こういうご時勢に、珍しく心温まるニュースではあるのですが、「心温まる」と思ったその後に思わず「けど…」が付いてしまった。昨年暮れに群馬・神奈川の児童相談所に相次いで届いた、ランドセルのプレゼント“fromタイガーマスク”。
ピュアに善意の人というのは、根っからシャイなのでしょうかね。シャイがシャイのまま地味に終わらず、“仮面”“仮想”“コスプレ”をまとって、やっと安堵する心理。
一件めの報道で、「あの漫画&アニメで育った世代の男子だな」と思いました。ってことは上か下か、どっちにせよ月河とあまり変わらない年頃のはずです。
普通に匿名でいいし、群馬のなんかはクリスマスシーズンだったようだから、「サンタクロース」でも良かったのにね。何ゆえアニメから持ってくるか。児童相談所のお世話になり、ランドセルをもらって喜ぶ年代のいまどきチビっ子が知ってるかな。親しみ持ってるかな、タイガーマスク。「ただの匿名より、子供たちが喜ぶように」と考えての名乗りだったとしたらなんだかズレてて、せっかくのピュア善意に“名乗ってるほうの自己充足”って余計なニュアンスが乗っかっちゃったような。4代目だか5代目だかのリアルプロレスラータイガーマスクは現役活動中とのことだし、少なくとも三沢光晴社長なら、健在だったら喜んではくれたと思いますが。
先行の群馬で伊達直人を名乗られたから、「いい話だ、オレもやろう」と思った神奈川の人もつい追随しちゃったのかな。だったらウチの世代の影響されやすさがもろ出てしまったようで、これも微量恥ずかしい。
“照れくささ”とか“含羞”といった、自意識のプチ軋轢、葛藤に悩んだとき、“フィクション”特に“アニメ”に救いを求めて走ってしまうのがウチの世代なのです。
なんだか、1970年のよど号事件の犯人グループが、人質とって日本を離陸する際にいろいろごちゃごちゃ声明した挙句「…最後に確認しよう、われわれは明日(あした)のジョーである」と付けた、って話を思い出しました。「確認しよう」って言われてもね。「すれば」としか返しようがない。
ピュア善意にせよ、イカレ革命思想にせよ、いいオトナが、自分をなぞらえるのにアニメ持ってくるのはどうなのか。自分の中で自己確認して「オレって伊達直人みたいだなあ」「矢吹丈じゃん」って悦に入ってるぶんにはいいけど、クチにして言葉にして不特定多数にさらしたら、一気に失笑もの化する。
子供たちへの善意、チャリティなら古典の“あしながおじさん”なんてもう死語なのでしょうかね。“ドラえもん”じゃテレビ朝日のまわしもののよう。
余裕ないしガラじゃないからしないけど、月河が子供たちにランドセル、仮名で寄贈するとしたらどうするかな。“魔法使いサリー”じゃ目線下げすぎだし、“妖怪人間ベム”じゃあり得ない(“ベロ”なら「ボクも背負うからホラ!」と気さくに持ってきそうだ)。
“紫のバラの人”………おい!どんどん失笑に拍車かかってるし。
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