする詐欺

2008-09-09 00:28:09 | ニュース

自民党総裁選挙の立候補に必要な“20人の推薦人”って、自民党所属の国会議員じゃないとやっぱりいけないんでしょうか。

いま、7人だか出馬投票…じゃなくて表明してるんですよね。7人がそれぞれ20人集めるとすると、7×20140人。

……そんなにいるのか、自民党国会議員って。“誰の推薦もせず、様子見て誰に投票するか決める”って人もある程度居なくちゃ選挙にならないけど。参議院も入れればそれくらいは居るのか。

あれかな、街頭でそこら歩いてる人に推薦状用紙出して連署してもらって提出したらバレるかな。あの立候補者もこの立候補者も、それぞれ23人くらいずつ通行人名を、それも連名の真ん中へんに混ぜたら、「こんな名前の議員ウチの党にいたっけ?…あ、こっちの候補の推薦状にもなんか聞いたことない名前が…こっちにも…まあいいかメンドくさい」って意外とスルーされるんじゃないかな。

まぁそれはないまでも、開票してみたら「20票入ってなかった」って人がいたら笑うね。入ってなかったとわかったときのリアクションがおもしろかったら、特別に当選にしてあげるとか。

…………どうせ解散総選挙用の“取り外ししやすい看板”選びみたいな総裁選なんだから、それくらいネタ化してみろよと。

とにかくこんな茶番やってる最中、足元見られて外国から核ミサイル飛ばされたらどうする気なんだろう。国の中枢にいる人の誰にも“国を背負っている”という意識が無いという、もうね、日本という存在自体、初めから実体のない蜃気楼みたいなものだったのか。

演題は忘れましたが古典落語の下げ「じゃここにいるオレはいったい誰なんだ」。

『白と黒』は第50話。かなり先への布石を感じさせる、最近ではいちばん好テンションな回でした。なぜか杖無しで部屋を歩き回る和臣(山本圭さん)に気づいた家政婦路子(伊佐山ひろ子さん)の不審。39話だったか和臣の「ミトコンドリアどったらこったら」の場面で、路子さんが居眠りから目覚めたのは和臣の杖が床に落ちる音でしたが、“路子にとって、和臣と杖は一体”を印象付けておいたことが50話の今日生きた。こういうさりげない線路敷設のし方こそ連続ドラマ。

それからフランスの中堅製薬会社ヴェリテ社の日本代理人と自称するニヤケくさい弁護士ね。05年の郵政民営化選挙の前TVで一生懸命反対論を述べていた参院議員の荒井広幸さんでしたっけ?ちょっと似てましたな。意味ありげな会釈をかわす同社日本営業部長も怪しい怪しい。と言うより、章吾(小林且弥さん)がいきなり“騙されますよ顔”。

「この件この先どうなるんだろう」「どんな真相が隠れてるんだろう」と思わせる案件が、やはりこれくらいの数、配置されてないと牽引力不足です。

主題となっている聖人(佐藤智仁さん)からの「礼子義姉さんを絵のモデルにしたい」との申し出に対しては、章吾が49話で「白(=善)が黒(=悪)に負けるとは、嫉妬や憎しみ、猜疑心に心を占領されること」というソフィストリーの罠にみずから踏み込んでしまったので、“礼子を信用しなければ聖人に負けたことになる”と応諾せざるを得ない流れになりました。

章吾の貫く“白”は、逆に愛する礼子に苦痛を強いている点で、むしろ実質“黒”に限りなく近くなっている。混じりっ気なしの善は、ときに人を傷つけるもの。

桐生研究所の目下の唯一無二のドル箱・新薬成分A115の機密盗み出しでブラフかける手先に使った女性フリーライターへの清算場面も今日は聖人が持って行きました。500万のギャラで釣って、渡したのは着手金50万と、いまワイン納入先から回収してきた、輪ゴムで束ねた100万円。28話でサリナ(桂亜沙美さん)への手切れ金を彩乃(小柳ルミ子さん)に頼んだときもそうでしたが、関わった人間への“相応額”というか、それぞれの状況で納得しておさめさせる、もしくは突き返されない額の咄嗟のはじき出し方、資金源の持ってき方が、聖人はさりげなく的確なんですな。

章吾が東京でヴェリテ社弁護士と面談の夜、渋々モデルに応じた礼子を指定のドレスに着替えさせる間、聖人が倉の外で待っている場面が今日の白眉。この2人のいままでの、抱き合ったりキスしたり膝枕したりの場面よりはるかに張り詰めたエロスがありました。礼子の応諾は表向きあくまで章吾に示唆された「嫌がったら負け」の文脈上にありますが、聖人に言われるまま着替え、耳飾りを着けるとき、“こんなはずじゃなかった従属させられ感”の中に、確かに一種のときめきがある。聖人は見ずに、背中でそれを感じながら、倉の扉を隔てている。夜空には月が出ているあぁエロスだ。

聖人が礼子に着せたドレスが、過去49話で礼子の着た衣装のどれとも、鐚一文趣味として通じるところのない、この夜聖人が着せなければ礼子は一生着ることがないであろう派手花柄の、肩出しヒラヒラシフォンで、お世辞にも似合いと言えないシロモノなのもナイス表現。礼子が表立って「こういうの昔から一度着てみたいと思ってたの」と言うことができる、あるいは章吾が誕生日や結婚記念日にプレゼントして「礼子さん似合うね、見違えたよ」と和臣からもお褒めをいただき、礼子自身「私キレイだわ」と自足することができるような系統のものでは、この場面意味がないのです。

「こんなの着たことがないわ、きっと似合わないわ、どうしよう」と礼子が内心戸惑い、それをぎこちなく押し隠してポーズをつけるような状況になってこそ聖人の意図通り。

ごく普通の椅子掛け女性像の、それもまだデッサンの段階で岡本太郎さんみたいに目据わらせなくてもと思うんですが、要するに聖人は劇中、絵に取り組むときが、いちばんキャラとして似合いなんだと思う。仮出所してからいままでの、ネコかぶり真面目営業マンスーツの不恰好さ、おさまりの悪さは、ドラマ的にはここ(=礼子をモデルに描く)で“これが初めから本能寺”と実感させるための長い助走だったのかも。

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